「モーレツからビューティフルへ」というcm(1970年)について

 いくつか前の記事でも触れたが、1970年に「モーレツからビューティフルへ」というcmがあったようだ。これは加藤和彦が銀座の松屋前を「ビューティフル」という看板をもって歩いているcmで、当時の「モーレツ」という経済に向いた方向から、「ビューティフル」というもっとゆとりを重んじた方向へ向かってもいいのではないか、ということを訴えかけた富士ゼロックスのcmである。これは当時流行的なcmだったようである(実際のところはまだ生まれていないのでわからない。また、詳しいデータなどにもあたっていないので、そうだと書いてあるのを見て書いただけではあるが。cmを見ていたという方がいれば、ぜひどうだったのかということは伺ってみたい)。このcmを前に読んだ向井敏の本で触れられていたところを見た後に、動画で見て、(なんのcmかわからない)という感想をもった。だから気になった。

 今回はこの「モーレツからビューティフルへ」という言葉を思い浮んだ藤岡和賀夫という方の本を読んで、印象にのこったことなどを書いていく。

 

今回読んだ本…藤岡和賀夫、『モーレツからビューティフルへ (藤岡和賀夫全五巻 2)』、電通、1991年

 

藤岡和賀夫(1927-2015)…日本の広告プロデューサー。1950年、電通に入社。1978年よりスタートした国鉄のキャンペーン「いい日旅立ち」では、山口百恵に同名の歌を歌わせるなど、広告で時代の流れを作った。 (wikipediaを参照) 

 

 

印象にのこった事など

 藤岡和賀夫はこの「モーレツからビューティフルへ」というフレーズをだれに頼まれたのではない、広告のために書いたものではない、自身のためのメッセージとして思いついたのだという。また、このフレーズは当時、経済軸に向った「モーレツ」というのが嫌で嫌で仕方なかった、そこで下の句を探してそれが見つかったのだという。 (14-15頁を参照) 以下はそのことが書かれた箇所の引用である。

 当時、昭和45年の「モーレツからビューティフルへ」は、もちろん、考えに考え抜いたキャッチフレーズではあったけれど、いま思うと、結果的にはモーレツ否定の方に効き目がより強かったかもしれません。と言うのも、その頃は、国際的な摩擦などもほとんどなく、モーレツはいわば王道として世の中を罷り通っていたからです。

 しかし、私にはそれがいやでいやでしょうがなかった。我慢のできない風潮に見えたのです。

 私が「モーレツから」という上の句を早くから決めていたのはそのためです。そして、何か、それを否定するいい言葉はないものかと、下の句探しをするのがいつしかその頃の私の日課になっていました。

 そんなある日、ふと、「ビューティフル」という何でもない言葉に行き当たって、これだ、と、ちょっとした身震いがきた、というのが正直な打ち明け話になります。 (14-15頁)

  「モーレツ」という言葉を否定することに重きを置いていて、その言葉を探していたら「ビューティフル」という言葉が思いついた、ということが書いてある。この言葉は山崎正和の本でも引用されていたが、山崎正和のいう柔らかい個人主義という考えも、この「モーレツからビューティフルへ」という言葉に似たところはあるのではないだろうか。

 

 また、それ以外にもこういうcmを思いついた背景はあるようだ。

 藤岡和賀夫は1960年代の終わりごろの広告の傾向には極端に神経質になっていたという。その頃のcmを「物ばなれ広告」というようだ。例えば昭和44年のパイロット万年筆の「はっぱふみふみ」であったり、昭和42年のレナウンの「イエイエ」であったりするようだ。今まではcmというのは、ご主人である企業や商品の事をいかに賞めそやすかだったり、その逆の表現をして反語的に商品を讃えるというものだったけれども、いま挙げたような二つのcmはそれとは違った、cmだったという。そしてその後はこの二つのcmのような「物ばなれ広告」が主流になっていったのだという。そのころから、当時の藤岡和賀夫はそういう物を離れた広告の面白さを進むのはある意味で必然だったとは思いながら、しかしその広告が社会や人々の価値観に向けて語りかけるものでなければならないと思うようになった、という。 (18-20頁参照) 以下は引用。

私が、こなれない言葉ですが、その頃さかんに言った言葉、広告が仕えるご主人が企業や商品でないとしたら、広告は社会や人びとに仕えなければならない、この道学者風の言葉は、広告の自立性をスポンサーとの距離の遠さに求めるのではなく、社会との距離の近さに求めるという私の思いでもありました。

 だから、たとえその広告が何ひとつ企業や商品を賞め讃えず、何ひとつメリットをもたらさないとしても、その広告のメッセージなり表現なりが真に人びとと共感を分かちあえるなら、それはそれでひとつの意味を持つのではないか。また、そんな広告が現実に成立しないものだろうか、とひそかに考えをめぐらせていたのです。 (21-22頁)

 今までのことをちぢめると、藤岡和賀夫は広告が商品から離れた広告は当然あるが、それなら社会に共感しあってもらえるようなメッセージなり表現なりを出そう、それもひとつ意味を持つのではないか、と思ったようだ。

 

 しかしここまでいってくると、「物ばなれ広告」でもなく「広告ばなれ広告」 (あるいは番組が提供という形をとるように、「提供広告」ともいえる)になってしまう、という。それを広告と呼んでいいのか、と考えているうちに当時使われ出した「脱工業化社会」の「脱」をとって、「脱広告」 (この「脱」は"Post"というより"De"(切れる)である)と呼ぶことにしたという。

 で、60年代後半は藤岡和賀夫はそれまでの広告にモヤモヤを抱えていたが、ちょっと時代の底流が動いているのを感じて、それが自身の中に高まってきたのだという。その認識が、富士ゼロックスに「モーレツからビューティフルへ」という「脱広告」を提案することの動機となったのだという。 (22-23頁参照)

 

 そしてその後は小林陽太郎(後に富士ゼロックスの社長となる)という方に毎日新聞社へ向かう車の中で、「モーレツからビューティフルへ」というフレーズを提案した。すると、あ、結構だ、面白いという返事が返ってきたのだという。 (24-25頁参照)

 それからあとは、加藤和彦を起用し、銀座の松屋の前をただ歩くだけのcmの計画をした黒沢昭文というcmプランナーの方に文句をつけたが、「「ビューティフル」のマニフェストはこんな線じゃないですか」と返してきたこと、それからは藤岡和賀夫はやはり「ビューティフル」の立ち上がりはこれでよかった、田園風景の中を歩いていたのではおかしかったと思う、ということが書いてある。 (32-34頁参照)

 

 

 

 他に印象にのこったところは視聴率について書かれたところ(138-139頁)で、そこにはテレビの赤ん坊が眠っていても、犬しかいなくても視聴率としてカウントされる、つまり世帯視聴率というのは、その時間にそのチャンネルがひらいていたというだけの話だ、視聴率には限界があると書いてあったところだ。

 

 たしかにいわれてみればそうだと思う。テレビに限らず、それが見られているという事と、どのようにして見られているのか、ということは随分違う、というふうに思った。

 

感想

 気になっていた「モーレツからビューティフルへ」というcmについて書かれていた文章を見られてよかった。このcmはいくらかあるようで、自分は動画では加藤和彦が出ていたものしか確認できなかったが、他のも見てみたいというふうに思った。この本は読みやすくて、広告のポスターのようなものが頁の下のほうに書いてある、というのが何ページも続いていた箇所があって、そういう書き方もあるのか、と思った。

 

まとめ

・「モーレツからビューティフルへ」というフレーズは最初、どこに頼まれたと言うわけではなく、藤岡和賀夫自身に向けたメッセージだった。

・「モーレツ」という言葉を否定するような方向へ重きを置いていた。あるとき、「ビューティフルへ」という言葉を藤岡和賀夫は思いついた。

・「モーレツからビューティフルへ」というcmの前にはレナウンの「イエイエ」やパイロット万年筆の「はっぱふみふみ」などの「物ばなれ広告」があった。が、藤岡和賀夫はこれでいいのか、物から離れた社会に向けたcmをつくってもいいのではないか、というふうに思っていた。

 

流行したかどうかという問題(補足)

 先ほども少し書いたが、そもそもこの「モーレツからビューティフルへ」というのは流行語だろうという事で気になり、そして藤岡和賀夫の本を読んでみた。が、その流行というのを前提とするのは間違えなのかもしれない。既に自分の読んで来た向井敏の本や山崎正和の本でもこの「モーレツからビューティフルへ」という語が流行していた、としてでてきたがそれは単に彼らの主張を強めるのに役立つから、という可能性もある。「モーレツからビューティフルへ」、なんとなくだが、このような社会的なことというのは流行語として受け取りやすいのかもしれない。それは大まかに時代を振り返る時の用語としても、または、評論家の対象としても。

 が、自分が「去年何が流行語だった?」ともし問われたら、本当に知らない。流行語といっても、全員が全員それについて知っているわけではない。それぞれに流行したものはある。

 今回紹介したフレーズがもし当時リアルタイムでcmを見ていた方の記憶に残っていなかったら、または今でも(あんなのは流行語ではない)とする方が多くいれば、そのような語を「流行した」というのは嫌なので一応補足した。

 

参考

今回読んだ本 (再掲) 藤岡和賀夫、『モーレツからビューティフルへ (藤岡和賀夫全五巻 2)』、電通、1991年

 

既に紹介したが今回のものと関連するkankeijowboneの記事 

向井敏著「虹をつくる男たち コマーシャルの30年」を読む

山崎正和著「柔らかい個人主義の誕生 消費社会の美学」を読む