重兼芳子著「やまあいの煙」(第81回 (1979年上半期) 芥川賞受賞作)を読む

 以下話の内容や感想などを述べる。

 

 

 

内容

 主に二人の人物が出てくる。一人はこの話の主人公と言えるだろう、敏夫で、彼の仕事は死体を焼くことであり、父の仕事を引き継いだ。もう一人は正子で、ある県には老人専門病院ができて寝たきりの老人にならぬように努めており、正子はそこで働いている。

 前半部では、敏夫のしている仕事の様子やその仕事を初恋の相手正子に打ち明けることを躊躇していることなどがかかれている。

 中盤では敏夫の家族のこと——父のことや父の仕事に対して好ましく思っていない母などがかかれている。

 終盤にはある老婆が息子の死体を敏夫の元へもってくる、息子が死ぬ前老婆は息子に対して深く向き合っている、それを敏夫は(私の母親とは違うものだ)と思い、……というように続いている。

 

感想

 前半は主に正子との話であったが、後半はある老婆の話が中心で出てきてがらっと変わった印象がある。後半は少し作りすぎたような感じがするものの、一見関係なさそうな老婆と敏夫との関係をかいた、というところはうまいと思った。

 著者である重兼芳子が実際に死体を焼く仕事をしたかは「芥川賞全集 第12巻」の年譜を見ても載っていなかったが、この作品では主人公の敏夫が父とは違うやり方で仕事をしようと決心した、という場面がある。そういうふうに仕事を通して死生観に関わることというか、そういったすごく人それぞれであるだろうが、それに変化があるということをこの作品で扱っておりそこは見れてよかったと思った。しかし特に敏夫の思想は、作者の考えとも一致しているところがあるのだろうか、わかったとは言い難い。死体を焼くという仕事をしているうちにそうなっていったのだろうかはわからないものの、その仕事をしてもらう客は客で恐らく違う死生観のようなものをもっているだろうと思った。

 印象に残ったところは最初の方の正子が敏夫よりも大きいというところが書いてあるところ。——

 首ひとつ正子の方が大きい。横の骨組みもひとまわり正子が頑丈だ。ちょうど正子の影が敏夫の影を包みこんでしまうほどである。はじめて会ってから半年にもなろうか。後に立っている正子を振り向いて見上げたとき、自分の影が正子の影に重なっていたのが印象的だった。 (110-111頁)

 正子の体の大きさという事にも述べられているが、影にも注目したところが面白いと思った。

 

選評

 第81回にはこの作品と、まだ読んだいないが青野聰の「愚者の夜」が芥川賞を受賞している。また、候補作には村上春樹の「風の歌を聴け」がある。

 銓衡委員会には井上靖、遠藤周作、大江健三郎、開高健、丹羽文雄、丸谷才一、安岡章太郎、吉行淳之介の八委員が出席した。(瀧井孝作、中村光夫両氏は病気のため、書面回答)

 丸谷才一は以下のようにいう。

 重兼芳子さんの『やまあいの煙』は童話です。童話仕立ての小説と言つてもいい。そのことは、あまりパッとしない善良な若者が、おしまひでは双の手に桃と桜を持つ王様になるといふ筋の運びで明らかでせう。

 さういふ性格のものとしてはいちおううまく出来てゐますが、しかし童話特有の恐しさはありません。たぶんこの作者は、前作のあと味の悪さを捨てようとした結果、苦りのきいてゐない小説を書くことになつたのでせう。そのことをわたしはいささか残念に思ひますが、しかしこの作に見られる優しさはやはり嬉しい。これだけ小説作りに器用な人が、小説作りの仕掛けとしての冷酷さに疑惑をいだいたといふことを喜びたいと思います。 (359頁)

 

 

参考

今回読んだもの 重兼芳子、「やまあいの煙」 (「芥川賞全集 第12巻」より)、文藝春秋、1983年