この話の主人公は私で、シナリオライターをやっており、つい先日妻子と別れた。それで、同じマンションに住む女がやってきていい仲になる。あるとき、私は48歳の誕生日を迎え、浅草に行くと、演芸ホールで、死んだ父親に似た人物にであう。そしてついていくと、浅草の家に案内され、死んだはずの母親が待っており、私はもてなされ、家族のだんらんのときを過ごす。そのあともたびたびこの浅草の家に行く。が、どんどん私はやつれていく。そんな話だった。さいごのほうはかなりこわい。
浅草の本当は死んでいるはずの両親のもとをおとずれ、それが幻覚ではないかと主人公は思いそれは甘えかもしれない、けれどもそれを断ち切るべきなのか、というところが印象にのこった。以下のところ。
しかし、このままその甘えを断ち切れば、浅草で生きはじめた三十代の両親は消えるしかないのではないか? 私が訪ねてこその二人であり、実は私と接する時間以外は空白であり、二人とも存在していないのではないだろうか? 蝋人形のように、動き途中で凝固したままでいる両親を想像した。それに生命を吹き込めるのは、私しかいないのではないか? (「異人たちとの夏」、p.98)
死んだ人が現れるとこんなふうに考えたりするのか... と思った。
このまえ読んだ大江健三郎のアグイ—の話でも死んだ人(怪物)が空に現れる、ということが書いてあった。自分は死んだ人がどこかにあらわれる、という経験がないので信じられはしないが、そんな話はきいたことがある。
死んだ人が出てくる話として、三か月以上前に読んだのだが絲山秋子の芥川賞をとった「沖で待つ」(第134回)という作品も紹介する。
「沖で待つ」の内容・感想
話の内容
物語のはじめから太っちゃん(牧原太)という主人公の私の仕事仲間が死んでいたというところから始まる。
私と太っちゃんは大学を卒業してから、住宅設備機器メーカーに就職した。会社の場所は福岡だった。私と太っちゃんは仕事のやりかたは違うというもののなぜか気が合っていた。太っちゃんは会社のベテラン事務職の井口珠恵さんと結婚した。
やがて、私は埼玉に、太っちゃんは東京に転勤することになった。
私は太っちゃんと何年かぶりに会った。太っちゃんの暮らす東京でだった。太っちゃんは「おまえさ、秘密ってある?」と聞いてきた。太っちゃんは、「先に死んだ方のパソコンのHDDを後に残ったやつが破壊しよう」と言ってきた。
太っちゃんは死んだ。その死は突然だった。出勤しようとしてマンションから出たところで、七階から人が降ってきて巻き添え。
私は太っちゃんの家の合い鍵を預かっていたので、太っちゃんとの約束通り、家に入りパソコンのHDDを壊し始めた。
壊したというものの、井口さんに会うと、太っちゃんの遺したノートがあってそこには私の壊したHDDが無意味になるようなこと(秘密)が書いてあった。
感想
最初死んだところから入って、なんでだ……と思わせるような構成をうまいとおもった。
死後の太っちゃんと話すシーンがあって、そこは文がぎこちなく、句読点の位置も面白かった。例えば以下のよう。
「太っちゃん」 私は、子供に言い聞かせるようにゆっくりと言いました。「どうしてこんなところにいるの?」 「、わからない」 怖さを感じることはありませんでした。 「タバコ吸ってたんだ?」 「おうひろった、んだ、前で。それで喫ったけ、ど味ねえや」 (「沖で待つ」、p.59)
まとめ
・山田太一の「異人たちとの夏」では死んだはずの両親に出会い、主人公はふたりにもてなされる。
・大江健三郎の「空の怪物アグイ—」では主人公の死んだ子供が姿を変え空に現れる。
・絲山秋子の「沖で待つ」では死んだ同僚と主人公が会話をする場面がある。そこでの死んだ同僚の言葉は句読点が変わっていて、文がぎこちなくなるという工夫がなされている。
読んだもの
山田太一、「異人たちとの夏」、新潮文庫、1991年
絲山秋子、「沖で待つ」、文春文庫、2009年
参考
大江健三郎の「空の怪物アグイ—」を読んだ記録