金原ひとみの「蛇にピアス」(第130回(2003年下半期)芥川賞受賞作)・刺青についての話を読む

  金原ひとみの「蛇にピアス」を読んだ。主人公はルイという未成年の人で、同じく未成年の彼であるアマ、ピアスを開けたり、刺青を入れたりする店<desire>の主人、シバが主に登場する。内容はまず、ルイがアマに影響され、ピアスを舌にあけ(スプリットタンにするため)、そのあと、アマの刺青をみて、自分も刺青を入れたい、と思うルイについて。刺青をいれる際中の事、刺青をあけてどうなっていくのか...など。

 とにかく痛そうだと思った。自分は刺青もピアスも痛そうであまり考えたことは無かった。しかし、この本で、たとえば、ピアスはg(ゲージ)が下にさがっていく程、穴が太くなるのだとわかった。

 なぜピアスをしようと思ったとか、刺青をいれようとか、明確な理由はなかったように思う。しかし、そういうものだ、というふうにも思った。

 

 ルイは左肩から背中にかけて麒麟と龍の刺青をしてもらう。

 印象にのこったところはふたつある。

 ひとつは、龍と麒麟の刺青がはがれ、ルイがそれを所有し、そこを結婚や欲しくて仕方のなかった服やバッグなどに例えていたところ。金原ひとみは、所有は、一度してしまえば、コレクションに成り下がり、二三度使って終わり、ということもある、ということを言っていた。(「蛇にピアス」、p.76) 

 もうひとつは、以下、引用する。

 [...]今自分が考えている事も、見ている情景も、人差し指と中指ではさんでいるタバコも、全く現実味がない。私は他のどこかにいて、どこかから自分の姿を見ているような気がした。何も信じられない。何も感じられない。私が生きている事を実感できるのは、痛みを感じているときだけだ。(「蛇にピアス」、p.87)

 引用の最後のところはそうかもしれない、ということを思った。生きている感じがしないことでも、ものすごい痛みを感じたら、生を感じるということはあると思った。

 

 

 「蛇にピアス」でもでていた刺青といわれてパッと思い浮んだのが谷崎潤一郎の「刺青」だったので、その次に読んだ。清吉という刺青師が主人公で、快楽と宿願をもっており、快楽とは刺青を入れるとき相手が疼いてくれること、宿願とは美女の肌に自分の魂を彫りこむことであった。あるとき深川で刺青を彫ってみたい相手に出会う、という話である。

 「蛇にピアス」との比較をすれば、「蛇にピアス」では主人公(といってもそれは誰を重視してみるかによって変わるが)は刺青を入れてもらう側(ルイ)で、「刺青」では刺青を入れる側(清吉)だと思った。刺青の入れるところは、「蛇にピアス」では左肩と背中、「刺青」では背中で、何の柄か、というと、「蛇にピアス」では龍と麒麟、「刺青」では、女郎蜘蛛だった。  

 

 「刺青」でとくに印象にのこったところは、清吉が針を背中に入れるところの描写だった。以下引用。

 やがて彼は左手の小指と拇指の間に挿んだ絵筆の穂を、娘の背中にねかせ、その上から右手で針を刺して行った。若い刺青師の霊は墨汁の中に溶けて、皮膚に滲んだ。焼酎に交ぜて彫り込む琉球朱の一滴々々は、彼の命のしたたりであった。彼はそこに我が魂の色を見た。[...]一点の色を注ぎ込むのも、彼にとっては容易な業でなかった。さす針、ぬく針の旅毎に深い吐息をついて、自分の心が刺されるように感じた。針の痕は次第々々に巨大な女郎蜘蛛の形象を具え始めて、再び夜がしらしらと白み初めた時分には、この不思議な魔性の動物は、八本の肢を伸ばしつつ、背一面に蟠った。 (「刺青」、p.13,14)

  朱に焼酎に交ぜるのか...と思った。それと、最後の方の蜘蛛が背中に蟠った、というのがいいと思った。

 

 

 その次はサキの刺青についての話を読んだ、「刺青奇譚」という。アンリ・デプリという外交官が北イタリアにいて、その人はアンドレアス・ピンチ二氏という有名な彫り物師に刺青を頼む、それで「イカロス堕落」を彫ってもらう。それは傑作だと町中がほめそやした。が、ピンチ二氏は刺青を入れた後、すぐ死んでしまい、そしてアンリ・デプリはお金を使ってしまっていて、ピンチ二氏の未亡人にお金を払うことができず...それでピンチ二氏の未亡人は怒り、芸術作品の取引はなかったことにする。が、その芸術作品はアンリ・デプリの背中にあるので、アンリ・デプリはベルガモ市の許可なしに傑作の、「イカロス堕落」を公開してはならない、海水はこの作品によくないから浴びてはいけない、外交官にもかかわらず、海外に出ることができない(美術品を国外にもちだしてはいけない)、などの制裁をされ、そしてさらにアンリ・デプリの不幸は続く、という話である。

 「蛇にピアス」で印象にのこったところとして、ルイが刺青を所有した途端、すぐあきるかもしれない、ということを先ほど書いたが、このサキの話の場合は刺青を所有しているといっても満足のいかない所有で、そして、主従関係でみると従的な(芸術作品として扱われる)所有だと思った。こういう自由の利かない、刺青はほかにもある。たとえば刑罰で用いられる刺青。江戸時代には重罪と軽罪があり、軽罪の正刑として入墨が使われていた(「いれずみの文化誌」、p.51,52)。ほかに、刺青をどういうときにいれるのかを挙げると、昔、沖縄や奄美などでは通過儀礼として刺青が用いられた(針突)、また、熊本の八代ではイ草の刈り取り作業で左手関節を痛めるため、治療として手首に刺青をする習わしがあった(「いれずみの文化誌」、p.23,24)。

 

 「刺青奇譚」は英語版も見たため印象にのこったシーンを挙げる。先ほども書いたが、市の許可なしには刺青は見せられない、というところ。以下引用。

 "But he bore on his back the burden of the dead man's genius. On presenting himself one day in the steaming corridor of a vapour bath, he was at once hustled back into his clothes by the proprietor, who was a North Italian, and who emphatically refused to allow the celebrated Fall of Icarus to be publicly on view without the permission of the municipality of Bergamo.” ("The Background", p.123)

 

 「しかし、デプリは背中に、死んだ天才の残したお荷物をしょっていた。ある日、蒸し風呂へ行き、湯気のたちこめる廊下に姿を現わすと、たちまち経営者に見つかり、うむを言わせず服を着せられてしまった。経営者は北イタリアの人間で、ベルガモ市の許可なしに、あの有名な『イカロスの堕落』を公開するわけにはいかない、と強硬に言い張ったんだ。」 (「刺青奇譚」、p.47)

 

 

参考

・金原ひとみ、「蛇にピアス」、集英社文庫、2008年

・谷崎潤一郎、「刺青」(『刺青・異端者の悲しみ』に収録されている)、講談社文庫、1973年

・Saki (1982), "The Background"(The Penguin Complete Saki), Penguin Books

・サキ著・河田智雄訳、「刺青奇譚」(『サキ傑作集』に収録されている)、岩波文庫、1988年

・小野友道、「いれずみの文化誌」、河出書房、2010年

 

 

蛇にピアス (集英社文庫)

蛇にピアス (集英社文庫)

 

 

 

サキ傑作集 (1981年) (岩波文庫)

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いれずみの文化誌

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