高橋揆一郎著「伸予」(第79回 (1978年上半期) 芥川賞受賞作)を読む

 この前紹介した高橋三千綱の「九月の空」もそうであったが、「伸予」もまた第79回の芥川賞受賞作である。本の内容や感想などを述べる。

 

 

 

内容

 二人の人物がメインに出てくる。一人は伸予、49歳で、後家、また、息子がおり30年前ある中学校の教師をしていた。もう一人の人物は武藤善吉、44歳で昔中学時代に伸予に熱烈に愛されていた。

 武藤は中学校の頃美少年で、伸予は武藤が他の女と手をつないでいたら嫉妬し、よく武藤と会いたがっていた。

 武藤が高校に行くと伸予は教師の生活によろこびを見つけられず、伸予の幼馴染の男としきたりに従い結婚し退職した。

 その二人がたまたま出会うきっかけができて、三十年ぶりに海辺の伸予の家に武藤がやってくるというところからはじまる。三十年経ったからと言って伸予の愛は冷めていない。

 伸予・武藤の回想を交え学生時代の頃や、武藤には女がいてそれを聞いて伸予はショックをうける、などということがかかれている。

 

感想

 先生が生徒を愛す、ということはあまり読んだことはないのでわからない。 

 なぜ先生である伸予が生徒の武藤を愛するようになったかは詳しく描かれているわけではない。

 最初伸予という人物がなんのことか、わからず、気になっていった。

 所々ある伸予の家の海の様子や、ある展示場でこの二人は合うのだがそこでの伸予の様子など、うまくかかれていると思った。

 

印象に残ったところ

 いくつか書き留めたので紹介する。

 まずは武藤が伸予の家を訪れ、武藤が大きく見える、というところ——

 ノブを回して押しやると風雨のざわめきが一度に高くなった。武藤善吉が笑って立っていた。その蝙蝠傘が雨粒をはじいて重い音をたてている。

「本当にやってきました」

「いらっしゃいませ」と伸予は切口上でいった。

善吉がドアに肩をぶつけながら雨しぶきと共に入り込み、三和土に並び立つと、何やら注文しておいた高価な大型家具でも運び込まれたようだった。広い売場で見るときはさほどでもないものが、家に運び入れると大きい。 (52頁)

  最後の家具が「広い売場で見るときはさほどでもないものが、家に運び入れると大きい。」というところはわかるな、と思った。

 

 二つ目は伸予は熱中しすぎたためか、昔の武藤とのことはほとんど覚えていないという事がかかれているところ。

 「ほとんどなんにも覚えてないの、善ちゃんと会ってなにを話したのか。なにを考えていたかぐらいは分るけど」「つめたいんだねえ」「そうじゃないの、きれぎれに残ってはいるんだけどあと先の関係が分らないで、ただこう全体にふわあっとまるくなって、綿菓子みたいになっちゃってる」「繭籠りしちゃったというわけですかな」「繭……」「蚕が繭の中にとじこもってしまうようにさ、ぼくは繭玉を見たことがないけれど」 (63頁)

 綿菓子、繭籠り、いずれもそんなには見かけない比喩であるがふわふわっとした記憶を表すのにいいと思った。

 

 次は武藤が帰る所を、伸予が「待って。泊っていって」と呼び止めるところがかかれているもの。それにたいして武藤は「駄目だ」、と言った後の所——

 バスが見えた。伸予は近づいてくるバスを睨みつけ、急にふり向いて玄関の鍵を突き出した。「持っていって、いつだっていいんだから、わたしがいなくても勝手に入っていいのよ」「わかった」と善吉はすばやく受けとって、バスに乗り込んでいった。 (67頁) 

  鍵を突き出して、「いないとき勝手に入ってもいい」ということはそうないと思った。が、それほど来てほしいということなのか、そういうものがよく伝わってきた。

 

選評

 「九月の空」でも紹介したが銓衡委員会には井上靖、遠藤周作、瀧井孝作、中村光夫、丹羽文雄、安岡章太郎、吉行淳之介の諸委員に今回から開高武、丸谷才一の二氏が加わり十委員全員が出席した。

 

 瀧井孝作は以下のようにいう。

 高橋揆一郎の「伸予」は、五十近い未亡人が、むかしの若い女教師時代に中学生の美少年を可愛がった。その思出からむかしの美少年の今は中年すぎにもなった男を自宅に招待する。寡婦のさびしい告白、繰り言の小説で、これは前半は面白いが、後半は男に捨てられてからあとが長すぎて、少ししまりがない作と見えた。 (343頁)

 

参考

今回読んだもの 高橋揆一郎、「伸予」(「芥川賞全集 第12巻」より)、文藝春秋、1983年