北杜夫著「夜と霧の隅で」(第43回 (1960年上半期) 芥川賞受賞作)を読む

 以下話の内容や感想などを述べる。

 

内容

 場所はドイツ。ユダヤ人や政治犯が消え失せるという「夜と霧」命令というものがあったようで、それを交えて主に精神病院の様子がかかれる。

 精神病院に入ってきたのは高島という日本人の男で、この男の彼女の父親がユダヤ人なのだが、彼女は高島の元へ来ず、なにかあったのではないかと高島は思う。その後、高島は妄想に取りつかれ、分裂病として入院することになった。

 病院の医者をしている主な人物はケルロンブロックで、彼は実験的なところがあり、また、不治の患者をなんとかしようとするところもある。他の医者も出てきており、治療の仕方やドイツをどう思うかなどがかかれている。

 

感想

 戦争や考えの問題には個々、詳しくかいてあるという感じはせず、あまり迫ってくるものがなかった。しかし北杜夫の自身の経験もあるのだろう、医学的なことについては詳しく書いてあったというふうに思う。——それはどういうふうに治療をするのかや薬の名前などである。

 

 できれば北杜夫の得意であろう、医学的な描写などに注意してみていこうとしたのだが、あまりにも詳しく専門的な感じがしてそこを留めておこうとは思わなかった。——入院してきた高島が入院以来のことはあまりよく思い出すことができなかったがところどころ覚えているという場面は印象に残った。

もっとも高島は入院以来のことをよく思い出すことができなかった。なにか漠然とした靄のようなものがかかっており、一進一退だった症状のことも、うけた治療や同室の患者のこともはっきりしなかった。ずいぶん長い年月だったような気がする。といって、すべての記憶がぼやけているのではなく、乱視の検査のときに検査表のある線がくっきり見えるように、ところどころどぎついくらいの記憶があった。 (56頁)

 「すべての記憶がぼやけているのではなく、乱視の検査のときに検査表のある線がくっきり見えるように」という比喩がいいと思った。

 

選評 

 瀧井孝作、丹羽文雄、舟橋聖一、石川達三、井伏鱒二、中村光夫、永井龍男(佐藤春夫、宇野浩二、川端康成、井上靖の四氏は欠席)の七委員出席の下に軽井沢にて銓衡委員会を開催。

 

 中村光夫は以下のようにいう。

 北杜夫氏の「夜と霧の隅で」は、そのなかで一番たしかな才能を感じさせる力作でした。氏はこれで数回候補にのぼったわけですが、前々回の「狂詩」あたりとくらべると、別人の感がありますが、何か調子が低く、無駄が多いのが気になります。しかし現代の大きな問題を背景に、たっぷりとした筆力で群像を描いて行く才能は、その欠点を補うに充分でしょう。 (389頁)

 

参考

今回読んだもの 北杜夫、「夜と霧の隅で」 (「芥川賞全集 第6巻」より)、文藝春秋、1982年