中里恒子著「日光室」(第8回 (1938年下半期) 芥川賞受賞作)を読む

 前回読んだ「乗合馬車」の他に今回の「日光室」も第8回芥川賞の受賞作である。「芥川賞全集 第二巻」を中心に見ていきながら話の内容や感想などを述べる。

 

 

 

話の内容

 色々と呼び方はあると思うが——ハーフの子供たちが最初にでてきて、ハーフの子供と日本人の子供が家族ごっこやお客ごっこのようなものをしていてそれぞれの子供たちがどんな風に役を選ぶのか、ごっこ遊びをするかが初めの方では書いてある。そこではごっこといえども、各家庭の影響がある。ここで遊んでいる子供の一人の母親が(お母さん役になる私の子供は、いったいどんな風に私を演じるのか、あるいは私は描き出されるのか)と思って、部屋の陰から子供たちの世界を熱心に観察しようとしる。

 

 中盤の方ではハーフの子供たちの家での様子がかかれ、その家には日本人の子供がよく遊びに来るのだがある日来ないときがあって、その子供たちはどこかへ行ってしまい、その母親が心配するという事が最後の方にかけて中心的にかかれている。

 

感想 

 家族間の関係は複雑なところがあった。

 今回読んだ作品に焦点を当てる時、しばしば描かれていた(国際色豊かな家庭)に焦点をあてるかあるいは(子供たちがどんな風にごっこ遊びなどもそうであるが、家庭を演じるのか、そしてどういう行動をとっていくのか)ということに焦点を当てるのか、またはその両方に焦点を当てるかはそれぞれあると思った。自分は前の二つどちらにもそう詳しくないので両方がうまく描かれている作品だと思った。

 この作品の題名である「日光室」というのは探すと、異なる家庭ではあるが三つの家庭がほとんど一町内に存在している。——それが日光室を思わせるような、その部屋におけるめいめいの溜息や、靴下の後ろまでのも見せ合うほどの近さを持つ、といったふうに使われている。前回読んだ「乗合馬車」、今回の「日光室」共に題名の場所を観察し描くというわけではなく、その題名を比喩としてそこでの暮らしを書いている、という感じがいいと思った。

 最初の方のところで子供たちがごっこあそびをするときに、家族ごっこであるとその遊びの中に国籍の問題も出てくるのでよくないと母親は思い子供たちに注意し、(それならお客ごっこをすれば)と言うシーンがある。その後、お客ごっこは子供たちはするのは眼中にないという場面が続くのだが、その前に蝉の音が出てきているので注目した。ここの蝉はなんとなくいや雰囲気を持つものだなと思った。蝉の鳴き声というのも関係しているかもしれない。「山の音」で蝉の音が不吉な感じのするものとして出てきたのでここも注目した。

 

印象に残ったところ

 最初の方に出てきたお客ごっこ、家族ごっこのようなもののシーンが印象に残った。例えばお土産に何をもってくるのか、誰が最初に家庭内で起きるか、教会に行くときは何人で行くのか、などが描かれている。そこでは各家庭ごとにどう振る舞うかは違う。確かにそういうごっこのあそびでも、不断暮らしている家庭に影響されることもある。

 最初の方では、子供たちが(どんなふうに母親を演じるか)ということを母親が気になって陰のある所から子供たちをみるのだが、最後の方でも子供が家に帰らずどこか行ってしまい親を心配させる、ということがかかれていた。いずれも親を心配させる種類は違くて、前者は親の目が届くところで、後者は親の目が届かぬところで心配させるのだが、どちらも親を心配させるということには変わりないと思う。

 

選評

 「乗合馬車」の時も書いたが「芥川賞全集 第2巻」で選評が載っているのは久米正雄、小島政二郎、川端康成、横光利一、佐々木茂索、室生犀星、佐藤春夫、瀧井孝作、宇野浩二。

 

 横光利一は以下のようにいう。

 「乗合馬車」と「日光室」とは日本人の妻となっている外国婦人の憂愁、希望、諦念などよく出ている。味わいも細い。この作は今はいろいろと悪評もあろうと思われるが、後世この作者の一聯の外人物は、更科日記のように幾度も繰り返し人々から読まれるであろうと思う。 (373-374頁)

 

参考

今回読んだもの 中里恒子、「乗合馬車」 (「芥川賞全集 第二巻」より)、文藝春秋、1982年