菊村到著「硫黄島」(第37回 (1957年上半期) 芥川賞受賞作)を読む

 菊村到のものは初めて読む。以下話の内容や感想などを述べる。

 

 

 

話の内容

 片岡という男が私の働く新聞社の応接室に現れる。片岡は昔江東区北砂町で工場で働いていた。彼は「戦後、硫黄島で洞窟三年余つづけた穴住生活について書いたノオトを取りに行きたい」といって、そのことを「新聞記事として取り上げてくれないか」と私に言った。……私はそれを記事にすることを決定した、そして片岡はノオトを取りに行ったがみつからず……その後片岡は硫黄島で自殺した。

 なぜ自殺したのかを追っていったのが話の中心である。

 

感想

 分かりやすい文で書かれていた。著者菊村到は記者として活動していたこともあるようだ。それでこの作品の様に、記者が出てくるようなところもあったのだろう。

 主人公の私はミステリー小説に出てくる探偵役のような口調で話していた。

 

 話の運び方が非常にうまく、また、戦争の様子も現実感あると共に(なぜ自殺したか?)という事を追っていてミステリー要素があり、簡潔で読み易かった。

 一方、簡潔な故に葛藤する場面があまりなかったことやあくまでミステリー小説の中でおさめられた話のような気がして、これを読んで疑問をもってなにか考える、というのは違うかもしれないとも思った。

 

印象に残ったところ

 この作品では戦争が終わった後の洞窟での暮らしぶりが多くはないが、書いてあったという印象がある。最初の方で、岩穴の中にいるときに米兵がくるというところを引用する。リアリティーがある。

 

米兵は大きな声で何か言いあっていて、ときどき口笛がするどく鳴った。岩を蹴りつける靴音が話し声をかきみだしながら、にぶくひびいてくる。その洞窟の入り口は大きな岩でふさいであった。その岩穴に手をかけて揺りうごかそうとしているらしく、両足に力をこめて靴底を岩にぎしぎしすりつける音や、岩がわずかにきしんで、ボロボロ泥がこぼれ落ちるかすかなひびきだとかが岩穴のおくふかくまで、つたわってきた。けれどもそれはすぐにやんでしまった。岩穴にこもった熱気が肌のうえを這いまわり、皮膚の内側にまでじとじとしみこんで汗が全身からどっと吹きこぼれるのだ。 (略) (272頁)

  

   靴の音、笛の音、岩の様子などが書かれていた。緊迫感を生み出す音だと思った。

 

 次は片桐が自殺したという事を知らない、片桐がかつて好きだった人に対して「片桐は自殺した」ということを伝えた後のかつて好きだった人の反応。

 

 彼女の眼がみるみる大きく見ひらかれていき、その眼がやわらかな光をふくみはじめたと思うと、その光は急速にもりあがり、下瞼のふくらみをのりこえて、すべるように頬のうえを流れ落ちた。私はこんなにまぢかに女の涙を見ることははじめてだったので、それは少からず私を感動させた。 (287頁)

  

 涙を光といっており、ここまでは何のことを言っているのか分からないが、「女の涙を見ることははじめてだった」というところで涙だとはじめてわかる。しかし光という語でも出てきた眼という語の連想で何となく涙とわかる、この感じがいいと思った。

 

選評 

 銓衡委員は宇野浩二、瀧井孝作、佐藤春夫、川端康成、丹羽文雄、舟橋聖一、石川達三、井上靖、中村光夫である。

 

 井上靖は「硫黄島」について以下のようにいう。

 

 この作品は、一人の人間の戦争から受けた傷を取り扱ったもので、この種の作品はとかく観念的なものになり易いが、それをこれだけ書きこなした手腕は買っていいだろう。 (482頁)

 

佐藤春夫は次のようにいう。

 

 「硫黄島」は云わば表現主義の作品である。惨憺たる戦争などは自然主義風の平面描写では到底書けないのを、全く別個の世界——同じ戦場の生き残りの内面風景に構成し、それも暗示にとどめて、一切の肉づけは企てず、小説の骨格だけを残存して小説という造型をじかに示したのがよい。 (481頁)

 

参考

 今回読んだもの 菊村到、「硫黄島」 (「芥川賞全集 第五巻」より)、文藝春秋、1982年