松本清張著「或る「小倉日記」伝」(第28回 (1952年下半期) 芥川賞受賞作)を読む

 一時期西村京太郎のミステリーは読んだことがあったが、松本清張は読んだことがない。初めて読む。以下話の内容と感想を述べる。

 

 

 

話の内容

 昭和15年のある時詩人であり医者であるk・mの元へ手紙が来た。k・mは同じ医者であった森鷗外に深く私淑している。差出人は田上耕作という小倉在住の男で鷗外の調査を送ってきて、「価値あるものか先生に見ていただきたい」というのである。

 田上耕作は神経系の障害があり、母親に心配され溺愛された。6つくらいの時、家の傍で「でんびんや」と呼んでいたじいさんの鈴の音が聞こえ気に入ったがそのじいさんは夜逃げした。のちに耕作は友人に貸してもらった森鴎外の「独身」という本で耕作にとって6つくらいの時から馴染みのあった「伝便」というものが出ており、また、近所の医者が本好きなのもありそこの書庫で働くことになりたいていは本を読んで過ごしていた。

 耕作は鷗外が小倉にいた時3年間程の日記があったが喪失していることに気づき、それから、その日記を探すことにし、そのことに価値があるかk・mに手紙を出して聞き、また、鷗外の遺族や鷗外と関わりのある人物に鷗外の小倉で過ごしていた時代を聞いて回ったということが話の中心である。

 

感想

 松本清張のものは初めて読んだ。この作品は物事を追求するもので、読んでいて、引き込まれていって、なぜそうなるのか、ということに興味が湧いていった。筋がメインだと思うため、描写はあまり残るものがない。しかし場面毎に見れば使われていた漢字が見慣れないものがあった。が、文章をむずかしくしていると言う風ではなく、もっと自然に漢字を使っているようであった。以下難しいと思った用語——「僥倖を恃む」、「溷濁した」、「黝い」……。主人物の耕作が小倉を回る時、神社にも訪れるのだが、本当にある所かは分からないけど、いかにも本当にありそうだと思った。

 

 こういう種類の、一種何かのマニアが何らかを追求する、その様子や過程を書く

という作品はあまり読んだことがないもので、こういうものもあるんだ、と思った。

 

 

 今回は話の筋を追っていくことに注意していったので話の内容と感想を書いた。

 

選評 

 銓衡委員は宇野、佐藤、瀧井、川端、舟橋、石川、丹羽、坂口である。

 石川達三は同時に受賞した「喪神」に光ったものがあったとしたうえで「或る「小倉日記」伝」について以下のように評す。

 

 私は「小倉日記」に光ったものを感じ得ない。これは私小説の系列に属するもので、その系列を辿って来た選者には高く認められるのであろうかとも思った。 (393頁)

 

 瀧井孝作は以下の様に評す。

 

 松本清張氏の「或る『小倉日記』伝」は、青空に雪の降るけしき、と形容したいような、美しい文章に感心しました。内容は、無名の文学青年の伝記で、大したものではないようによくまとめてあるのが面白い、と見ました。 (394頁)

 

 坂口安吾は以下の様にいう。

 

 「或る『小倉日記』伝」は、これまた文章甚だ老練、また正確で、静かでもある。一見平坂の如くでありながら造型力逞しく底に奔放達意の自在さを秘めた文章力であって、小倉日記の追跡だからこのように静寂で感傷的だけれども、この文章は実は殺人犯人をも追跡しうる自在な力があり、その時はまたこれと趣きが変りながらも同じように達意巧者に行き届いた仕上げのできる作者であると思った。 (398-399頁)

 

参考

 今回読んだもの 松本清張、「或る「小倉日記」伝」 (「芥川賞全集 第五巻」より)、文藝春秋、1982年