安岡章太郎著「悪い仲間」(第29回 (1953年上半期) 芥川賞受賞作)を読む

 安岡章太郎のものは初めて読んだ。以下、話の内容や感想を述べる。

 

 

 

話の内容

 大学の予科にいるぼくは最初、藤井という朝鮮出身で京都に住む(僕が驚いてしまうであろうこと)を平然とやってのける——例えば食い逃げ——男にフランス語の講演会で出会った。けれども夏の終わりに藤井は京都に帰ってしまった。

 夏休みが終わり、秋になり新学期が来ると、私はその藤井がやっていたことを倉田という友達に真似して見せた。倉田は感心した。そして真似しようとした。また、時代は時代で何でもないほど咎められる世のなかの風潮があった。 (この作品ではあまり詳しく時代がかいてあるわけではないが冒頭に「シナ大陸での事変が日常生活の退屈な一と齣になろうとしているころ」とある。) 

 僕と倉田はどちらが藤井に気に入られるか競い合い、藤井の真似をした。人に咎められることばかりし、したことを大袈裟な表現を使って京都の藤井の元へ書き、送った。媚びたかった。しかし藤井もそれに負けじと、極端な文体で手紙を書いた。——〈悪い病気におかされた、朝鮮の田舎へ帰ろうとしている。〉 

 その手紙をみた僕は(このままの生活を続けていたならば倉田も藤井みたくなってしまう)と思い、倉田に藤井の態度を讃美しながらもところどころ今後藤井がどんな生活を送るだろうかということを倉田に聞かせた。僕は(それで倉田がその生活から逃げ出すならば、一緒に逃げよう)と思う。その後、「行かないと落第するという伝説がある創始者の墓参りに出よう」と僕は冗談交じりではあるが倉田に言うと、倉田も「うん、行こう」といったが、倉田はこなかった。僕はそれで裏切られた感じがした。……

 その後学校行きを放棄して喫茶店に僕が行くと、店の近くに藤井と倉田がいるのが分かった。僕は怖くなった。そして離れた。—彼等を裏切った。

 けれども裏切りはまだ完了せず、……倉田の母親が家に来たためだ。「家の預金帳や日記やおびただしい覚書の手紙が無くなっていた。これは息子がやったのでしょう。あなたはどこへやったのです」と倉田の母親は言う。僕は「探しに行く」と言って外をでた。しかし、どこへ行こうにも行きようがない。

 

感想

 悪に悪を重ねていく、そしてそれを真似たいと思う気持ち、それは年のせいもあると思うのだが。そんな様子が書かれていたと思う。

 特に後半の方は注意して読んでいく必要がある。細かいように感じた。

 

 時代性の故に、(何でもないほど咎められる世のなかの風潮があった)というのであれば、もう少し(こういう世のなかである)ということが具体的な出来事とともに書いてあっても良かったのではないか、という風に思った。悪さをしたがる年ごろなのか、というのは読んでいてわかったが、そういう世のなかだったのだというにはリアリティーがあまりない気がした。

 

藤井の手紙は本当か

 以下は推論である。

 読み終わった後最初は、藤井から来た手紙を見た僕は(藤井のように病気になってしまうことを恐れた)と思うということばかり、自分は注目していた。そしてその後、僕がどのように行動したかばかりを追っていた。つまり悪さが重なった上、藤井が病気になってしまったのだ、ということが事実なのかと思っていた。

 けれどもここで京都から送られる藤井の手紙を引用する。——

 

 京都からの手紙は、だんだん狂暴な調子を帯びてきていた。東京の二人が競争して媚びるためにいきおい大袈裟な表現に陥っているのだとは知らず、藤井の方は負けまいとして一層頑張るのだった。……極端に主観的で独断の多い思想、徹底した病的なイメージ、ほとんど判読しかねるほどの思考の飛躍、が奇矯な文体で書いてあった。そしてとうとう冬のもっとも寒い頃のある日、

——来たときと同じ淋しさや、帰るときの京の春。

という変な俳句の手紙がきた。それには学校から退学を命ぜられてしまったこと、悪い病気におかされたこと、そして朝鮮の田舎へ帰ろうと思っていること、をしるしてあった。 (63頁)

  

 上の所で「そして」という色々意味が取れる接続詞以降が変な俳句の手紙なのでここで前と後ろが分かれているのかもしれないが、最初の方で「東京の二人が競争して媚びるためにいきおい大袈裟な表現に陥っているのだとは知らず、藤井の方は負けまいとして一層頑張るのだった。……」とあるので、もし藤井が媚を売るために書いた手紙につられているならば、(「学校から退学を命ぜられてしまったこと、悪い病気におかされたこと、そして朝鮮の田舎へ帰ろうと思っていること」というのが全て本当かどうか、というのは疑って読んでいってもいいのではないだろうか、題名が「悪い仲間」であるし。)という風に思った。そうした場合は例えば僕が作中の最後の方で藤井と倉田が歩いているが、(人に咎められられるようなことを平気でやる藤井がそんなに後になってくると変わるのか?)とか、(悪い病気なのに藤井は歩けるのか?)とか、(倉田の媚び売りが成功して藤井とは仲が良くなったんだ。それで僕を呼びたのはそのことを明かそうとしているのだ。しかし僕はそれに気づかず行ってしまった。)などと読んでいってもいいのではないかと思った。しかし一方でその可能性はあまりないなという風にも思った。<俳句の変な手紙>を藤井が送った後、しばらくして僕が家へ帰ると<藤井の置手紙>があって、そこには(朝鮮へ帰る前に会っておきたくて来た。いま浅草橋のキチン宿にいる……。)という風に書いてあって、(朝鮮に帰る)ということを藤井が繰り返しいっているからだ。

   本当に帰るのかもしれない。それだけは本当かもしれない。が、それ以外は嘘かも知れないし、真実性はわからない。

 

 多分手紙で藤井は本当のことを言っていると思うけれども、(いや、それは本当ではないと思う)と読んでみるのもいいと思った。

 

いいと思った描写

 特に最後の場面、行きようもないが僕が車に乗っているところがいいと思った。以下の様である。

 

 やがて速力が増すにつれて動いているという快感だけが僕を占領した。いくつもの橋をこえるとき、そのたびに橋桁の中腹がヘッドライトに浮び、まるくもり上っては、うなりながら車体の下敷になって消えた。 (68頁)

 

 橋桁が踏まれるとか橋の上を車が通りすぎると書くのであれば普通の感じがするが、下敷になって消えるという表現は橋桁の中腹がまるで人間の様だと思えて、変わっているなと思った。

 

選評

 (以下「芥川賞全集 第五巻」より抜粋)

 

 銓衡委員は丹羽文雄、宇野浩二、石川達三、佐藤春夫、岸田國士、瀧井孝作、舟橋聖一、坂口安吾、川端康成である。

 舟橋聖一は以下のようにいう。

 

 安岡に就いては、彼を推した丹羽や佐藤さんが、大いに書くだろうから、私は簡単にするが、「悪い仲間」という作品は、一応、面白く読んだ。倉田真悟なる人物は、平板だが、藤井高麗彦はよく描けているし、無銭飲食の場面も、手に入っている。

 

 坂口安吾は安岡について以下のように言う。

 

  独特の観察とチミツな文章でもっている作風であるから、流行作家には不適格かもしれないが、それだけに熱心な愛で、井伏鱒二や太宰治に似ているが、リリスムやトボケ振りは前者よりも表面には出ておらないし、ニヒリズムも、自意識も自虐性もタシナミよく抑えられており、沈潜、老成のオモムキがある。子供っぽいドタバタ騒ぎが主として題材にとられていても、その作品の根には沈潜老成というようなものが感じられるのである。

 

参考

 安岡章太郎、「悪い仲間」 (「芥川賞全集 第五巻」より)、文藝春秋、1982年