大江健三郎著「飼育」(第39回 (1958年上半期) 芥川賞受賞作)を読む

 大江健三郎のものは「静かな生活」は映画では見たことはある。が、本で読むのは初めてである。映画で観るときとは違い、一語一語気負ってみていく必要があったので頁数の割に読むのには時間がかかった。以下、話の内容、感想等を述べる。

 

  

話の内容

 戦争中の物語である。しかしこの戦争は非常にざっくりした感じがした。

 ある村に僕と弟と兎口という少年がいた。そこに飛行機が落ちてきて、のっていた黒人兵士をまるで家畜のように扱い、飼育することになる。それは僕の家の倉庫でである。この三人はそれを恐れつつ怖いもの見たさで楽しんでいる。それもあり、途中、僕はこの黒人に油断してしまい、この黒人の人質になってしまう。けれども僕は助かりこの黒人は殺される。

 最後にはここの村の書記が落ちてきた飛行機にぶつかり死ぬ。

 

犬と飛行機

 まず注目したのは犬と飛行機である。川端康成の「山の音」を読んだとき、蝉の音と対比したように山の音を感じるという場面があったと記憶しているがここも犬という小さい動物から飛行機という大きいものに移り変わるのがうまいとおもった。犬は兎口という少年が連れてきたものである。

 以下のような場面である。

 

 「ほら、見ろ」と兎口はいい、犬を敷石道におろして手を離してみせた。「ほら」

 しかし僕等は犬を見おろすかわりに狭い谷間をおおう空を見上げた。そこは信じられないほど巨きい飛行機がすさまじい速さで通りすぎるのだ。 (77頁)

  

 ここの飛行機が敵機である。「見おろす」から「見上げた」という小→大に切り替わるのがうまいなとおもった。

 

空気の描写

  これはこの小説に多いなという風に思ったので出てきたところを出していく。 (傍点は引用者がつけた。)——

 

 僕は倉庫の高い明かとりからしのび入ってくる淡い月の光に明るまされた黴と小動物の臭いのする湿っぽい空気を…… (79頁)

 

 蹲みこんで待っている僕の首筋に霧粒のまじった空気…… (96頁)

 

 黒人兵の咽は排水孔に水が空気粒をまじえて…… (98頁) 

 

 多分空気や空気感というものを大事にしているのだろう。

 

足や手の描写 

 足や手・その周辺の描写が多いのはサリンジャーの文章を読んでいて思う。それに影響されたかは分からないが、多いなという感じがした。足や手・その周辺の部位の描写が多いとさりげないが身に迫ってくるものを感じる。以下の所にそれを感じた。

 

「山へ行ったら外国兵と間違って撃たれるぞ」と言われた後の場面……

 僕はうなだれて、朝の光に焼けている敷石の上の自分の裸の足、その短くて頑丈な指を見つめた。 (81頁)

 

 弟を起こさないように…

 僕は弟を眼ざめさせないように音をたてず、爪先だちですばやく動きまわった。 (89頁)

 

 黒人兵の食への貪欲なかんじを表す場面……

 黒人兵はすっかり食物をたいらげたあと、煮込のいれられていた皿を指の腹でこすり取りさえしたのだ。 (99頁)

 

 黒人兵が僕をとらえ付ける場面……

 僕の喉に太い掌をおしつけ柔かい皮膚に爪を立てて血みどろにする黒人兵への敵意、…… (122頁)

 

僕や弟や兎口は黒人にわくわくしている

 結構僕や弟や兎口は黒人にわくわくしていたり、一方で怖がっているところもある。またそれが同時期におこるという場面もある。ここらへんが不思議だった。単に好奇心からなのだろうか?

 まあけれども黒人に対して油断するというのは子供らしいというか、甘いよなという風には思った。大人がいないとき、子供たちのみで黒人に近寄ろうというところもあるのだが、もっと規制されてもいいようなところだなと思った。

 

気に入ったところ

 

 しかし、覗き穴には大人たちの眼だけが蝟集して僕を見つめているのだ。 (121頁)

 

 草原にところどころ突出する黒い岩に橇がぶつかりそうになると少年の裸の足が草原を蹴りつけて橇に方向転換させるのだ。 (126頁)

 

上の方は僕が黒人にとらえられているとき弟には見られたくないと思っていたが弟は見ておらず、大人だけが見ていたというところ。蝟集で「いしゅう」と読む。短くていい言葉だなと思った。

 意味は「蝟集」で「一つの場所に多くのものが一度に群がること。」 (国語辞典オンライン参照)

下の方は堕落した黒人兵の飛行機の尾翼を橇にして子供たちが遊んでいるところ。「裸の足が草原を蹴りつけて橇に方向転換させる。」——細かいが気に入った。

 

感想 

 細かい描写と小動物を交えた表現が多いという印象である。それにしても、細かい描写はうまいなとおもった。細かすぎると目を背けたくなる、或は飛ばしたくこともしばしばあるのだが、(ここは読んでおこう)と思わせるほどの文だったので読んでいった。次に読むときはこの小説中にも結構よく出てくるものの今回は飛ばしてしまった季節の事や出てくる人物の汗に注目して読んでいきたいと思う。

 

参考

 手元にある物ー大江健三郎、「死者の奢り・飼育」、新潮文庫、1985年

 

(「飼育」は第39回(1958年上半期)の芥川賞受賞作である。

雑誌発表年次ー「飼育」・昭和33年(1958年)一月号「文学界」)