第135回 (2006年上半期) 芥川賞受賞作/伊藤たかみ著「八月の路上に捨てる」を読む

 あまり~賞をとったがゆえに読むというのは読む理由としていいものではないだろうが、読んだ理由としてそれ以外ない。現代の作家には疎い。そのため一応この賞をとれば話題にはなるという芥川賞をとった作品を読んでいきたいと思っている。

 

 

話の内容

 主人公である敦がバイトの自動販売機の補充中に同僚の水城さんに結婚生活の話を聞かせるというものである。それは決していい生活とはいえない。——まず結婚届を出すときでさえ、敦は不愉快であった。また敦の結婚相手である知恵子は仕事をやめたり、智恵子が学生時代にやっていた趣味をやり始めそれを敦が不気味だと感じたり、その趣味に使う金額が高額であったり、敦が浮気相手を見つけ出したり……そしてついに敦は離婚を決意することにした。その話を聞く水城さんもまた離婚経験者である。

 

印象に残ったところ

1. 伊藤たかみは実際に自動販売機の補充というバイトをしていたのか?と思うほどリアルな描写がある

 この作品には自動販売機のバイトの描写が良く出てくる。実際にバイトをしていたのか、と思うほどである。例えば缶を投入する描写は以下のような感じである。

 

 黙々と仕事を続ける水城さんに見入っていた。段ボールケースに腕を突っ込み、缶コーヒーを取りだしている。腕を折り曲げたまますくい上げると、肘の内側に缶が積み上がった。百九十ミリリットリ缶、通称イチキュウ缶だ。彼女は、缶のピラミッドが力こぶで乱れるのを微調整しながら、腕を固めてそのまま運んだ。開いた自動販売機の商品投入口にそろそろと近づけた。 (9頁)

 

 上のものは本書最初の頁である。「缶のピラミッドが力こぶで乱れるのを微調整しながら」というところがリアルだなと思った。「百九十ミリリットル缶、通称イチキュウ缶」というものが本当にあるかわからないが、実際バイトが使っていそうな用語であると思った。

 

或は次のようなところがリアルだと思った。

 

 自動販売機に設置しているゴミ箱には、空き缶だけでなくハンバーガーの包み紙や、捨て場を失ったエロDVDなどが無理矢理押し込まれていた。いつものことだ。分別は営業所でやるので、水城さんはとりあえずまとめてゴミ袋の口をしばった。 (21頁)

 

 空き缶だけでなく、それ以外のものも自販機傍のゴミ箱に捨てられている、そして「分別は営業所でやるので……」というところにリアリティーを感じた。

 

 他には、次のような物がバイト特有のものなのか、と思った。

 

 小さなドンゴロスを座席の間に置いた。 (24頁)

 

 やがて二トン車は、量販店の商品搬入口に潜り込む。わざわざ搬入口を設けているのは、この辺りだと珍しいことだった。駐車に頭を悩ませることもない。夏でなければ、ゆったりと仕事もできただろう。だがこの日は六時帰社を目指していたので、水城さんは急いだ。トラックを降りるやいなや「ネコ」と命令する。ネコというのは、ジュースのケースを運ぶ際に使う荷車だった。 (46頁)

 

 ドンゴロスというのは麻袋のことらしい。あまり、普通は使わないので留めておこうと思った。それから「ネコ」というのは書いてあるが、荷車のことであるようだ。実際そう呼んでいるか知らないが、それっぽいと思った。 

 

 或仕事、或バイト独特のものが作品中に出てくると(これはその仕事に就かないと書けないな)と思う点で注目したくなる。

 

2. 主人公敦がふと物をみるところが印象的だった

 作中に主人公敦がふとなにか、ものを見るという場面があり、そこが意外と重要な意味を持っているように思えた。以下、二つ引用する。

 

敦はなぜか醤油差しの注ぎ口ばかり見ていた。垂れた醤油がこびりついている。はっきりしない不満のように凝り固まっていた。 (40-41頁)

 

 知恵子を見ているのに耐えきれなくなってきて、台所に視線を移す。すると、蛍光灯が一本切れたままであることに気がついた。息が整うにつれて、部屋の隅が埃だらけなことにも気がついた。壁に何かを投げつけた跡があることも気がついた。あちこち、壊れている。とうの昔に壊れていたのに、ずっと気づかずにいた。

 そこで、発作的に離婚してくださいと言った。 (61頁)

  

 上の40-41頁のところはここの場面で知恵子が趣味にお金を使っているが、働いていないとわかる場面。「醤油がこびりついている」という表現と、敦の不満とが被った感じがする。

 下の61頁のところは敦が離婚してほしいという場面である。蛍光灯や壁にいいイメージを抱いておらず、発作的に離婚してほしい、と敦は言った。

 どちらも物語上、大きな意味をもつが、ふと物をみたことを挟んでいるのがいいと思った。 

全体的な感想

 生活でなにか不満があるということを主人公の敦はふと同僚の水城さんに話す。けれども水城さんは嫌な感じがしない人物であった。また敦は離婚を言い出せたり、別居前に別れることとなる知恵子とデートをする。本当に嫌いな仲であったらこんなことをするか、という疑問をもった。だからあまり嫌いだということではなく、平穏な別れなのかもしれない。

 表紙が自販機を左側に置いてあり、印象的だった。空と植物と少しの舗道以外、赤と白で構成されている。

 解説の津村記久子の文が気に入った。次のようなものである。

 

 誰かの手によって、缶は自動販売機にセットされる。当たり前のことである。しかし「八月の路上に捨てる」と読んだ後は、そのことが輝きを帯びる。気がついたら、歩道を歩きながら、自動販売機を探している。そこに缶を入れている人たちについて、中に飲み物を詰める機械を操作している人たち、缶を作っている人たちについて考える。

 

 この作品を読んだ後、確かに津村記久子が書くように自動販売機に関わる人たちに注目しようという理由から、自動販売機を探して見たくなる、かもしれない。

 

 

 芥川龍之介は好きな作家ではあるが、芥川賞というのは芥川龍之介がどのくらい及ぶものか、ということは正直分からない。というよりも例えば今回読んだ第135回であれば第135回の審査員が選考する力を握っていると思う。第135回の審査員は高樹のぶ子・宮本輝・黒井千次・石原慎太郎・山田詠美・池澤夏樹・村上龍・河野多恵子の八名である。芥川に詳しくなる、というよりはむしろこの選考委員陣の作品や人柄に詳しくなったほうが良いのかもしれない。

 

参考

手元にある物—伊藤たかみ、『八月の路上に捨てる』、2009年、文春文庫

 

(単行本2006年8月 文藝春秋刊。)