星新一著『きまぐれ暦』を読む

 久しぶりに星新一の本を読んだ。『きまぐれ暦』は星新一のエッセー集である。共感したもの、独特だと思ったものを並べていく。——

 

33頁 考えてみると私は、マスメのなかには規格的な字を書き、マスメがないと個性的となる。

 

42頁 私にとっての犯罪とは、フィクションの世界のものである。小説構成の材料で、それは事実よりも奇なものでなくてはならない。現実の犯罪を超越したものでなくてはならぬ。

 

54頁 「手紙の書き方」などの本に出てくる模範文みたいなたよりをもらって、うれしがって何度も読み返す人などいないはずだ。私は太宰治の文が好きで、暗記してしまった部分もあるほどだが小説の筋の方はほとんど思い出せない。文体そのものが内容で、太宰治がそこにいる。

 

107-108頁 美術館というやつは「名作ぞろい」で、よそよそしく面白くない。だが古美術店の品々には庶民的なムードがあっていい。私は江戸時代の看板を何枚か買い、自分の室の壁に飾ってある。

  

 気になったところは星新一が王子駅の傍には飛烏山公園があると少年時代に憶えていること。(230-235頁) 

 烏であり鳥ではない。星新一によると当時の市電では「飛烏山行」と書いた市電が走っていたという。アスカ山の研究をしている森さんという方に聞くと、「市電の駅ができた時、たぶん東京市のその係の人がだろう、飛烏山と書いてしまったというのだ。勘ちがいかもしれない。神武天皇の八咫烏の神話からの連想のせいかもしれない。カラスの飛烏山が発生した。」(234頁) と言っていたようだ。「飛烏山行」と書いてある市電の写真を見てみたい。

 

 

参考 

手元にあるもの—星新一、『きまぐれ暦』、1979年、新潮文庫

(この作品集は昭和五十年(1975年)十二月河出書房新社より刊行された。)