芥川龍之介の作品を読み漁る——「歯車」、「暗中問答」

「歯車」

結婚式に向かうという点では「たね子の憂鬱」と同じような設定、また、姉の夫の肖像画を見た時、姉の夫の口髭——顔の一パーツ——がぼんやりしているようで気になるというところも「たね子の憂鬱」と似ている。歯車を見たりレインコートを着た幽霊が出るのかという問題が「歯車」では中心。

自分は「歯車」を一回読んだことがあり読み返してみて、列車の中で女生徒が誰かの足を踏み「御免なさいまし」と声をかけたことがませているだけに却って女生徒らしかったというところはなぜか強烈に印象に残っていた。この話ではよく色が出てくる。「沼地」に出てきた緑色と黄色に絞って載せていく—(精神病院へ行きたいというシーン)タクシイは容易に通らなかった。のみならずたまに通ったのは必ず黄色い車だった。(この黄色いタクシイはなぜか僕に交通事故の面倒をかけるのを常としていた。)そのうちに僕は縁起の好い緑いろの車を見つけ、とにかく青山の墓地に近い精神病院へ出かけることにした。……(丸善にて)それから「宗教」と云う書棚の前に足を休め、緑色の表紙をした一冊の本へ目を通した。……(彫刻家と話しているシーン)僕はふと口をつぐみ、鏡の中に彼の後ろ姿を見つめた。彼はちょうど耳の下に黄色い膏薬を貼りつけていた。……(ロビーにアメリカ人らしい女がいるというシーン)彼女の着ているのは遠目に見ても緑いろのドレッスに違いなかった。僕は何か救われたのを感じ、じっと夜の開けるのを待つことにした。……(手紙が来たシーン)それから今度は手当たり次第に一つの手紙の封を切り、黄色い書簡箋に目を通した。…三番目に封を切った手紙は僕の甥から来たものだった。僕はやっと一息つき、家事上の問題などを読んでいった。けれどもそれさえ最後へ来ると、いきなり僕を打ちのめした。「歌集『赤光』の再版を送りますから…」赤光!僕は何ものかの冷笑を感じ、僕の部屋の外へ避難することにした。……(飛行機)そこへ僕等を驚かしたのは、烈しい飛行機の響きだった。僕は思わず空を見上げ、松の梢に触れないばかりに舞い上がった飛行機を発見した。それは翼を黄色に塗った、珍しい単葉の飛行機だった。鶏や犬はこの響きに驚き、それぞれ八方へ逃げまわった。殊に犬は吠えたてながら、尾を巻いて緑の下へ入ってしまった。

——この話だと芥川は黄色の後には悪いことが続き、緑はどちらかという好い色としてとらえているのではと思った。「沼地」でも気違いが草木を緑を使わず黄色を使って描いている。

 

「闇中問答」

或声と僕との問答。或声を僕は最終的に悪魔だとしている。「侏儒の言葉」のように格言的な文章が多かったので挙げておく。

或声—風流人はどちらかを選ばなければならぬ。 僕—僕は生憎風流人よりもずっと他慾に生まれついている。しかし将来は一人の女よりも古瀬戸の茶碗を選ぶかもしれない。 或声―ではお前は不徹底だ。 僕—もしそれを不徹底と云うならば、インフルエンザに罹った後も冷水摩擦をやっているものは誰よりも徹底しているだろう。

或声―お前には思想と云うものはない。偶々あるのは矛盾だらけの思想だ。 僕—それは僕の進歩する証拠だ。阿呆はいつまでも太陽は盥よりも小さいと思っている。 或声—お前の傲慢はお前を殺すぞ。 僕—僕は時々こう思っている。——あるいは僕は畳の上では往生しない人間かも知れない。 或声―お前は死を恐れないと見えるな?な? 僕—僕は死ぬことを怖れている。が、死ぬことは困難ではない。僕は二三度頸をくくったものだ。しかし二十秒ばかり苦しんだ後はある快感さえ感じて来る。僕は死よりも不快なことに会えば、いつでも死ぬのにためらわないつもりだ。

或声―お前はお前のしたことをどこまでも是認するつもりだな。 僕—どこまでも是認しているとすれば、何もお前と問答などはしない。 或声―ではやはり是認しずにいるか? 僕—僕はただあきらめている。 或声―しかしお前の責任はどうする? 僕—四分の一は僕の遺伝、四分の一は僕の境遇、四分の一は僕の偶然、——僕の責任は四分の一だけだ。

或声―しかしお前は自殺しなかった。とにかくお前は力を持っている。 僕—僕はたびたび自殺しようとした。殊に自然らしい死に方をするために一日に蠅を十匹ずつ食った。蠅を細かにむしったうえ、飲み込んでしまうのは何でもない。しかし噛みつぶすのはきたない気がした。

或声―お前の書いたものは独創的だ。 僕—いや、決して独創的ではない。第一誰が独創的だったのか?古今の天才の書いたものでもプロトタイプは至る所にある。就中僕は度たび盗んだ。

或声—ペンを持っている時には来いと云うのだな。 僕—誰が来いと云うものか!僕は群小作家の一人だ。また群小作家の一人になりたいと思っているものだ。平和はその他に得られるものではない。しかしペンを持っている時にはお前のとりこになるかも知れない。

 

参考 芥川龍之介、1991年、『芥川龍之介全集6』、ちくま文庫