芥川龍之介の作品を読み漁る—「海のほとり」「尼提」「死後」「年末の一日」

「海のほとり」

芥川(ぼく)がm(久米正雄とされる)と上総の宮町海岸に行った時の話で、宿で哲学科にいたkという男の夢をみたり、海に行くとkが海月にやられたり派手な水着姿の女がいたり、ながらみ取りの幽霊は本当にいるのか等と話し合っている。海際の美しい描写を二つ載せておく—「浜伝いにs村へ出る途は高い砂山の裾をまわり、ちょうど海水浴区域とは反対の方角に向っていた。海は勿論砂山に隠れ、浪の音もかすかにしか聞こえなかった。しかし疎らに生え伸びた草は何か黒い穂に出ながら、絶えず潮風にそよいでいた。」、「僕らはmのこういったとき、いつの間にかもう風の落ちた、人気のない渚を歩いていた。あたりは広い砂の上にまだ千鳥の足跡さえかすかに見えるほど明るかった。しかし海だけは見渡す限り、はるかに弧を描いた浪打ち際に一すじの水沫を残したまま、一面に黒ぐろと暮れかかっていた。」。

 

「尼提(にだい)」

舞台は古代のインドにあった都城である舎衛城。尼提という、便を始末する身分の低い、貧しい人がいつものように糞尿を瓦器の中に集め、それを背負ったままいろいろの店の軒を並べた狭苦しい路を歩いていると、一人の僧侶に出会った——その僧侶は釈迦如来で、尼提はその弟子となり、聴法(説教を聞くこと)をつづけた結果ついに初果(生死を超越する)したという話。

 

「死後」

あらすじ 僕が見た夢の話。そこでは僕は死んでおり妻は一人の男とできていたが、男はちゃんとした人ではなくて、また妻自身尊敬をもって接しているわけではないと知って不快に思い、妻を叱った。——夢の中で利己主義者になっていたが、それは現実の僕と同じところもあるのではないかと僕は思う。最終的に再度寝るため、また病的に良心の昂進するのを避けるため0.5gの催眠剤、アダリン錠をのみ眠りにつくというところで終わっている。 

気に入った表現 道はもう暮れかかっていた。のみならず道に敷いた石灰殻も霧雨も露かに濡れ透っていた。僕はまだ余憤を感じたまま、出来るだけ足早に歩いて行った。が、いくら歩いて行っても、枳殻垣はやはり僕の行手に長ながとつづいているばかりだった。

 

「年末の一日」

僕が新年号の仕事を三篇、夜明け前に片づけk君(高野敬録)と動坂を通り、雑司ヶ谷の夏目漱石の墓に電車で行ったがなかなか見つからず……墓地掃除の女に教わりやっと見つけ、帰りの途中、北区八幡坂辺りで東京胞衣会社(胎児を包んだ膜や胎盤の処理をした会社。胞衣を捨てることは法律上禁止されている)と書いてある箱車を押す男を見つけ休んでいたため、僕がぐんぐんと興奮しながらも箱車を押し続けたという話。

印象的だった表現 行きの電車の中でのシーン——僕等はしばらく待った後、護国寺前行の電車に乗った。電車は割り合いにこまなかった。k君は外套の襟を立てたまま、この頃先生の短尺(短編)を一枚やっと手に入れた話などをしていた。すると富士前を通り越した頃、電車の中ほどの電球が一つ、偶然抜け落ちてこなごなになった。そこには顔も身なりも悪い二十四五の女が一人、片手に大きい包を持ち、片手に吊革につかまっていた。電球は床へ落ちる途端に彼女の前髪をかすめたらしかった。彼女は妙な顔をしたなり、電車内の人々を眺めまわした。それは人々の同情を、——少くとも人々の注意だけは引こうとする顔に違いなかった。が、誰も言い合わせたように全然彼女には冷淡だった。僕はk君と話しながら、何か拍子抜けした彼女の顔に可笑しさよりもむしろはかなさを感じた。

 

参考 芥川龍之介、1991年、『芥川龍之介全集6』、ちくま文庫