井上ひさしの『新釈遠野物語』を読む

遠野物語はさらっとしか読んだことがないが、この本を手にしてみることに。遠野物語だと、遠野の人佐々木鏡石君から聞いた話が描いてあるが、井上ひさしのものだと主人公であるぼくが大学の文学部を休学しているときに、遠野で出会ったトランペット吹きの犬伏老人から聞いた話が描いてある。

総評 ぼくと犬伏老人との会話を「」で、犬伏老人の過去の話を『』で示すのはわかりやすい。遠野物語はあまり読んだことがないので詳しくはわからないがあからさまに遠野物語を参照して話を作ったという訳ではないと思う。また、最終的に、情事にふけったり死んだりということが多かった。けれどもそれぞれ、そこそこ面白い。この本では、全部で9つに分かれているので章毎、紹介していく。

鍋の中 ぼくと犬伏老人の出会いがまずある。ぼくは休学をし、遠野の国立療養所が職員を募集していたので、そこで働くことにした。昼休み、ぼくが山の中にいると、トランペットの音が聞こえてきた。しかも、毎日聞こえてきて習慣になった。岩穴を覗くと、犬伏老人がいた。老人は昔、東京のある交響楽団の首席トランペット奏者だった。——老人は遠野に演奏旅行に出かけていたが、妻の危篤の為帰ろうとした。しかし、途中で道に迷い、夜遅くなり雪も降ってきたため一軒の家に泊めてもらうことにした。そこには二十六,七の垢ぬけた女がいたが主人が厳しいため、主人の許可を取ってから泊めるかどうか判断するといわれた。じつはこの女、主人に東京でさらわれてしまった。また、犬伏老人もさらわれるだろうといった。しかし、助かる方法がひとつだけあると女は言った。それは、信妙寺という寺に逃げ込むことだという。老人は寺の山門についたが、山門は閉まっていた。『開けてください』と叫ぶと『ぎゃー』という絶叫があった。それは危篤の妻の声に違いない。老人は山門の金具にしがみついた。しかし、よくみると山門の金具というのは、妻の乳房だった。——「これは夢だ、第一、遠野にまでオーケストラが来るものか」と老人は言った。この章は老人の夢の話。もっとも、トランペット奏者であったことは確からしいが。

川上の家 犬伏老人が小学生の頃、宮沢賢治の「風の又三郎」にでてきそうな奇妙な子が転校してきた。顔が赤い、羽織ったどてらを着た川辺孝太郎という子で、犬伏老人が弟と歩いていると、川辺君の唇が耳元まで裂けた気がした。それは河童のようだった。

雉子娘 黒森が舞台。これも、宮沢賢治の話であったような気がする。黒森に行く途中、幅三間ほどの川があり、雉子川という。老人は、お金が尽きたので、ここに住む本家の家においてもらうことにした。そこの家には、黒森の御隠居の蝙蝠占いなるものがある。それは誰か行方不明になるとご隠居は数十匹の蝙蝠の飛ぶさまをじっと睨み、口でぶつぶつ唱えながら、蝙蝠の飛び交うさまで、行方不明の人や物の居どころやありかがわかるというものだ。その当時は飢饉で、そのさなか、源作という男の娘が病気になった。そこで、源作は娘のために、屋敷に忍び寄り、米を盗もうとした。御隠居は蝙蝠占いをはじめ、すぐに原作は死んでいたのが発見された。一方、娘の志保はすっかり持ち直したが、ある時、足を怪我した雉子が現れた。志保は雉子を看病した結果、すっかり雉子はよくなった。しかし、雉子は蝙蝠と喧嘩をはじめ、雉子が勝ったが、伯父に銃で殺された。志保はどこかへ行ってしまい、見つからなかったという話。

冷し馬 冷し馬というのは遠野物語67を参照しているよう。人間と馬が好きになることもあるということが描かれている。

狐つきおよね 遠野物語60と101には狐が出てくる——ほんとうに、遠野では狐が多い、というところから始まる。老人が呉服商をやっていたころの話。荒金集落というところに、およねというかわいい子がおり老人は惚れ、結婚もしたが狐だったという話。

笛吹峠の話売り 犬伏老人の今度の妻は娼婦だった。おきぬといった。しかし次第に美人になってきた。老人は、呉服屋は流行らないということで、商売替えをすることに。伝手を頼って大槌の駄ンコ—馬を引いて駄賃を稼ぐもののこと—をすることにした。それは金になるものの、骨の折れることも多い。一つは夜通し歩く必要がある、もう一つは笛吹峠という、山犬が出る難所を歩かなければならない。そのためじゃらじゃらと山犬よけの鈴を鳴らす必要がある。ある夜、その峠を歩いていると、小さな火があった。それはある髭を生やした爺さんの煙草の日だった。このじいさんは話売りらしく、お金を渡すと話をしてくれた。最初の話は、老人の命を救ってくれるほどのものだったので、二回目の『百回聞いて相手を疑え』という話を言われたことも老人は信じることにした。老人が家に帰ると、妻のほかに人影が見えた。しかし、おきぬは違うといった。けれども老人は怒った。『この売女め、よくも裏切ったな』更に、老人はおきぬを足蹴りした。すると倒れ、死んでしまった。しかし実は老人が影だと思っていたものはおきぬの作った藁人形で、老人の留守が寂しいため、その人形に老人の着物を着せ酒を勧める真似をしていたのだ。

水面の影 妻の死後、自棄になった老人は、大酒を飲み、喧嘩をし、……ご乱行をし、警察に捕まってしまった。しかし、当時近くにある鉄鉱山は国策で進められており、警察に捕まる代わりに、そこの津田某というものに雇われることとなった。そこには何人も監督と称するものがいたが、特に沢松というのはひどい鬼で、散々いじめられた。それから逃げられたのは、折檻をされ左の小指をねじおられた金田という者以外いなかった。……私は逃げることにし、ある山小屋を見つけた。そこには右手の小指がない男がいた。——金田か。そして、金田は追ってきた沢松を殺してしまったかもしれないという話。

この前、芥川の「疑惑」を読んだばかりで、左手の小指がない男、というのに敏感になっており、この話でも左手の小指がない金田という男が出てきたので気にしていたが後に出てきたのは右手の小指がない男というもの。これは印刷ミスなのか、それとも読み違いなのか……

鰻と赤飯 老人が鉱山の事務所で帳面をつけていた時、佐保田という集落での出来事。そこには、古手の会計係の鰻というあだ名の会計係のおじさんがいた。初夏のこと、仲間が大祭のとき、裏山で酒を飲んでおり、魚でもつかまえようとしたが、鰻は『それはよせ』といった。……それから、老人は課長に呼ばれた。実は鰻は会社の金を毎月5円ほど横領しているというのだ。そのため、老人は鰻を見守ることに。女とでも遊んでいるのではないかと思っていたが、そうではなく、お座敷で鯉が料理されるのがかわいそうで買い取っていたのだ。横領したことは事実であったが。

また、例の大祭がやってきた。今度こそ沼の魚をとろうと、誰ともなく話が出て、ポンプで沼の水のかいだしが始まったが水が半分頃になったころ坊さんがやめるように言ってきた。そのためこの坊さんに誰かが赤飯の折詰を渡した。しかしやめず……。やがて大鰻が見えてきたがその顔はあの会計係の鰻そっくりだった。そして、中を割ると、赤飯がでてきた。つまり、大鰻、坊さん、会計係の鰻が同一人物だったのではないかという話。

狐穴 ぼくは国立療養所で働いて三年を迎えた。ぼくは復学することにし、お世話になったということで手土産に老人に天婦羅油をあげることにした。というのも、老人は岩屋での生活は冷えるので、時々油でも舐めたい、といったからだ。岩屋に向かう途中、ぼくは狐穴に気づく。

老人は最後の話を始めた。それは老人がある男が馬なのか人間か、また、女が狐か人間かと障子に穴をあけ見ながら思っていたが、実はそれは障子の穴ではなく馬の尻の穴だった——つまり、老人は狐にだまされたという話。老人、ぼくともども笑ってしまった。……やがて老人はトランペットをくれた。ぼくは何度も力強く息を吹き込んだが、やがて息切れした。みるとそれはトランペットではなく松の枝だった。また、犬伏老人だと思っていたのは虎穴だった。

 

参考

井上ひさし、2004年、『新釈遠野物語』、新潮文庫