丸谷才一著「年の残り」(第59回 (1968年上半期) 芥川賞受賞作)を読む

 「芥川賞全集 第8巻」が手元にあるのでこの本に入っている作品についての感想を書いていきたい。

 

内容

 69歳の医者の上原庸という人物が主人公。そこに高校一年生の後藤正也という人物が腹が痛いということでやって来る。上原は息子が死んでしまいおらず、また、後藤の受かった高校が同じだという事で、……あるいはなぜ後藤のことを気に入るのかという考えが作中でめぐらされるのだが、後藤のことを気に入って、昔画を描いていたときのことや上原の高校時代のころの写真をみせる。

 

 上原の中学のころの同級生に絵の上手な男がいて、多比良という人物だった。しかし彼は菓子屋になっていた。その人物が自殺してしまったという電話を受けた。

 

 他にも上原と付き合いのあったものに魚崎という英文学者の人物がいて、魚崎の妻はだいぶ前だが、自殺してしまっていた。

 

 上原が昔起きたことを振り返りつつも、多比良の死、または魚崎の妻の死を中心に話は進む。

 また、上原はストイックなのかということや、ストア学派であったり、マルクス・アウレリウスの言葉を中心に上原がどう考えるかがかいてある。

 

感想 

 わかったところはあるものの全体としては年齢のせいもあるのだろうか、わかりきれない部分もあった。「年の残り」に出てくる69歳の主人物を描いた丸谷才一の当時の年は42歳のようだ。芥川賞の作品では中山義秀の「厚物咲」の主人公は70歳代だが、中山の当時の年齢は38歳だった。

 

 文末が……で終わったり、()で後付けされていたり、「……だが」で終わっていたり、最後の方の文は文に消印が引かれていたり、いろいろな工夫を見た。

 

 人称は同人物がいろいろな呼び方でころころと変わっているという印象をもった。

 

   三島由紀夫が選評で「ペダンティックなところはあり、」といっているがたしかにそのような気もする。知識が豊富だというのは楽しめていいが一つそれを突き詰めていくというよりはそれが散らばっていたような印象もある。

 

選評

 三島由紀夫は以下のようにいう。

 ぺダンティックなところはあり、いかにも花のない作家であるが、今度の作で何かを確実に把握したという感じがある。人生、老、病、死の不可知を扱って、それを不可知のままで詠嘆に流しているのではなく、作家としての一つの苦い観点を確保したと思われる。 (491頁)

 

参考

今回読んだもの 丸谷才一、「年の残り」 (「芥川賞全集 第8巻」より)、文藝春秋、1982年

田中慎弥著「共喰い」(第146回 (2011年下半期) 芥川賞受賞作)を読む

 これもまた最近の芥川賞を取ったものだけど読んでみた。

 

 内容は女との行為のときに殴りつけるという癖がある父親をもつ篠垣遠馬という人物が父と同じような癖を表すのか、という事であったり、父は妻とは別居中で、他の女と暮らしているのだがどういうふうに行動するのかということが書かれたものである。

 

 著者は山口県出身のようなので、そこでの方言が用いられているのか、本文でも会話文はほとんど方言だった。あまり正確な意味はわからなかったけど、雰囲気は出ていたと思う。

 川辺の様子であったり生き物の描写が作中に効果的に使われていたと思う。

 

 後半は読解力不足でついていけたとは言えない。

 

参考

田中慎弥、「共喰い」、集英社文庫、2013年

長嶋有著「猛スピードで母は」(第126回 (2001年下半期) 芥川賞受賞作)を読む

内容

 舞台は北海道。話は雪のため、車のタイヤを母とその息子の小学生である慎が交換するところから始まる。

 慎は母と二人暮らしをしており、時々祖父母の家に行く。

 

 母が結婚するかであったり、慎の学校での様子が中心にかかれている。

 

感想

 最近はあまり新しいとは言えない芥川賞をとった本を読んでいたのもあって、これを読んで(軽々とかかれている)と思った。しかしだからといって悪いと思ったわけではない。

 出てくる単語はおばけのQ太郎であったり手塚治虫だったり聞いたことのあるものだった。

 

 話は母のことが中心にかかれていて、切り替わりが多いという印象だった。筋をあまり意識していると言うわけではなく母に関するエピソードが散らばっているという印象をもった。けれども話の内容はばらばらというわけではなく、学校でのいじめの問題であったり、学校に母が来ないことであったり、病気の問題であったり、普通の内容であった。

 

 印象にのこったところは、二つある。

 

 母がかぎっ子である真の身の安全に関することはあまり注意はなかったというところがひとつめである。

 母がサッカーゴールの前で両手を広げ立っている様を慎はなぜか想像した。PKの瞬間のゴールキーパーを。PKのルールはもとよりゴールキーパーには圧倒的に不利だ。想像の中の母は、慎がなにかの偶然や不運な事故で窓枠の手すりを滑り落ちてしまったとしても決して悔やむまいとはじめから決めているのだ。 (112頁)

 安全が確実とは言えないという比喩でサッカーのゴールキーパーをもってくるのがいいと思った。

 

 もうひとつは母がガソリンスタンドでバイトをしていた時に慎に朗読をしてくれた時の話だ。 

 母は少し急ぎ気味に朗読した。読んだらすぐに仕事にでかけなければならないのだ。しかしなぜか頁をめくるときだけはゆっくりだった。「『ジルベルトとかぜ』」母は抑揚を付けて朗読するのが苦手だった。「かぜくん、ねえ、かぜくん!」という主人公の台詞の部分と「もちろんかぜは、しっているんだ」という地の文章の部分はまったく同じ調子だった。しかしそのせいで母の朗読は妙な憂いを帯びた。 (91頁)

 

参考

今回読んだもの 長嶋有、「猛スピードで母は」、文集文庫、2005年

(初出誌 猛スピードで母は 「文藝界」、2001年11月号)

髙樹のぶ子著「光抱く友よ」(第90回 (1983年下半期) 芥川賞受賞作)を読む

 第90回は笠原淳の「杢二の世界」と髙樹のぶ子の「光抱く友よ」が芥川賞を受賞している。以下話の内容や感想などを述べる。

 

 

内容 

 主人公は高校に通う相馬涼子。英語教師の三島良介に惹かれていた。

 ある時涼子は二階へ通じる踊り場辺りで甲高い三島の声を聞いた。三島は怒っていた。怒られていたのは松尾勝美という、出席が足りないため涼子と同じクラスになっている女だった。(あの態度は教師としてどうなのか……)と涼子はむきになった。

 先ほどどうして怒られたかということを涼子が勝美に聞くと、三島がかつて<服装がどうなの男がどうだの>と書いた手紙を勝美に送ったのでその返事として手紙を三島の元へ返したが、それは字が下手な勝美の母が書いたもので三島は勝美に「こんな子供みたいな字を書く大人がいるか」と怒鳴ったのだという。勝美が「あんた、字い上手い」と聞いてきたので、涼子は三島への怒りもあり、手紙を勝美の母のふりをして書いてあげることにした。

 

 その後は冬休みに入って、涼子が勝美の家に行くと勝美とアルコールでボロボロになった母親が喧嘩をしているところであったり、勝美の部屋にはマートンという彼からもらった星マニアからもらった宇宙画や天体画があるのだがその様子が書かれていたり、涼子の父が生物系の大学の先生なのだが宇宙画を見て顕微鏡を覗いているときの気持ちを思い出したりしている。

 

感想

 話の筋はそう難しいものだとは思わない。——主人公が先生に惹かれたが同級生に怒っているのを見て嫌になり……その同級生は母に問題を抱えており、それが主に書かれている——しかし書かれている言葉はそう読み易いとはいえず、描写ごとに手の込んだものだと思った。松尾勝美が母親と喧嘩するシーンは相当込んだものだとおもった、また、松尾が星を見るというシーンはいまいちわからなかったので物語が複雑になっていったと感じた。

 

 松尾勝美が星の写真を部屋に飾っていたのもあって、主人公の涼子の父親が大学から天体望遠鏡を借りてきたので涼子は勝美を一緒に誘ったという場面があったが、勝美はあまり喜んでいるというわけではないので涼子が「松尾さん、あなた、本当に星を見るの好きなの」と聞く。この後京子は松尾は(もっと別のものを見ていたのかもしれない)と推測するのだが、ここで松尾がなぜ星を見ていたのかというのは現況から目を背けたい気持ちもあったのか、あまりはっきりしないが気になった。

 

 印象に残ったところは話の筋とは関係ないが、松尾の家は埋立地のそばにあってそこへ涼子と松尾が行ってテトラポッドにのぼったという場面。

 別の日、ふたりは埋立地のはずれに積み上げられたテトラポッドにのぼった。砕かれ、行き場を失った波の飛沫が、きまった間隔をおいて足の下から跳ね上がっていた。小動物のように首をもたげてはあたりを濡らす飛沫と、輪郭も溶けてしまった西陽とを交互に見較べて、「おお寒う」と涼子は言った。松尾は返事をせず、黙って靴下を脱いでいた。 (167頁)

 

選評

 選考委員には遠藤周作、大江健三郎、開高健、中村光夫、丹羽文雄、丸谷才一、安岡章太郎、吉行淳之介の八委員が出席した。

 

 大江健三郎は髙樹のぶ子の「光抱く友よ」について以下のようにいう。

 髙樹に小説の全体への仕組みはとくになく、言葉も丹念に書き込んでゆくのみである。しかし髙樹には、新しい作家の勢いを確実につみかさねてきたところがある。さらには自分独自の人間観察を表明するために書く、という態度がこれまでつねにあった。 (296頁)

 

参考

今回読んだもの 髙樹のぶ子、「光抱く友よ」 (「芥川賞全集 第13巻」より)、文藝春秋、1989年

笠原淳著「杢二の世界」(第90回 (1983年下半期) 芥川賞受賞作)を読む

以下話の内容や感想などを述べる。

 

 

内容

 話は最初杢の兄とその嫁典子とその子で小学三年生になる息子の悟が出てくるところから始まる。ふと悟が兄に「……杢二さんかと思った」というところで、杢二の兄は杢二のことを思い出し話は進んでいく。

 杢二は兄とは随分年の離れた末弟であり、兄や姉から疎んじられることがあった。たまに兄の家に金の無心のため来るのだがどのように距離を取っていいのかわからないところがあった。兄は仕事の世話をしたこともあったが杢二はうまくいかなかったようだ。やがて杢二は働いていたビルの屋上から墜死した。

 

 その後数年か経って杢二の兄は杢二が同棲していた女タマキのアパートを訪ねてみようと思い立った。そして杢二の遺品をまとめて紙袋に入れてもらい、それを見て思い出すという事が中心で書かれている。

 

感想

 「杢二の世界」という題名ではあるが話の切り替えなど中心的に書かれている人物は杢二の兄である。兄は間柄などは書かれている。しかし兄の人称を目立たせようとした書き方ではない。

 話はスペースがあるわけではなく突然主人公から杢二、杢二の話から現在の話に切り替わることもあるが大して戸惑うわけではない、(ここで切り替わったのだろう)となんとなくではあるがわかった。

 (セスナ機を落としたのは僕だ)と杢二が言ったり、杢二の妻のことを主人公である杢二の兄は(白身の魚みたい)と思う場面がある。いずれも独特な捉え方をしていると思った。それが後の文にうまくというべきか、自由にというべきか、つなげていた。たしかに後々つなげ易そうな捉え方をした文だと思った。

 

選評

 受賞作には他に高樹のぶ子の「光抱く友よ」がある。候補作には梅原稜子「四国山」、干刈あがたの「ウホッホ探検隊」などがある。

 

 選考委員会には遠藤周作、大江健三郎、開高健、中村光夫、丹羽文雄、丸谷才一、安岡章太郎、吉行淳之介の八委員が出席した。

 

 吉行淳之介は以下のようにいう。

 「杢二の世界」(笠原淳)は、語り手の弟の杢二というタイプに興味があった。おそらく、これは分身小説の一種であろうが、兄である語り手と杢二とが作品の中で、はっきり兄弟として存在していて、そこがよかった。因みに、杢二が同棲している女から別れを告げられ、びっくりして「さっき、一緒に飯を食ったのにな」と答えるところで、候補作を読む作業をしていて久しぶりに笑った。ユーモアがあると同時に、杢二の性格がよく出ている。 (295頁)

 

参考

今回読んだもの 笠原淳、「杢二の世界」 (「芥川賞全集 第13巻」より)、文藝春秋、1989年