芝木好子著「青果の市」(第14回 (1941年下半期) 芥川賞受賞作)を読む

 以下話の内容や感想などを述べる。

 

内容

 主人公は八重。長女で、仲買人で、築地市場の問屋定文さだぶんで働いている。八重はこの仕事を好きでしている。また、未婚である。

 八重の家族の事情や八重が結婚しないかという問題であったり問屋で働いている様子や問屋の利潤の分が減ってしまったことなどが書かれている。

 

感想

 あまり読み易い作品ではなかった。特にお金絡みのところはそう思った。問屋で働いている人はそうではないかもしれない。

 取引するときに使う用語といえばいいのだろうか、出てきた語句にはついていけないところもあったが興味をもったものもあった。例えば「後場」、意味は「証券・商品取引所の午後の取引。また取引時間。⇔ 前場」 (weblio辞書ー三省堂大辞林参照)であるようだ。

 本文では後場は以下のように使われる。

糶の後場は午後一時からである。夏場は果実が痛みやすく腐敗が早いので、朝早く前場があってその日の荷が来るのだが、冬場は貯蔵がきくから後場だけになっている。果物の糶市はい号の裏側で、只屋根があるきりのコンクリート建のガランとした建物に、折柄みかんの出盛りでトラックの運ぶ荷がどしどし積込まれている処だった。 (87頁)

  夏場は果実があるので腐敗が早いため前場がある。しかし冬場は貯蔵がきくので後場だけである、そんな様子が見れてよかった。

 

 印象に残ったところを最初の方、築地に降りた八百屋の連中の様子が書かれていたところである。

その日その日の仕込みにやってくる魚屋八百屋の連中が東から西からと寄ってきて、その辺はもう長蛇をなす有様だった。どの人も栄えない黒の角外套にゴム長をひっかけたり、厚司に股引だの、オーバーを着ていると思えば厚草履という奇妙な装りで、小商いらしくブリキの米櫃の箱を紐で肩に掛けた者もいるが、腕組みしたまま何も持たない手ぶらのものが多い。

  ここでは着ているものが中心にかかれている。あまりイメージが浮かばないものばかりだった。

 

 

 芝木好子は「芥川賞全集第3巻」の年譜を見ると40歳(1954年)で「洲崎パラダイス」(中央公論)を発表し、これより洲崎ものを連作したとある。更に年譜を見ていくと41歳(1955年)で「洲崎界隈」(別冊新潮文庫)、「洲崎の女」(文藝)など「洲崎」と名の付くものを発表している。

 この前読んだ三浦哲郎の「忍ぶ川」では志乃という女が生まれた場所が洲崎で、主人公と二人でそこら辺りに行くと、洲崎橋の向うにあるアーチには「洲・崎・パ・ラ・ダ・イ・ス」と書いてあって志乃は顔を赤らめたというところがあったので、「洲崎パラダイス」は気になっていた。

 

選評

 瀧井孝作は以下のようにいう。

 芝木好子氏の「青果の市」は、読後すこし淋しい感じの残る点物足らぬ感じがした。これは銓衡会の席上で、いろいろ問題になり、結局作者に、終末の所を描足してもらえば宜いと云うことで、受賞と定った。 (368頁)

 

参考

今回読んだもの 芝木好子、「青果の市」 (「芥川賞全集第3巻」より)、文藝春秋、1982年

三田誠広著「僕って何」(第77回 (1977年上半期) 芥川賞受賞作)を読む

 以下話の内容や感想などを述べる。

 

 

内容

 主人公は上京してきた僕、大学に通っている。うまくとけこめずにいる。集会に誘われたきっかけである学生運動のグループb派に入る。そこでデモをしていると僕はひとつにとけあった感じにうたれた。しかし僕はそこに入った明確な理由があるわけでもなく、…次第に(自分がなぜこの派にいるのか)と疑問をもつようになる。そして海老原という男の言葉に信頼を寄せ、他のグループ”全共闘”に入ることになるが、そこでもなじめず、(なにをしているのだろう)と思うようになる。

 

 僕には自身にも意志があるのだという思いがあるがなんとなくグループに入っていくと馴染めず、やりきれない感じが書いてある。

 

 他にも僕がb派に居る時に関係をもったレイ子という女や、ぼくが上京しても住む場所を選んでくれるおしつけがちな母親のことなどもかかれてある。

 

感想

 どことなく意思をもっていない主人公の僕が書かれており、どこへ行っても冷ややかなものをもっていた。実際に学生運動をしていた人の中にはこの話でかかれた主人公のようになにをしたいかははっきりしないけれどもなんとなくあるグループに参加するということもあったのだろうか。

 

 レイ子という女を僕は熱烈に愛したことは間違いないのだろうが、レイ子側から近寄ってきたし、レイ子と違う派に入った僕がレイ子をおもうという事は一種義務的なものだと感じてしまい、よく出てくるもののあまり作品の要となっているとは思わなかった。

 

 この作品の題名そのままだが「僕って何」自分の拠りどころとしているところを見つける作品というのは、果たしてほんの小さな短編で見つけられるのかというのはしばしば思う。——生涯かかってみつけるものなのか、あるいは何か重大な出来事が起これば見つけられ得るのか。

 

 「僕って何」の主人公の僕は学生運動のため入ったグループでやりきれない思いになっている。この話では僕はどこへ入っても乗り気にはなっていない。自分を探すのであれば何かに積極的に参加してそれで自分の意思を強固にするという展開が必要だと思ったが一方で乗り気にならないという事からどこへいってもそれを繰り返すというのはそれで自然なのかもしれないというふうにも思った。

 

選評

 中村光夫は以下のようにいう。

 三田誠広氏の「僕って何」は、素朴な語り口で、三四郎の子孫のような大学生が、現代の学生運動に捲きこまれて行く経過を、厭味なく描いていますが、ものものしい題名のわりに、主人公の心理が浅くしか把握されていないので、内面の展開がなく、冗長の感をあたえるのは惜しまれます。 (357頁)

 

参考

今回読んだもの 三田誠広、「僕って何」 (「芥川賞全集 第11巻」より)、文藝春秋、1982年

 

池田満寿夫著「エーゲ海に捧ぐ」(第77回 (1977年上半期) 芥川賞受賞作)を読む

以下話の内容や感想などを述べる。

 

 

内容

 場所はサンフランシスコ。私はスタジオにいて、他にはアニタという髪が褐色でモデルでローマで出会った女と、グロリアという二か月ほど前アニタが突然連れてきた女がいて、二人の体を見ている。

 二人を見ている際中、日本にいる妻からの電話があって私に<女がいるでしょう>というふうに感づかれてしまう。

 なぜ感づかれてしまったのかを含め、妻が電話で話す内容や私が見た体の様子が中心にかかれている。

 

感想

 舞台設定にどこか新鮮味があって面白い作品だと思った。

 

 印象に残ったところを一つ紹介する。

汗が私のひたいから目の方へ無数に流れてくる。受話器がサルバドル・ダリの描いた受話器のように、手のなかでぐにゃぐにゃに軟化してしまっている。トキコの大演説が無限に続くとは思われないが、トキコの声を聞いている私の感覚は、もうとっくの昔に失われている。トキコ流にいえば、私はすでに無感覚の状態にいるのだ。 (201頁)

  「受話器がサルバドル・ダリの描いた受話器のように、手のなかでぐにゃぐにゃに軟化してしまっている。」というところがいいと思った。ところどころ話中に画家や絵を用いた比喩が使われている。池田満寿夫が画家だったからだろう。

 

選評

 第77回の他の受賞作には三田誠広の「僕って何」がある。候補作には小林信彦の「八月の視野」や高橋揆一郎の「観音力疾走」などがある。

 

 選考委員会には井上靖、遠藤周作、大江健三郎、瀧井孝作、永井龍男、丹羽文雄、安岡章太郎、吉行淳之介の八委員が出席した。(中村光夫は外国旅行の為書面回答。)

 

 大江健三郎は以下のようにいう。

 『エーゲ海に捧ぐ』は、情況設定も、電話の向うの立派な女も、デクノボーの主人公も、独特かつ効果的である。しかし二人の外国人の女はあいまいで、重ね塗りされるイメージも、そのひとつひとつは確実にしあげられていない。繰りかえしは豊かさと別のものだ。この作品を素材の段階において、あらためて再構成し、イメージを正確にしてゆく。その労作が、作家の仕事である。経験ある画家、池田満寿夫氏は、その不満を理解されるのではあるまいか。 (359頁)

 

参考

今回読んだもの 池田満寿夫著、「エーゲ海に捧ぐ」 (「芥川賞全集 第11巻」より)、文藝春秋、1982年

幸田文著「草履」を読む

 大分間が空いてしまったが前に幸田文の『台所の音』を読んだときにひっかかった作品として今回紹介する「草履」がある。以下紹介する。

 

 こんな書き出しから話は始まる。

 都会に季節感は少ないと言います。 (73頁)

 そして「都会では、季感と人情がからみあった話があるとすれば、それは実に新鮮なのです。」と続く。

 野内さんという寡婦がいて息子が心臓が悪く、私に不幸な話をしてくれる。その不幸な話を聞いていると私は自分の幸せを確認する。

 

 ある二月の夜、寒いなか、そろそろ私が締りをしようとしていたら野内さんがやってきた。話を聞くと野内さんは今日、金ごしらえに歩いていたのだという。——早世した主人が愛用していた時計を、少しでも高く売ろうとし、夫のかつて勤めていた会社に行ったが会社はつぶれており借金を背負いこまされているという。そこにはやつれてふけて見える奥様がおり、気の毒に思ったのか新しい草履と蕪を一つくれた。野内さんはその後時計を買ってくれそうな第二の候補の家に行く途中電車に乗っていると二人連れの、——そのうち一人は酔っぱらった青年がいて悪ふざけからなのか野内さんのもっている草履を買うと言って1000円札を突き出してきた。野内さんはそのお金が欲しかったので草履の箱を渡すと男は「おつりよこしな、999円」といってきたのでお札をひったくって突き飛ばした、という。男が飛び出したら丁度ドアはしまったようだ。野内さんはその帰り、うちへはまだついていないが、私の家に寄ってきた。(あの男が追ってこないか。怖い。)ということを相談するために私の家に来たという。(これからどうすればいいのか)と野内さんが言うので、私は(自分で自分の心の始末をつけるのがいい、また、いまはまだ取り乱しているのだから、思案が定まらないのでは)と思い「それは今夜はきめられない。あしたもあさっても一緒に考えましょう」ということを言うと、ほんとに真綿でも着せかけてあげたい後ろ姿で、野内さんは帰っていった。(重役の家から出て駅へ行く途、そして帰りの電車のなか、電車からここへ来る途、野内さんめがけて二月の寒気がたまっていたろう)と私はおもった。

 野内さんにはその後勤め先のお世話をした。

 

感想

 野内さんは春、夏、秋ではなくたしかに冬を感じさせる人だと思った。地の文がですます調でどこかよそよそしい感じのする書き方で、どこに向かって書いているのかわからないようなところもあるが、寒いので主人公である私が「ぶどう酒でもどう?」と言ったり、野内さんがお金を取ってきてしまって(どうすればいいのか)と思っているときに私が自分で自分の心の始末をつけるのがいいとおもった、というところにはあたたかさを感じた。

 

 印象に残ったところは最初のほう、一部先ほども紹介したが都会には季感が少ないが、それが現れることもあるということを書いたところである。

 電車、トラック、ビルディングといった頑固なものに取り囲まれた都会の生活では、人の気持だっていつの間にかこっそりと、まるで鰐皮かなんか着たようになってしまうのです。鰐皮では季節の軽く早いタッチを受取ることなど、上手にできるはずはありません。ごつごつにこしらえあげた都会に自然の季感は少ないのですし、鰐皮の人間は、季節をうけとることがへたになってしまったのです。

 ですから、ひょっとした弾みで、その鰐皮を脱ぐようなことがあるとします。たとえば、連休とか、病後とかいったときでしょうか。

 私たちは幸いなことに鰐皮の下にまだ本来持っていた、敏感に柔かい皮膚を失わずにいるのです。鰐皮を脱いだ敏感な皮膚は、たとえ都会に季感がごくわずかにしか残されていなくても、そのわずかをたちまち上手に捜し出してしまうのですが、そのときほんとに、大切なひとに久しぶりに会えたという感動があります。都会では、季感と人情がからみあった話があるとすれば、それは実に新鮮なのです。 (73-74頁)

 都会では鰐皮を着ているようになってしまうけどその下には本来の皮膚があって失わずにいるというところがいいと思った。 

 

参考

今回読んだもの 幸田文、「草履」 (『台所のおと』に収録)、講談社文庫、1995年

宮本輝著「螢川」(第78回 (1977年下半期) 芥川賞受賞作)を読む

以下話の内容や感想などを述べる。

 

 

内容

 舞台は富山県。螢はいたち川で飛ぶようだ。主に出てくるのは、——竜夫、14歳。彼は幼馴染の英子に恋をしている。竜夫以外にも関根という人物が英子に恋をしている。竜夫の父重竜は52歳で竜夫ができた。重竜は病気で苦しんでいる、そのため重竜の妻千代は入院費がかかり生活は苦しい。

 

 竜夫の爺さんの言っていた螢はなかなか見れずにいた。そのことが話の途中に挟まり、話の前半から大部分は英子に恋をしていることや竜夫の父重竜の病気が主に書いてある。やがて重竜は死んでしまい、これからどうするのかということを竜夫の母英子は蛍を見れるかどうかということに託している。終盤は螢を見に行く場面が書かれている。

 

感想

 「芥川賞全集 第11巻」の年譜を見ると作者宮本輝は兵庫に生まれ愛媛や大阪に転々とし、9歳のころ(1953年)富山に転居したとある。10歳からはまた兵庫に行ったようでこの作品の舞台である富山にあまり居たわけではないのか。または、この年譜に書かれてある以外にも行っていた時期はあるのだろうか。

 

 話中には方言が出てきて、方言をそれぞれ理解はあまりしたとはいえないが、読み進められるものだと思った。竜夫は病院に行って重竜と会話をする場面があるのだが竜夫が螢の話をすると重竜は「いね」と言った。「いね」というのは方言で「帰れ」という意味があるようで竜夫はそのように受け取った。しかし最後の方の場面で竜夫は(あれは「帰れ」という意味ではなく、稲を植える直前が螢の時期だったから、螢の出現する時期を教えてくれたのかもしれない)と思っている。「いね」という方言に意味が数個あるというのがいいと思った。

 

 螢が見れるかどうかということは最初の方、螢がなかなか現れないという希少性、また、螢が住むようなところだからよほど自然豊かだということを表しているのかと思ったものの、話と何の関係があるのか若干わかっていないところがあったが読み進めるにつれ、竜夫と病気で横たわる重竜との会話で螢の話が出てきたり、竜夫が英子を連れ螢を見に行くことであったり、竜夫の妻千代がこれから螢が見れるかどうかということで今後の暮らしを考えているというところがあるので、螢を見ることに意味が多くあるのだと分かった。

 

 印象に残ったところは二つある。

 

 一つは話の中盤の方で主人公の竜夫が螢が現れるといういたち川に行った場面。

市電を降り、雪見橋のたもとに立って、竜夫は夜のいたち川を見やった。月明りの下で確かに、瞬いているものがあった。川縁の草の影になっているらしい部分が小さく光りながら帯のように長く伸びていた。まだ蛍の出る季節ではなかったが、竜夫は慌てて手さぐりで草叢を降りていった。夜露でたちまち膝から下が濡れそぼった。川縁には何もなかった。光の加減で竜夫は騙されたのであった。せせらぎが月光を浴びてぼっとかかがいているだけだった。 (242頁)

  川縁の草が光に照らされているのを見て、竜夫は何かあると思ったがなかったというのがいいと思った。

 

 もう一つは最後の方。

陽は一気に落ちていった。暗雲と黄金色の光源がだんだらにまろび合いながら、一種壮絶な赤色を生みだしていた。広大な空には点々と炎が炸裂していたが、それは残り火が放つぎりぎりの赤、滅んでいくものの持つ一種狂おしいほどの赤であった。 (258頁)

  「まろび合い」ここでは平仮名で書かれているが、「転び合う」という漢字だと「互いにころがる。ころがって寄りあう。」(goo国語辞書 出典:デジタル大辞泉(小学館)参照) という意味があるようだ。自分にとって見かけない語であったため気に入った。また、「暗雲と黄金色の光源がだんだらにまろび合いながら、一種壮絶な赤色を生みだしていた。」というところは暗雲でも黄金色の光源がまろび合えば赤になるのかと思った。

 

選評

 選考委員会には井上靖、遠藤周作、大江健三郎、瀧井孝作、中村光夫、安岡章太郎、吉行淳之介の七委員が出席した。(丹羽文雄は書面回答)

 中村光夫は「螢川」について以下のようにいう。

 はじめから一種の抒情性がみなぎっていて、それが結末の川の螢の描写で頂点に達します。それだけに主人公が、いくら子供でもいい気すぎて、人間関係の彫りが浅すぎるのが気になりますが、これだけの題材をまとめた構成力は立派といってよいでしょう。 (367頁) 

 

参考

今回読んだもの 宮本輝、「螢川」 (「芥川賞全集 第11巻」より)、文藝春秋、1982年