長嶋有著「猛スピードで母は」(第126回 (2001年下半期) 芥川賞受賞作)を読む

内容

 舞台は北海道。話は雪のため、車のタイヤを母とその息子の小学生である慎が交換するところから始まる。

 慎は母と二人暮らしをしており、時々祖父母の家に行く。

 

 母が結婚するかであったり、慎の学校での様子が中心にかかれている。

 

感想

 最近はあまり新しいとは言えない芥川賞をとった本を読んでいたのもあって、これを読んで(軽々とかかれている)と思った。しかしだからといって悪いと思ったわけではない。

 出てくる単語はおばけのQ太郎であったり手塚治虫だったり聞いたことのあるものだった。

 

 話は母のことが中心にかかれていて、切り替わりが多いという印象だった。筋をあまり意識していると言うわけではなく母に関するエピソードが散らばっているという印象をもった。けれども話の内容はばらばらというわけではなく、学校でのいじめの問題であったり、学校に母が来ないことであったり、病気の問題であったり、普通の内容であった。

 

 印象にのこったところは、二つある。

 

 母がかぎっ子である真の身の安全に関することはあまり注意はなかったというところがひとつめである。

 母がサッカーゴールの前で両手を広げ立っている様を慎はなぜか想像した。PKの瞬間のゴールキーパーを。PKのルールはもとよりゴールキーパーには圧倒的に不利だ。想像の中の母は、慎がなにかの偶然や不運な事故で窓枠の手すりを滑り落ちてしまったとしても決して悔やむまいとはじめから決めているのだ。 (112頁)

 安全が確実とは言えないという比喩でサッカーのゴールキーパーをもってくるのがいいと思った。

 

 もうひとつは母がガソリンスタンドでバイトをしていた時に慎に朗読をしてくれた時の話だ。 

 母は少し急ぎ気味に朗読した。読んだらすぐに仕事にでかけなければならないのだ。しかしなぜか頁をめくるときだけはゆっくりだった。「『ジルベルトとかぜ』」母は抑揚を付けて朗読するのが苦手だった。「かぜくん、ねえ、かぜくん!」という主人公の台詞の部分と「もちろんかぜは、しっているんだ」という地の文章の部分はまったく同じ調子だった。しかしそのせいで母の朗読は妙な憂いを帯びた。 (91頁)

 

参考

今回読んだもの 長嶋有、「猛スピードで母は」、文集文庫、2005年

(初出誌 猛スピードで母は 「文藝界」、2001年11月号)