三田誠広著「僕って何」(第77回 (1977年上半期) 芥川賞受賞作)を読む

 以下話の内容や感想などを述べる。

 

 

内容

 主人公は上京してきた僕、大学に通っている。うまくとけこめずにいる。集会に誘われたきっかけである学生運動のグループb派に入る。そこでデモをしていると僕はひとつにとけあった感じにうたれた。しかし僕はそこに入った明確な理由があるわけでもなく、…次第に(自分がなぜこの派にいるのか)と疑問をもつようになる。そして海老原という男の言葉に信頼を寄せ、他のグループ”全共闘”に入ることになるが、そこでもなじめず、(なにをしているのだろう)と思うようになる。

 

 僕には自身にも意志があるのだという思いがあるがなんとなくグループに入っていくと馴染めず、やりきれない感じが書いてある。

 

 他にも僕がb派に居る時に関係をもったレイ子という女や、ぼくが上京しても住む場所を選んでくれるおしつけがちな母親のことなどもかかれてある。

 

感想

 どことなく意思をもっていない主人公の僕が書かれており、どこへ行っても冷ややかなものをもっていた。実際に学生運動をしていた人の中にはこの話でかかれた主人公のようになにをしたいかははっきりしないけれどもなんとなくあるグループに参加するということもあったのだろうか。

 

 レイ子という女を僕は熱烈に愛したことは間違いないのだろうが、レイ子側から近寄ってきたし、レイ子と違う派に入った僕がレイ子をおもうという事は一種義務的なものだと感じてしまい、よく出てくるもののあまり作品の要となっているとは思わなかった。

 

 この作品の題名そのままだが「僕って何」自分の拠りどころとしているところを見つける作品というのは、果たしてほんの小さな短編で見つけられるのかというのはしばしば思う。——生涯かかってみつけるものなのか、あるいは何か重大な出来事が起これば見つけられ得るのか。

 

 「僕って何」の主人公の僕は学生運動のため入ったグループでやりきれない思いになっている。この話では僕はどこへ入っても乗り気にはなっていない。自分を探すのであれば何かに積極的に参加してそれで自分の意思を強固にするという展開が必要だと思ったが一方で乗り気にならないという事からどこへいってもそれを繰り返すというのはそれで自然なのかもしれないというふうにも思った。

 

選評

 中村光夫は以下のようにいう。

 三田誠広氏の「僕って何」は、素朴な語り口で、三四郎の子孫のような大学生が、現代の学生運動に捲きこまれて行く経過を、厭味なく描いていますが、ものものしい題名のわりに、主人公の心理が浅くしか把握されていないので、内面の展開がなく、冗長の感をあたえるのは惜しまれます。 (357頁)

 

参考

今回読んだもの 三田誠広、「僕って何」 (「芥川賞全集 第11巻」より)、文藝春秋、1982年