宮本輝著「螢川」(第78回 (1977年下半期) 芥川賞受賞作)を読む

以下話の内容や感想などを述べる。

 

 

内容

 舞台は富山県。螢はいたち川で飛ぶようだ。主に出てくるのは、——竜夫、14歳。彼は幼馴染の英子に恋をしている。竜夫以外にも関根という人物が英子に恋をしている。竜夫の父重竜は52歳で竜夫ができた。重竜は病気で苦しんでいる、そのため重竜の妻千代は入院費がかかり生活は苦しい。

 

 竜夫の爺さんの言っていた螢はなかなか見れずにいた。そのことが話の途中に挟まり、話の前半から大部分は英子に恋をしていることや竜夫の父重竜の病気が主に書いてある。やがて重竜は死んでしまい、これからどうするのかということを竜夫の母英子は蛍を見れるかどうかということに託している。終盤は螢を見に行く場面が書かれている。

 

感想

 「芥川賞全集 第11巻」の年譜を見ると作者宮本輝は兵庫に生まれ愛媛や大阪に転々とし、9歳のころ(1953年)富山に転居したとある。10歳からはまた兵庫に行ったようでこの作品の舞台である富山にあまり居たわけではないのか。または、この年譜に書かれてある以外にも行っていた時期はあるのだろうか。

 

 話中には方言が出てきて、方言をそれぞれ理解はあまりしたとはいえないが、読み進められるものだと思った。竜夫は病院に行って重竜と会話をする場面があるのだが竜夫が螢の話をすると重竜は「いね」と言った。「いね」というのは方言で「帰れ」という意味があるようで竜夫はそのように受け取った。しかし最後の方の場面で竜夫は(あれは「帰れ」という意味ではなく、稲を植える直前が螢の時期だったから、螢の出現する時期を教えてくれたのかもしれない)と思っている。「いね」という方言に意味が数個あるというのがいいと思った。

 

 螢が見れるかどうかということは最初の方、螢がなかなか現れないという希少性、また、螢が住むようなところだからよほど自然豊かだということを表しているのかと思ったものの、話と何の関係があるのか若干わかっていないところがあったが読み進めるにつれ、竜夫と病気で横たわる重竜との会話で螢の話が出てきたり、竜夫が英子を連れ螢を見に行くことであったり、竜夫の妻千代がこれから螢が見れるかどうかということで今後の暮らしを考えているというところがあるので、螢を見ることに意味が多くあるのだと分かった。

 

 印象に残ったところは二つある。

 

 一つは話の中盤の方で主人公の竜夫が螢が現れるといういたち川に行った場面。

市電を降り、雪見橋のたもとに立って、竜夫は夜のいたち川を見やった。月明りの下で確かに、瞬いているものがあった。川縁の草の影になっているらしい部分が小さく光りながら帯のように長く伸びていた。まだ蛍の出る季節ではなかったが、竜夫は慌てて手さぐりで草叢を降りていった。夜露でたちまち膝から下が濡れそぼった。川縁には何もなかった。光の加減で竜夫は騙されたのであった。せせらぎが月光を浴びてぼっとかかがいているだけだった。 (242頁)

  川縁の草が光に照らされているのを見て、竜夫は何かあると思ったがなかったというのがいいと思った。

 

 もう一つは最後の方。

陽は一気に落ちていった。暗雲と黄金色の光源がだんだらにまろび合いながら、一種壮絶な赤色を生みだしていた。広大な空には点々と炎が炸裂していたが、それは残り火が放つぎりぎりの赤、滅んでいくものの持つ一種狂おしいほどの赤であった。 (258頁)

  「まろび合い」ここでは平仮名で書かれているが、「転び合う」という漢字だと「互いにころがる。ころがって寄りあう。」(goo国語辞書 出典:デジタル大辞泉(小学館)参照) という意味があるようだ。自分にとって見かけない語であったため気に入った。また、「暗雲と黄金色の光源がだんだらにまろび合いながら、一種壮絶な赤色を生みだしていた。」というところは暗雲でも黄金色の光源がまろび合えば赤になるのかと思った。

 

選評

 選考委員会には井上靖、遠藤周作、大江健三郎、瀧井孝作、中村光夫、安岡章太郎、吉行淳之介の七委員が出席した。(丹羽文雄は書面回答)

 中村光夫は「螢川」について以下のようにいう。

 はじめから一種の抒情性がみなぎっていて、それが結末の川の螢の描写で頂点に達します。それだけに主人公が、いくら子供でもいい気すぎて、人間関係の彫りが浅すぎるのが気になりますが、これだけの題材をまとめた構成力は立派といってよいでしょう。 (367頁) 

 

参考

今回読んだもの 宮本輝、「螢川」 (「芥川賞全集 第11巻」より)、文藝春秋、1982年