安岡章太郎の作品を読む——「雨」、「蛾」

 

「雨」

内容

 梅雨時でばかに雨が多かった。ほとんど絶え間無しに雨は降っている。雨が降って三日目である。主人公の私は洗濯屋だった人物が一生を棒に振るようなことをしたことを思い出し、それは(洗濯屋がアイロンの蒸気とナマ乾きの布地の臭いとを、一年中浴びているせいだろう)と思う。それで私が強盗のために三日間鉈を手にして町をさまよい続けたのも雨のせいかもしれないと思った。しかし三日間町をぶらつくといっても結果は一軒一軒いたずらに見比べるばかりで、家にはいってやろうとしても電気屋に間違えられたりした。

 次第にレインコートに吊り下げてあった鉈が揺れながら何度か右の大腿部にぶつかったせいか、激しい痛みを感じるようになり、……もう一度最初からやり直そうと思っているとそこには丸坊主の男がいて……というように話は続いていく。

 

感想

 雨のことについて書いてあるのかと最初おもっていたがそうというよりは雨が降っていて思い出したことからはじまっている。

  

 印象に残ったところは電気屋に間違われた家に入る時のシーン。

私は二三歩、うらの勝手口へ歩きかけながら、突然、自分の姿がひどく馬鹿げたものにおもえてきた。耳の中には、まだ婦人の笑い声が残っていた。まったく屈託のない笑いなのに、声の質にはどこか儀礼的なひびきがあって、ちょうど石鹸で磨き立てたようにツルツルしており、私には咄嗟に対応のしようもなかったのだ。 (247頁)

  声が石鹸のようにツルツルしているとはわからないが、いいと思った。

 

「蛾」

 蛾に惹かれて蛾とついた名前の作品を探していたら「蛾」という作品があったので読むことにした。

 

 内部を覗かれるのが嫌いで医者を好まない主人公の私が、むし暑い夜読書をしていたら蛾が耳の穴へ飛び込んで来たという話。その後この蛾をどうすればいいのかあれこれ悩む。

 

 話には芋川医師という体裁を気にする人物が出てきてその医者の元へ私は結局行くことにしたなどと書かれておりもっと深く読んでいけば何か発見はあるのだろうが、単に内部を覗かれたくない人間が内部に蛾によって入られたということで面白いと思えたのでそれ以上読むのはやめた。

 

 印象に残ったところは二つある。

 

 一つはむし暑い夜に部屋に虫が多くいたというところ。

 むし暑いのでその夜、私は窓をあけはなって読書していたのだ——。

 この辺は虫が多い。じつに多い。夜がふけてあたりの灯が消えると、とくにカナブンブンや蛾やカミキリムシが、おびただしく飛んできて壁にも天井にも、いたるところにベタベタととまって黒いペーズリー・パターンのような味気をていする。……気にして殺そうとしても、きりがないので私は放っておいた。 (226頁) 

  むし暑いの「むし」は漢字ではなく、平仮名にしているのは「虫」も連想させるためか。

 

 ペーズリー・パターンというのがいいと思った。

 

 もう一つは蛾が入り込んだ私が狂い猛っていたというところである。

 とし老いた両親が、ぽかんと口をあけて息子の気狂い踊りをながめているのを見ると、私はわが身の情けなさにますます狂い猛らなければならなくなった。実際、虫が羽撃くたびに私は耳の中から起重機か何かの強い力で体全体が宙につり上げられるようで、左一体足でようやく倒れそうになる体をささえた。

 「虫が羽撃くたびに私は耳の中から起重機か何かの強い力で体全体が宙につり上げられるようで、」実際虫が耳の中に入ったことはないのでわからないが面白いと思った。

 

参考 

今回読んだもの 安岡章太郎、『海辺の光景』、新潮文庫、2000年