小谷剛著「確証」(第21回 (1949年上半期) 芥川賞受賞作)を読む

 第21回は既に紹介した由起しげ子の「本の話」と今回紹介する「確証」が芥川賞受賞作である。以下内容や感想などを述べる。

 

 

内容

 出てくる人物は主に妻がおり、婦人科医である私と流産のためその病院にやってきた水田さち子、電車に乗っていて震えていた、どこか私に病的な印象をもたせた21か22の女の井口夏子の三人である。私は水田さち子のことは、武藤かねという世話好きの人物から聞いており、水田は武藤の家にしばらくの間住んでいた。私は武藤には奉天から引き揚げてきて、日本での暮らしぶりが良くなくみすぼらしい水田に「就職の世話をしてあげてくれ」と言われていた。——

 私の妻が帰省中、婦人科医の私の元へ水田さち子がやってきた。私は患者である水田にどきりとした。就職のことを引き受け、水田に仕事先を紹介することにした。が、この話でそういう語が用いられているのでつかうとそれはおためごかしであった。

 そのあと、なにが快楽なのかをめぐって、主に私と水田さち子、私と井口夏子の関係が書かれている。

 

感想

 内容のところで書いたおためごかしという語もそうであるが、自分のなかではあまり見慣れないが(調べるとそういう意味なのか)という語が載っていた。例えば以下は妻が帰省していないときの私の気持ちのことが書かれている。

 いまこうして妻の長期に亙る不在に臨んでも、所謂、空閨の寂しさをかこつ気持ちは殆んどなかった。 (41頁)

 空閨という語は短いがいいとおもった。調べると「空閨」で「夫婦の片方がいないために、独りで寂しく寝る寝室。孤閨。空房。」 (goo辞書 出典:デジタル大辞泉 (小学館)) という意味のようだ。

 

 印象に残ったところは最初水田さち子は主人公の私に仕事を紹介してもらうことを躊躇っていたが、仕事を紹介してもらうことにした。そのとき、水田さち子はガーベラの花を持ってきたという場面。私は花を受け取り、室の中に水田さち子を招じ入れた。以下次のように続く。

 さち子にガーベラの花をあてはめてみることが、滑稽だった。彼女のみすぼらしさと、あまりにちぐはぐで、花の強烈さだけが遊離していた。驕慢に咲き切った真紅の花は、花弁の一枚一枚までが、ぎりぎり一枚のきびしさで咲いているのだ。たった一枚の花弁が凋落してさえ、忽ち、花の全生命が奪われると思えるのだった。むしろ、毒々しいまでの、妖艶な女にこそふさわしかった。 (44-45頁)

 ここはみすぼらしい水田さち子とガーベラを対比したような場面である。「驕慢に咲き切った真紅の花は、花弁の一枚一枚までが、ぎりぎり一枚のきびしさで咲いているのだ。たった一枚の花弁が凋落してさえ、忽ち、花の全生命が奪われると思えるのだった。」というのがいいと思った。

 「芥川賞全集 第4巻」の年譜をみると小谷剛は22歳(昭和21年)で産婦人科医院を開業したようだ。そこでの思ったことなどを基にこの話は作られたのだろうか。

 

選評

 選考委員は「本の話」のところでも書いたが、佐藤春夫、宇野浩二、岸田國士、瀧井孝作、川端康成、舟橋聖一、丹羽文雄、坂口安吾、石川達三である。

 川端康成は以下のようにいう。

 「確証」を賞とすることには、私は逡巡を感じる。趣味に合わないと言うよりも少し強い本質的な意味で、私に反撥するものがあるからだ。芥川賞にとっても、この手腕ある作者にとっても、今回の賞は冒険であると思うが、冒険を生かす力は小谷氏にあり過ぎるようにも見える。 (397頁)

 

 岸田國士は以下のようにいう。

 小谷剛は「確証」によって入選者の一人と決定したが、私は、ただ祝意を表するだけで讃辞は保留する。思想的根拠のない容易な露出趣味の文学は、大成を望むものにとって才能の浪費である。自重を望む。 (398頁)

 

参考

今回読んだもの 小谷剛、「確証」 (「芥川賞全集 第4巻」より)、文藝春秋、1982年