本の内容や感想などを述べる。
火野葦平について
以下「芥川賞全集 第2巻」の年譜より一部抜粋。
明治40年(1907)
1月25日、福岡県若松市(現・北九州市若松区)新仲町に玉井金五郎、マンの長男として出生(これは戸籍上のことで実際は、前年の12月3日)。本名、勝則。父は、石炭仲仕玉井組の親方、ほかに弟二人、妹七人がある。
大正12年(1923) 16歳
小倉市の県立小倉中学校四年を修了し、早稲田第一高等学院に入学。夏休みのとき五百枚の小説「月光礼讃」を執筆する。
大正15年・昭和元年(1926) 19歳
四月、早大英文科に入学。
昭和3年(1928) 21歳
二月、福岡歩兵二十四聯隊に幹部候補生として入隊する。レーニンの訳本を発見され、一階級さげられ、伍長で十二月除隊。父は玉井組を継がせようとし退学届を出す。
昭和12年(1937) 30歳
九月、日支事変のため十日に応召する。十月、杭州湾に敵前上陸し、十二月、杭州に入城する。
昭和13年(1937) 31歳
二月、「糞尿譚」により第6回芥川賞を受賞する。授賞式は杭州において文藝春秋社より派遣された小林秀雄を通じて行なわれた。
八月、「麦と兵隊」を「改造」に発表。
本の内容
主となる人物は小森彦太郎という。小森家は何代も豪農として続いたのだが彦太郎の代で壊滅に瀕し、彼は新しい事業をすることにした。それはある市で糞尿汲取事業をすることで、その範囲は三十か所を越える市営の建造物にぶ。しかし小森の仕事は成功しているとは言えず、失敗を重ねている。それには幾らか理由があって、小森の持つトラックが幾度か抵当に入れられたこと、小森が酒好きであること、この市の政党があらゆる商売取引に干渉してきたことなどが主な理由である。小森は事業で使うトラックを抵当にしたのであるが、それに経済的援助をした赤瀬氏は、やがて権利の分配率は小森がこの事業をしたとはいえ、小森よりも多くもらうことが決定し……。
小森がいかに事業に失敗していくかが中心にかかれている。
感想
最初の方は風景描写が細かく、市の政治的な問題も絡んできたので読みにくいものかというふうに思っていたが、最後の方はそうでもない。最後の方は、小森が事業に失敗を重ねて、どんどん悲惨にはなっていくが、読んでていてそうだとは感じさせないような、どこか面白味もあるかき方だったと思う。
登場人物が多く出てきている割には最後の方にかけて発展していっているとは思えず、あっさりした流れだと思った。特に赤瀬という人物に関しては、終りの方小森側なのか、あるいは市の政治と関わっているかなど立場はあまりはっきりせず、もう少しかかれていてもいいのではないかと思った。
この作品の舞台というものははっきりとは書いてなかった。作中に出てきた山や川の名前は本当にあるかどうか、また、どこにあるかはネットで調べてもわからなかったのだが、いかにもありそうな感じがした。例えば作中に出てきた佐原山、唐人川。
文中にあまり前後の文脈とは関係あるわけではないと思うがドノゴオ・トンカという語が出てきた。「ドノゴトンカ」であれば検索すると城左門という小説家にそのような名前のものがあると出てきた。しかし結局何のことかはあまりわからなかった。興味が湧いた。
吉田拓郎の曲には「汲み取り産業株式会社」というのがあって、特に意味はないものの読みながらなんとなくそれを思い出した。
印象に残ったところ
これは話の筋とは関係あるとは言えないところだが、最初の方で妻が狐に憑かれたという卯平という人物が出てくるがその出てくる少し前の風景描写は印象に残った。
斜面を下りながら、彦太郎は、麦藁帽子の縁に手をかけて空を見あげ、一雨来るかも知れんと思い、灼けるように陽炎をあげている周囲を見わたすと、心なしか、さっと、一陣の冷たい風が来て西瓜畑の葉を鳴らした。赭土の中にころがった大小さまざまの西瓜は埃にまみれて禿げたように青い色を晒している。 (7頁)
西瓜畑というのを見たことがないのでどんなものか気になった。それと「埃にまみれて禿げたように青い色を晒している。」というところは何か表しているのか、読み取れた訳ではないが(ここは細かくかくものだな)と思った。
次に印象に残ったのは主な人物である小森が見たことのない少年に「面白い話をしてくれない」とせがまれ、小森は長久命の長助の話をする。
話をした後そのすぐ後ろのシーンで事業で使うトラックのトラック小屋がでてくるのだがそこにある緑色のトラックの箱には次のような、反対から読む横文字が書いてあった。
エボオツトヒノカバ (28頁)
先ほど出てきた、見たこともない少年がいたずら書きをしていったのだが、ここは強烈だと思った。
選評
「芥川賞全集 第二巻」には川端康成、久米正雄、室生犀星、横光利一、佐藤春夫、瀧井孝作、宇野浩二、小島政二郎、佐々木茂索の選評が載っている。
横光利一は以下のようにいう。
この作には排泄物の処置に絡むいろいろな経済と政治の問題がある。それもただ問題ばかりではない。排泄物という最も人々の厭う悪感を、文章から感ぜしめない独特の新しいスタイルがある。さらにこのスタイルの底には南方人の熱情が漲り流れ、糞尿を多くの人々の頭上に振り撒く象徴がある。都会人の買いたてのネクタイには、以後定めし飛沫の汚点が点くことと思う。ただ遺憾なところは無邪気を装い、烈しさを敢行した傾跡の見える乱暴さのあることだが、しかし、それも今は人々は赦すだろう。 (350頁)
小島政二郎は以下のようにいう。
「糞尿譚」は、実に意外な掘出物をした感じで読んだ。実に不敵な作家である。この作品に於ける作者の心の置きどころの丁度よさ加減が、得も云えぬ魅力の発光体となっていると思う。 (355頁)
参考
今回読んだもの 火野葦平、「糞尿譚」 (「芥川賞全集 第二巻」より)、文藝春秋、1982年