中山義秀著「厚物咲」(第7回 (1938年上半期) 芥川賞受賞作)を読む

 話の内容や感想などを述べる。

 

 

 

中山義秀について

 「芥川賞 第二巻」より一部抜粋する。

 

 明治33年 (1900) 十月五日、福島県岩瀬郡大屋村(現、西白河郡大信村)大字下小屋宇田中一番地に生まれる。本名議秀。

 大正12年 (1923) 23歳 三月、ジョセフ・コンラッドを論文にして早稲田大学を卒業。四月、妻赤田トシを伴なって三重県立津中学校に英語教諭として赴任。

 昭和10年 (1935) 35歳 六月、妻トシ死去。

 昭和13年 (1938) 38歳 八月、「厚物咲」により第7回芥川賞を受賞する。

  

話の内容

 主に二人の人物が出てくる——瀬谷という70歳で代書家をする男と片野という同い年の、町の郊外に住む果樹園をしている男である。瀬谷は片野とは寺小屋式の学校で知り合い、それ以来の仲である。が、瀬谷は片野から30円程、9年前娘が嫁入りするときの支度金に借りていた。もう30円の金は片野に払い終わった後も、片野は取り立てに来て9年取り立ててきたので元金の3倍もの金額を支払っていることになる。それにはいくつか理由があって、片野は妻が死に息子が家出し、後妻もまた家出するなど苦難があった。また、瀬谷に貸した恩を永久のものと考えていることがあった。それから片野は菊が好きで町の展覧会に出すのであるがそれが美しく瀬谷もお金を片野に払い続けることによって、いつか菊を譲ってくれないか、などと密かに考えていた。瀬谷は片野にじりじりしている。

 片野はもともと小心者でけちなところはあったが、昔、鉱山で金を発掘していた時期があったのだが騙され金の損をし、ますますけちになっていった。……

 

 片野は後添いをほしがり、瀬谷と知り合いの未亡人に手紙を送り婿入りを望んだ。手紙には<今の恋が遂げられぬならば焦がれ死ぬ>といった内容も書かれた。が、恋はかなわず、片野は未亡人の知り合いである瀬谷を恨むようになり、そして未亡人の猛犬を買収しようとして石垣をよじ登ったところ転倒、怪我をし、更に……このように話は続いていく。

 

 物語は全体として片野と瀬谷の関係、特に片野がどんな人物であったかに迫っている。

 

感想

 著者中山義秀はこの作品を書いた当時、30代であるが70代の主要な登場人物二人を出したのがすごいと思った。が、例えば(衰えた故におこるであろうこと)などの書き方は淡々としていると思った。

 片野の駄目な人間っぷりよくがかかれていたと思う。不幸な要素も備えてはいるがお金が絡むと利益を求め……。また、片野は妻によく思われておらず、妻の病気のときも愚痴をよくこぼし看病していた。片野は無駄と手数を省くために、病人である妻の食べ残しを妻にあげつづけて、その食べ物からは異臭がしていたようだ。妻が死んでからは片野は棺を果物箱で造ったという文があるが、果物箱は段ボールを想像するので、果物箱で棺が作れるのだろうかと思った。

 一方で菊を育てるのはうまかったようで、これはなぜか、ということははっきりと書かれているわけではない。

 津村節子の「玩具」は人間との付き合いは決してうまくない夫であるが動物であれば別である、というようなことがかかれていたが「厚物咲」は人間との付き合いは決していいとはいえない夫であるが植物であれば別だ、ということがかかれていると思った。

 

印象に残ったところ

 印象に残ったところは菊の描写である。

 

 物語最後の方で、瀬谷は、片野は新種の菊を展覧会に出品しようとしていたようであるから(是非その菊を一目してやりたい)と思う、しかし片野は怪我をしているので、瀬谷は片野の家を訪ねるとそこには菊があった。というシーンがある。最初それは猫のようにも見えたのだが、一層目をこらすと猫ではなく、菊が鉢と共に倒れていたという事に瀬谷は気づく。その後以下のように描写が続くがそこが細かかった。

 瀬谷はなかば夢中で雨戸をこじあけ屋内に飛び込んで行った。三輪仕立の鉢の菊は花弁がつるぎのように鋭く管ばしった走り附の厚物咲であるが、しかも平弁で組みあがった普通の厚物咲ではなく、千重の弁の一つ一つが太管咲のように巻きと組みと変化の精妙をきそいながら、花芯をつつんで雲のように湧きたちまたは砕かれた波のように渦巻いているのである。色は純白だった。瞑目した美女のようなあでやかさをもって、黒光りする板の間に神々しく照り輝きながらじっと身を横えている。 (79頁)

 「厚物咲」とは「花びらがまり状に厚く盛り上がって咲く菊。」 (goo辞書 ※出典ーデジタル大辞泉 (小学館) 参照) のようであるが、それ以上にさらに細かく太管咲(これはネットで調べたがあまりヒットしなかった。)という語も出てきている。また、倒れているというのを「じっと身を横たえている」とするのが丁寧でいいと思った。

 

選評

 「芥川賞全集 第2巻」には久米正雄、佐藤春夫、横光利一、室生犀星、小島政二郎、佐々木茂索、瀧井孝作、宇野浩二の選評が載っている。

 佐藤春夫は以下のようにいう。

 もう一ぺん「厚物咲」を考えて見るとその通俗性は難でもあるが考え方によっては人間臭として一つの長所にもなる。肝腎の厚物咲なども果して描けているかどうか怪しいが、これを支持する人が出ても大して無理がないだけの作品には相違いない。 (360頁)

 

 室生犀星は以下のようにいう。

 「厚物咲」は確かりと書かれている。唯、素材が老人物であるだけに作品の進行が一律であって、展がることが出来ない窮屈さがあった。この作品を書くほどの手腕は凡そ受賞後の作者の発展成長に俟つべきである。 (361頁)

 

参考

中山義秀、「厚物咲」 (「芥川賞全集 第二巻」より)、文藝春秋、1982年