柴田翔著「されど われらが日々——」(第51回 (1964年上半期) 芥川賞受賞作)を読む

 柴田翔のものは初めて読む。以下話の内容や感想を述べる。

 

 

大意

 大学院生である私(大橋)と大学を卒業しある商事会社に勤める私と婚約を決めた彼女の節子は遠縁の親戚であり、親しかったことや好意もありなんとなく付き合っていた。私はある時、書店でhという作家の書いた全集が売っていたので購入した。それには蔵書印があって、それを節子と他の人にも聞いて探すと、それは節子と大学の歴研で合同研究をしていた佐野という人物のものであると分かった。佐野は学生運動で共産党の地下の軍事組織へ行った。が、裏切り、普通の会社勤めの生活をしようとしたがその生活が面倒になり、自殺していた。

 その後もいろいろと起こる。——例えば大学時代私が付き合っていた優子の自殺、また、日本共産党第六回全国協議会(全六協)で明らかにした軍事方針の放棄、……節子の友人和子が宮下という男と結婚したのだが、fという大学教授が和子に「好きだ」と打ち明けてくる、それを語った節子は「幸福とは何か」と思い、節子は私によりかかってきて、……節子はホームに落ち、

 節子は今まで私(大橋)と婚約し付き合ってきたが、節子は大橋にとっては無でしかなかったと考え、離れることを決心する。

  

 私が大学を卒業してから、大学院修士の論文を書くまで2年間節子となんとなく付き合っている様子が書かかれてある。

 序章と1-6と終章——全部で8章ある。

 

印象に残ったところのまとめー同世代を抜ける

 この作品ではこんな言葉がある。——「死に臨んで、自分は何を思い出すか」佐野がこの作品の友人への手紙に残していた言葉である。佐野は(普通の、会社員の生活を送ろう)とした後、会社の副社長に別荘にまぬかれそこには副社長の娘がおり、(私も副社長の娘の候補になったんだ)と思ったが、つい副社長が「吐き気がする」と言ったので娘が「がんなのでは」と冗談だが返すと、副社長に怒られ、その後副社長は暗い表情をする。その暗い表情を見た後佐野は(副社長という社会的地位は結局なんなんだ)と考え空を見上げ、星がすっと消えるように(あの星が消えるように私(佐野)が消えると何を思うのか)と考える。——すると学生運動から離れたこともあり、(俺は裏切り者だ)ということを思い出すだろうと思い、また、今までの忙しい会社員の生活を送るとすべてが面倒だと思う様になり、そして死がちらつくようになり、だるくなって睡眠薬を集め死ぬことを決意する。

 一方節子は六章の<節子から大橋への手紙>で佐野の遺書にあった言葉「死に臨んで、自分は何を思い出すか」という問いを発見し、以下のように思う。

 

 私たちの間柄、私たちの生活は無に過ぎない、日々そこに存在しているかにみえる私たちの生は、個々ばらばらの事象の偶然的な継起に過ぎず、その無意味さの中で私は疲れ果ててしまっている、私の生は乾いた砂のように、すくい上げる手の間から流れ落ちてしまい、死に臨んで握りしめようとする手に何かの残るはずはない——、そうしたこと全てを、私はただ一つのこととして理解したのでした。 (106頁)

 

 それを——生は砂のように無だと理解した後、(どうにかしよう)と努力する。すると大橋とは上手くいかなかったことに気づき、大橋の付き合いで疲れてしまったという事が分かった。節子は自分が無であると気づいた。それで大橋と離れることを決意した。この後節子は北の方で英語教師を求めていることを発見し、(ここなら私は必要とされる)と思う。そこで自分の生活を見つけられないかという風に思う。

 

 以上の様に「生きるのが面倒だ」とする佐野とそれも踏まえ「なんとなく大橋と暮らしていくのではなく、大橋と離れること」を決意する節子は、前者は何か流されて行っている感じがするが後者は確たるものを見つけようとするという点で対照的な人間だと思う。

 

 6章では上のようだが、終章では大橋と離れるものの節子の再び生活を求めようとする態度を肯定的に捉え、私たちの世代——それは<死の佇まい>を発するh全集を見た時の悪寒は大橋一人のものではなく、同じ全ての時代の人々のものであるとするもの。それは旧所有者の佐野のもの、死んだ優子等同年代すべて——を抜け出すざわめきとなるものが悪寒(h全集)だったのではないか、そしてそれを大橋が手に取り、やがて節子の自らの世代を抜けようとする行為を呼び起こしたのではないかとしており、また、その世代から抜け出す勇気を持つことが今でも許されているなら、老いていった(私たちの世代)の生もそれなりに意味があるのではないかとしている。

 

 長いが要は、同じ世代を抜け出すきっかけとなったものがh全集の発する悪寒——それを蔵書していた人が自殺していたという事実——であって、それを手にすること、そして節子に見せることで(学生運動が関係して死ぬ人もいる)と節子は分かり、同じ世代から抜け出す機会となったのだ、それは意味あることだという事だと思う。回りくどいがまとめた。

 

全体的な感想

 学生運動の話になると、どこからが本当なのか、また、個人的なことなのかそれとも学生運動を経験した人たちは皆そう思っていたか等の線引きがあいまいなところがある。学生運動について読んだことがあるのは個人の手記のようなものだけど、それだと個人的すぎる。情緒は楽しめるところがあるけれど。しかし年表のものを読めばいいかと言うとそれは大雑把すぎて、結局自分は学生運動のその空気感のようなものをなんとなく感じ取ってるだけにすぎないので、難解だと思った。——学生運動とは何かと思って学生運動の本を読むことがあるけど、参加した明確な理由はそれぞれだし、それを求めるのは難しい。

 この作品は物語の6章、節子の手紙以降で作品全体をまとめているという印象を受けた。勿論6章にいくまでに(それはわかっている、結局いろいろ空虚だし、大橋と節子の仲もなんとなくなのだろう)という感じもしたのだが、一方終盤を読んで、(確かにそうだな、なんとなくだったな、だからあの時はあんな感じだったのか)という風に再確認し、再びページを戻っていった。最後に前のページに戻って再確認させる箇所があるような書き方は読み手に取って面倒であるが、作品によってはいいものとなるのだろう。しかしこの作品は長く人物も結構出てきたので面倒だった。

 手紙が多くあり——例えば佐野のもの、知子のもの、節子のもの

それを読んだ後の反応を拾っていくのが大変なところがあった。

 

選評

 (以下「芥川賞全集 第7巻」参照)

 

 銓衡委員十一氏の内、瀧井孝作、舟橋聖一、丹羽文雄、石川達三、永井龍男、中村光夫、石川淳の七氏が出席。 (高見順氏は書面回答、川端康成、井上靖、井伏鱒二の三氏は欠席。)

 

 中村光夫は「されど われらが日々——」について以下のようにいう。

 

 むろん小説としての欠点はいくらでもあげられます。作中に多数插入された手紙が、どれも同じ文体だったり、共産党の「無謬性」にたいする信仰の破綻を扱いながら、これらの学生の住む狭いサークルが唯一の世界として前提され、したがって彼等の発散するエリット意識がまったく無視されていたりします。

 しかしその代り、この小説の根底には、ほとんど生臭いほどみずみずしい抒情の欲求があり、読みおわると稚拙な表現を通じて、それがはっきり伝わってきます。

 

瀧井孝作は以下の様にいう。

 

 柴田翔氏の「されど われらが日々——」は、共産党かぶれの若い学生仲間の心持、その生活意識か何かが描かれたものだが、力はあるようだが、筆も荒っぽく、理屈ぽく、仰々しく、長すぎて、読むのに少し退屈した。

 

参考 

 柴田翔、「されど われらが日々——」 (「芥川賞全集 第7巻」より)、文藝春秋、1982年