柏原兵三著「徳山道助の帰郷」(第58回芥川賞 (1967年下半期) 受賞作)を読む

 柏原兵三のものは初めて読む。以下話の内容や感想などを述べていく。

 

  

大意 

 徳山道助という人物は大分出身で東京に暮らしており、日露戦争から志那事変まで軍人で中将にまでなった。道助は十年程大分に帰るということはしなかったが母親の法要や自分の墓を建てるため大分に帰郷し、その後東京で生活を送る。

 三章に分かれており、一章では道助が軍人でどういう戦歴をもつか、また二章では大分に帰郷するということ、三章では東京へ帰ってから死ぬまでの様子が書かれている。

 

より詳しく

 大体は上の様である。以下一章、二章、三章と更に詳しく説明していく。

一章

 先ずは道助が帰郷をするということを少し前半に触れた後、道助の軍歴が日露戦争から志那事変まで書かれている。学校の事や戦争ではどういう立場にあったのか、昇進、また妻がヒステリーを起こしやすく、あまりよく思っていないこと、何の戦争後帰郷するとその祝福が多いか、帰郷する決意をするところなども書かれる。

 

二章

 道助の帰郷した後の回想などが書かれている。特に印象的だったところは道助の末の弟の武助が大会社の副社長にまでなったという事である。また子や孫をみてどういうことがあったかなどを道助が思い出す。

 

三章

 道助の大分から東京へ帰ってきた後の暮らしぶりが書かれている。道助が老齢になり死を不安がるという事もある。

 

戦争に関わった故のこと 

 特に三章に書かれているが、戦争に関わった軍人だから帰郷した後、部下のことを思ったりするのだと思った。例えば以下の引用に軍人だったのだという事を感じた。

 (以下カッコやカッコダッシュは引用者がつけた)

 

徳山道助は長い間忘れられていた願望をまた口にするようになった。虚無僧に身をやつして諸国を遍歴し、戦死した部下の霊を慰めたい、というのである。 (328頁)

  

 (……) その代りに彼(道助)ができたことは、戦死した部下の遺族の集まりに出席を乞われた時は必ず赴いたこと、そしてまた墓標を書くことを乞われた時も必ず引受け、早朝に起きて身を浄めて墓標書きに没頭したことであった。 (332頁)

 

相変らず独り碁を打っていたが、時々彼(道助)は錯覚に陥った。石を一つ打ち間違えると、何千という部下の生命に関係して来そうな気がしたのである。そして独り碁も打てなくなってしまった。 (338頁)

 

 帰った後も思い出すのは仕事のことで、それはあることだろうとは思うが特に最後の引用——それが碁という趣味に影響するというのは辛いことだろうと思った。

 

死を暗示する比喩

 死を暗示するものがあったので紹介する。どちらも道助が東京へ帰ってからのものである。二つある。一つは鴉が柿の実を狙っているという事が自分の死の時が間近なことを告げに来たのではないかと思う場面である。二つ目は壁に飾ってある絵を見た道助についてである。壁の絵は牡丹と雉子がかかれる。以下の様である。

 

 その牡丹の花びらが、何片も地面に落ちていて、雉子がその落ちた花びらをじっと見詰めている。——うっすらと虹のさしたその白い花びらが、臥せている間、道助には、部下の血に見えたり、骨に見えたりしたのだった。そして雉子が彼自身に、部下のおびただしい死に耐えかねて自分の死をひそかに願っている彼自身に思えたのだった。 (335頁)

 

 鴉と家にあった壁の絵が死を暗示する。特に後者は手が込んだ感じがする。一見牡丹と雉子という自然のものが描かれている。中にはそれをみて好いと思う人もいると思う。が見る人によっては血とそれを見る自分にみえる。 

 

感想

 主に一章では~年に何が起きたというのが年表の様に書かれている。ここは何年の後何年に何が起きたというのが書かれていた感じがしてスパンが素早い印象である。二章・三章では家族との様子や道助の戦争への回想や家族との思い出が書かれていて、スローなペースになってきているなと思った。特に一章のものは何年に何が起きたという時代性を大事にしている感じがすると言う点で有吉佐和子の「紀ノ川」を思い出した。けれども「紀ノ川」は軍がどうとかいうわけではなく、もっと今になっては身近であろう日常のことを書いているという事に違いがあるのだと思う。また、この二作品の比較を言えば「紀ノ川」でも勿論地域では何の行事があったなど読めて恐らく本当の事が書かれているのだろうと思ったのだが、全体の歴史のかんじというのは当時の一般的な時事を持ってきた感じがした。が、この「徳山道助」ではそれが一般的と言うわけではなく、何の戦争にあたったか戦争の時の位はどうだったのかというのはより個人的な気がして、また、より本当に近いと思った。徳山道助のモデルはあるようで、柏原兵三の母の父伊東政喜がそのモデルの様だ。 (レファレンス協同データベースを参照) そのためより本当っぽく書けるのだろうなと思う。

 戦争が多く書かれていることは自分が歴史に疎いので真実性が分からないという事や、親戚が多いことは読んでいる内に見失いがちなので、その点はあまり得意な読み物だとは言えない。が、軍人がその役目を終えた後どう行動するかの一例が帰郷と共に書いてあった点で自分にとって新鮮だった。

 

選評とそれに対して思ったこと

(以下「芥川賞全集 第7巻」を参照)

 審査員は三島由紀夫、石川達三、大岡昇平、舟橋聖一、瀧井孝作、丹波文雄、石川淳、井上靖、永井龍男、中村光夫、川端康成である。

 

 三島由紀夫は「徳山道助の帰郷」について「手の込んだ作品」としたうえで以下のように書く。

 

 しかし瑕瑾もあって、最後のところで、「無神論者」という重要な問題が出て来るのに、何らこの伏線も展開もないこと、また、はじめの二章が、いくら何でも長すぎて、緊張の持続を失っていること、等が技術的に問題があるのみか、文体も、自然の流露感や内的必然性がなく、若隠居みたいな気取りの見えるのが残念である。それがまた長所になって、教養主義の臭味をみじんも感じさせないところは、腕前である。

 

 「いくら何でも長すぎて」このコメントは審査員側の感じがするが、書いたものとしては「いや、別に賞を意識しているわけではない」等とやりとりがありそうな感じがする。

 

 大岡昇平は「徳山道助の帰郷」について以下のように言う。

 

  ただ太平洋戦争が負けると判断して、何もしなかった旧軍人を想像することは私にはむずかしい。それでいて戦後軍人恩給停止にあい「陛下にすてられた」というのは変である。軍人の人間性が仮構されている点に不満であった。

 

 ここは歴史に疎いので何ともいい難いが(そういう意見もあるんだ)という風に思った。

 

 川端康成は「徳山道助の帰郷」について以下のように言う。

 

 しかし、「帰郷」を書いた部分、殊に結尾のすぐれているのにくらべて、徳山中将の経歴を書いた冒頭はまったく劣っている。「帰郷」だけを扱った作品と見て、これを取った。

 

 

参考

 手元にある物ー柏原兵三、「徳山道助の帰郷」 (「芥川賞全集 第7巻」より)、文藝春秋、1982年