高井有一著「北の河」(第54回 (1965年下半期) 芥川賞受賞作) を読む 

 高井有一のものは初めて読む。以下、話の内容や感想などを述べていく。

 

 

話の内容 

 父が死に、又4月の空襲で都会の家が焼かれた15歳の私という少年と母が疎開先の東北で暮らしている。昭和20年冬、母が自殺をする。少年が目覚めたら母はもういない。

 死んだ母の描写を含め母が疎開先でどう思ったかを書くのが話の中心である。

 

母の特徴

 話の中心は少年の母である。だからここでは母がどういう特徴をもっていたかを書く。一言でいえば閉じこもった感じがある。家が焼かれた日、群衆を避ける傾向がある。他人に生活を曝け出すという事もしようとはしない。しかし反対にそれが表出するところもある。例えば164頁。燃料に使える木の事務員の配布が少なかったことをを「不安である。又もう冬が近いでしょう。」という風に言っている。

 

母はなぜ自殺をしたのか

 東北での暮らしで私は母に「東北でも住めないことは無いんじゃないか」という。母はそれを見て私の手首を掴むという場面があり、その時の眼を私は(精神の平衡を失っていたかどうかは判らない)と思う場面がある。精神、母が自殺した理由は精神的にまずかったという外角的な理由でも構わないと思う。「精神的に~」というのは何かの理由で使い勝手が良く構わない。しかしもっと何故死んだか、を注目したい気がする。

 先ず母は祖父の元に「一緒に暮らしたい」という手紙を書くが祖父から手持ちの有価証券が下落し、それに荒んで誰も他を顧みなくなったから「来ないでほしい」という手紙を送られた。これは相当なショックではないだろうか。頼るような手紙を出し、断られたということは。

 寒さが死因だというのもある。しばしばこの作品で「もう冬が来る」という事を母がいい、寒さに注目しているというところがある。けれども171頁で母が「寒いが、それだけではなく何もない所で、寒さに閉じ込められてしまう。それは今年の冬だけでなく、ずっと続く。」という様な事を言っている。漠然とした生活への不安を感じる。

 又私(少年)と話すことを嫌って自殺したのかもしれない。私は母のことを理解しきれたとは言い切れず、近所づきあいなど他の人は(好意をもって接してくれているんじゃないか)と思うこともあるが、母は私を突っぱねている。私と話すことがいやで疲れてしまったという場面もある。これは実話のような感じもするので私が母に対し申し訳なさのようなものを感じているというのもあるだろうが。

 母の死は若干投げ遣りな印象があるが、こうではないかと思うことを書いていった。

 

柿の描写

 前の章立てとは変わってただ上手いなと思ったところを引用する。それは柿のことで深い秋を表すと同時に冬が迫っているということを表現するのがいいなと思った。以下の様である。

 

 学校へ行く途中の広い庭を持った農家に、高い柿の木があった。他に高い木はなく、柿だけが思うさま伸びていた。少し前、其処を通りかかって何気なく見上げると、柿の葉は殆ど落ちて成った実が露わであった。朱色の実は数多くはなく、黒い枝の所どころにあり、晴れ切った空に冴えて、私は美しいと思ったが、考えてみれば、この柿の姿は、秋の、それもかなり深い秋のものであった。その後には冬が接していた。寝転んでいる畳も冷たかった。 (165頁)

 

 数多くはないが実がなっている、露わで空に冴えている、というところがいいと思った。

 

死骸の描写のところで自然の描写がある

 細かいところではある。人の死骸の場面の描写の引用はあまり心地いいものではない。が、現実感あるところだった。母の死骸は雨の中東北の洲の中央に打ち上げられる。そこを私は舟で進んでいく。私は舟の舳にいる。そして死骸を含め周りを見る。最初の方の場面である。舟で洲まで行く場面を引用する。

 

 私は舳にいて、対岸の河を抱くようにして聳え立った山を見た。水面から三丈余は暗赤色の肌の崖となり、水はその下を抉って青緑色に流れていた。水面下で流れは更に深く蝕んでいるであろう。山からは木を伐り出しているらしく、かなり深く繁った形が此処彼処に倒されて乱雑に横腹を見せていた。船は忽ち洲に着いた。人々は誰も一言も言わず、依然止まぬ糠雨の間をすかすように凝っと私を見ていた。焚き尽された感じの篝が白煙と僅かの焔をあげていて、その傍に母がいた。 (156頁)

 

 崖や山や焔に注目している。

 舟で母の元へ行く描写は最初の方に持ってきて最後でまた戻ってきたのだろう、雨の中、又描写が最後でも描かれている。

 

 

感想

 疎開後の東北での母を中心としてどのように母が感じたかがうまく書けているなと思った。その生々しさ、又自然的な描写があり、読むのに一字一字追っていった。使われる漢字も容易だとはいえず、難しかった。時系列は順順と言うわけではなく若干回想など注意深く読む必要があり読み易いとはいえない。郷静子の「れくいえむ」という戦争に関わることを書いた作品があるのだが、それを自分は途中で閉じてしまった。要は戦争を扱ったものは回想、どこを際立たせようか、というのを話のはじめから終わりまで筋がうまくなるよう順に書いていくことは難しいのだと感じたためだ。

 細かいところではあるが最後母の棺に蓋がされた後、少年(私)は涙ぐみ「老人の私を呼ぶ声がした。」というところがあるのだがこの老人とは何か、というのは疑問に思った。急に少年が老人になっているからだ。それくらい衰えを私自身が感じているという事か。わからない。

 今回なぜ母は死んだのかを書いていったのだがそこは別に著者自身あまり見せようとしなかったのかもしれない。或は作り話の要素があれば著者も決めかねたのかもしれない。読んでいて母親のちょっと不気味ともとれる行動と自殺と、息子と距離をとる感じがよく書かれたいた。その書かれ方はそういうものだと思えばそうだろう。死ぬ理由がはっきりしないことだってあるだろうし、漠然と死にたいと考えることだってあるだろう。けれども理由が分からないが私を拒み、(そういえば、何で母は死んだんだ)と若干の疑問が残る感じがしたので一応そこに関して書いた。

 

選評 

 (「芥川賞全集 第7巻」より一部抜粋)

 審査員は瀧井孝作、石川達三、川端康成、丹波文雄、石川淳、井上靖、中村光夫、舟橋聖一、永井龍男である。

 舟橋聖一は以下の様に書く。「高井有一「北の河」は哀愁ある佳品である。ことに河の中洲に母の遺体が流れついて、その顔をたしかめるために、俯伏せになっているのを仰向けにするとき、顔の部分が石に当って鋭く鳴るあたりの描写力は、印象いとも鮮やかである。もっとも半分以上はフィクションだろうから、いっそ息子の年齢を十八くらいにすれば、もっと背景や周囲が鮮明になり、母との心理も生々しくなって、ちょっとした傑作が生まれたかも知れない。」

 

 川端康成は「北の河」について以下のように書く。「いかにも地味で、古風かとも思える作品である。しかし、決定の後に読みかえしてみると、地味で古風かとも思えるところに、質実で丹念な観察と描写があって、これはこれで一つのものであろうか。要するに、母を死にいたらしめる境遇と風土、それにともなっての心理の追求であるが、地味と見えながら作者の工夫はかなりに働いている。抑える作風は近ごろめずらしいのかもしれない。なお今後に期待する。」

 

参考

 手元にある物ー高井有一、「北の河」 (「芥川賞全集 第7巻」より)、文藝春秋、1982年