丸山健二著「夏の流れ」(第56回 (1966年下半期) 芥川賞受賞作)を読む

 丸山健二のものは初めて読んだ。以下、話の内容や読んだ感想などを述べる。

 

  

話の内容 

 場所設定は刑務所、夏である。私(佐々木)の仕事は刑務官。私には妻や子供がいる。妻は妊娠中である。同じ仕事をしているものとして堀部や中川がいる。堀部は釣り仲間。中川はまだ新入りであり、刑務所の中にいるある囚人に怯えるところがある。そのある囚人は中川のことを殴り、蹴り、……中川はなめられている側面がある。

 ある囚人の死刑執行日が決まった。けれども中川はその日の当番を嫌がり、私は堀部と代わってもらうことを堀部に提案する。そして代わる。中川は「この仕事はやめたい、死刑執行という形であるとはいえ人を殺したくはない」と言う。

 死刑執行の日は雨。ある囚人は暴れながらも死刑執行は済んだ。中川は私と堀部の元を訪れ、「仕事をやめる」という事を言う。

 死刑執行が済み、私は特別休暇をもらう。私達家族は海へ行く。妻は「あの中川という人には仕事が合わなかった。しかしあなたや堀部は合っている」という事を言う。私は子供たちが大きくなったら(おれの職業知ってどうするのか)等思う。妻は大声で子供を呼び、子供はこちらへ走って来る。

 

ヘミングウェイの作品を思い出す

 釣りや海は、あまりなじみがないので自然な流れとは言えない。日本で見るとすれば刑事ドラマだとそんなシーンがあったかもしれないなという風に思う。

 ヘミングウェイの作品には例えば釣りに行ってサンドイッチを食べたりだとか、細かく魚の動きが描かれていたりとかする。刑務官だからという一種特別な仕事だから、気分転換も一風変わっていて行くのだろうか?

 釣りが出てきたのは堀部と中川が当番を代わるというところで、海が出てきたのは最後の場面の妻や子供と私が特別休暇海へ行くという場面がある。何れも(あんまり馴染まないな)という風に思った。

 しかし海という場所が作中で描かれているのは面白い。例えば最後の妻と子供と海へ行った場面では私はビールを飲んだり、妻と私は「もう辞める」と言った中川はあの人は仕事が合わなかっだけと言い合った上で(子供が将来刑務官という仕事を知ったらどう思うか)等と考えている。又堀部と中川が当番を代わったのも釣りの最中であった。当番を代わるということの懇願があまり自然な感じのしない海という場所で行われていたが、もしこれがより日常に近いところで行われていたらどういう印象を持つか?と尋ねられれば微妙なところである。

 釣りや海という場所が重要なことが描かれるところだなと思った。

 

人間の死・出産の対比

 私(佐々木)の妻は物語では妊娠中ということになっている。私は最初の方で子供が(男だったらいいか、女だったらいいか)等悩んでいる。その点自由度はある。一方死刑執行が決まっている囚人もいる。執行の場所へ連れていかれる途中で振り解こうとし、大声で叫び……。この対比がうまいなという風に思った。昨日読んだばかりの「玩具」ではペットの雌は腹が脹れてきているのに、妊娠中の妻は一方あまり脹れずという対比があったが、この作品では、新しく生まれることとなる人間を待ち望む感じともう殺されることとなる人間が対比されている。

 

死に際した際の人間の行動

 ここは重要なテーマだろう。この作品ではある囚人が死刑が決まり、死刑の場所へ行くある囚人は周りの人間を振り解こうとしたり、繰り返し叫んだりしている。ここは本当のところどういう傾向があるのだろうと思った。というのも中にはもう死が決まった状態でそれを受け入れるというタイプの人間もいると思ったからだ。実際どうなのだろうか。

 

感想

 あまり描写が多いと言うわけではない。勿論作品の尺というのも関係しているだろう。物語の前半は動作が多いという印象。——歩く、座る、或はある囚人の暴力、釣りに行く……。後半は死刑の事、それから中川は仕事をやめるか否かという事が多いという印象だった。例えば死刑の後すぐに中川は私と堀部のもとを訪れ、「仕事を辞める」という風に言う。ここはあまり自然な感じという風に言えない。死刑執行を終える。その後、仕事の仲間は「この仕事辞める」ということを言ってくるだろうか。反対に言えば、死刑が済んだ後直ぐ(仕事辞めます)というのは一種独立した場面であるということを呈示しているように見え、その意味ではいいと思ったが。

 作品の一部分を見ればヘミングウェイ的な要素のある——(それを自分は海や釣りに行くことだと考えているのだが)

場面があり、面白いなと思った。自分はヘミングウェイの作品に興味があるのでそれを日本語で取り入れるとどうなるだろうか考えたことがあるからだ。しかし海や釣りに刑務官が行くという事はあまり馴染めないなという風に思った。

 

選評

 (「芥川賞全集 第7巻」参照。一部引用する。)

 石川達三は次のように言う。「私は今回は受賞作なしと断固に主張した。」

 中村光夫は次のように言う。「今度は同じ程度の出来の作品が多かったので、銓衡が紛糾するかと思いましたが、意外に早く「夏の流れ」 (丸山健二)に決定しました。

 ほかにない魅力がこの作品にあったせいでしょうが、一方欠点もかなり眼立ちます。

 どぎつい題材を扱いながら、それにもかかわらず、軽く仕上げたところが作者の人柄を感じさせますが、看守の家庭の描写に生活の匂いが欠けていて、全体が絵に描いたようなきれいごとに終っています。

 しかしこれも作者の年齢を考えれば自然なことなので、処女作にこれだけのものが書ける才能は、多少冒険で買ってよいでしょう。」 

 

参考

 手元にある物ー丸山健二、「夏の流れ」 (「芥川賞全集 第7巻」より)、文藝春秋、1982年

 

 (この作品は第56回 (1966年下半期)芥川賞受賞作である。審査員は三島由紀夫、瀧井孝作、井上靖、石川達三、丹波文雄、石川淳、永井龍男、大岡昇平、川端康成、中村光夫、舟橋聖一)