アーサー・キラークーチの「いい旅」('A happy voyage')(「トロイの小屋」('A cottage in troy')より)を読む

 アーサー・キラークーチ(1863-1944)の「いい旅」という短編(5ページほど)を読んだ。これは「トロイの小屋」の話のひとつで、読んだペンギンブックスにはほかにもう一つあったが、今回は「いい旅」のみを紹介する。

 

 主人公は舟がとめてある付近の小屋に住んでおり、前まではアニー(Annie)というオムレツをうまく作ってくれるお手伝いがいたのだが、お手伝いのアニーはプリマス・ブレザリン(本文ではPlymouth Brother)という宗教に熱心なトバルカイン(Tubal Cain)*1という男と結婚することになった。主人公はアニーが家から離れてしまう時に、思いとどまるようにいったが、アニーは出て行ってしまった。

数日経ち、主人公が、ひとりで食事をしているとき、アニーとトバルカインが小屋にとめてある舟のそばにいた。ハネムーンの最終日にここへやってきたようだ。トバルカインはバイオリンを弾いていた。トバルカインはアニーに自分の信じているいくつかの宗教的なことを「信じているね」と聞いて、アニーはその質問にすぐ頷いた。その後、トバルカインがバイオリンを弾くなか、トバルカインが主人公にあなたがバイオリンを弾けないのは残念だが、踊ることはできる、弾いてあげるから踊ってくれば、といい、主人公とアニーのふたりはワルツを踊った。主人公はトバルカインの宗教的な男のさきほどの質問が気に掛かっていた。そのためワルツには乗り気でなかった。そしてアニーは先ほどすぐ頷いたけれども本当はどうかんがえているのか知りたかったが、ワルツをしていてそれどころではなかった。

 

 だいたいこんな話である。

 

 

 

 うす気味悪い印象を受けた。プリマス・ブレザリンという宗教ははじめて聞いた。アニーが宗教的な内容を吟味せず、トバルカインの言ったことにすぐに頷いてしまうというのが、いいことではないと思った。どこか強制的なような気もする。アニーのほんとうの気持ちはわからない。

 二人でワルツをしているなか青い光があるのだが、独特だと思った。引用する(引用のうしろはkankeijowboneの訳)。'The blue light - that bewitching intoxicating blue light- paled on us as we danced.'(p.65)(「私たちがワルツをしているとき幻惑的で夢中にさせる青い光が射した。」) 

 

 題名の'voyage'の部分は、ハネムーンであったり、お手伝いだったアニーが結婚することを表していたり、舟が小屋の近くにあることも関係しているのかと思った。

 'A happy'の部分は、これから結婚するということがかかれているからであったり、主人公が家をでていったアニーに出会えたからそういうタイトルなのかと思った。weblio辞書をみると、'happy'は複合語(たとえば'sports-happy'で「スポーツに目がない」という意味のようだ)だと「夢中になった」や「とりつかれた」という意味を表すようだ、はじめて知った。

 

 

以下、調べた単語の一部(weblioやcambridge dictionary、電子辞書などから)

''em'-them

''twould'-it would  

''tis'-it's

'distortion'-ゆがめること

'anchored'-停泊した

'bulwarks'-防波堤

'scintilla'-ほんのひとにぎり

'incongruity'-不調和

'sabbath-day'-安息日

 

読んだ本

Sir arthur quiller-couch(Q), 'Selected short stories', Harmondsworth: Penguin Books, 1957

 

 

訂正(11月23日):プリマス・プレザリン→プリマス・ブレザリン

 

*1:『旧約聖書』に出てくる人物

ジャック・ロンドンの「火をおこす」('To Build a Fire')を読む

 「火をおこす」はカナダのユーコンという地域の極寒の様子(気温は-75°F (−59 °C))が書かれている。男(The man)は男の子たち(The boys)にキャンプで会うために犬と一緒に向かうが、途中、とても寒く、火をおこそうとしても手が麻痺してしまうなどの出来事が起こる。主人公の男には、ソルファー川の老人(The old-timer on Sulphur Creek)が様々な忠告をしていたのだが、男はその忠告を軽んじており、やはり忠告は正しかったんだ、というふうにおもうシーンが何度か出てくる。

 

 いろいろと寒さゆえの険しさがつたわってきた。また、本能的に寒さの危険を感じている犬と、自らの判断(ときにソルファー川の老人からの忠告を軽んじる)でやってきた人間(男)というのがひとつテーマだと思った。

 

 いくつか寒さゆえのシーンがあったので紹介する。(引用のうしろはkankeijowboneの大体の訳)

 'As he turned to go on, he spat speculatively. There was a sharp, explosive crackle that startled him. He spat again. And again, in the air, before it could fall to the snow, the spittle crackled. He knew that at fifty below spittle crackled on the snow, but this spittle had crackled in the air. Undoubtedly it was colder than fifty below — how much colder he did not know.' (p.14)

 「男はマイナス50°Fで唾を吐いたら雪に落ちるとパチパチ音をたてるのを知っていたが、唾を吐いたら雪に落ちる前にパチパチ音をたてた。何°Fかはわからなかったが、マイナス50°F以下ではあった。」

 

 

 物語のうしろのほうでは手が麻痺してしまって、歯をつかってものを拾うという場面が何度かある。ミトンの手袋を歯で拾ったり。以下のところでも歯を使っている。

 '...After some manipulation he managed to get the bunch between the heels of his mittened hands. In this fashion he carried it to his mouth. The ice crackled and snapped when by a violent effort he opened his mouth. He drew the lower jaw in, curled the upper lip out of the way, and scraped the bunch with his upper teeth in order to separate a match. He succeeded getting one which he dropped on his lap. He was no better off. He could not pick it up. Then he devised a way. He picked it up in his teeth and scratched it on his leg. Twenty times he scratched before he succeeded in lighting it. As it flamed he held it with his teeth to the birch bark.' (p.23)

 「...試行錯誤のあと、氷がパチパチ音をたてている中、男は手袋の付け根のうえにマッチの束を乗せ、口に運び、下あごを引き、上唇を開け上の歯でマッチをわろうとし、ひとつわれたが膝のうえに落ちてしまった。手が痺れていたので工夫した。——歯で拾い、脚の上で20回ほどこすると火がついた。それを樺の樹皮にもっていった。」

 

 歯でマッチをくわえ、膝の上でこするという姿勢は大変だと思った。

 

 

 

読んだもの

Jack London, 'To Build a Fire' (The best short stories of Jack Londonに収録されている), fawcett publications: Ney York, 1962

 

 

レイモンド・カーヴァーの「コンパートメント」('The Compartment')を読む

 「コンパートメント」はレイモンド・カーヴァーの『大聖堂』('Cathedral')に収録されている。一年ほど前に、表題と同じ「大聖堂」という短編を村上春樹の訳を参照しながら読んだ記憶がある。今回はその時に読んでいなかった「コンパートメント」という短編を読んだ。

 この話は、息子に8年間、喧嘩が原因で会っていないマイヤー(Myer)という父親がフランスに行き、会おうとして電車に乗ったが、途中でその息子のために買った時計がないことに気づき、やはり会うのはやめた、ということが主に書かれている。

  

 電車内でのマイヤーとほかの乗客の様子が書かれているのがよかった。マイヤーが寝れないのにほかの乗客は寝て、いびきをかいていたり、時計を盗まれた後、電車をうろついたり…。また、マイヤーのわからない言語を話す人物が車内に数人登場していた。マイヤーの孤独なかんじがつたわってきた。

 

 

読んだもの 

Raymond Carver, The Compartment('Cathedral'に収録), Vintage Classics,  2009

 

 

以下は参考

大聖堂 (村上春樹翻訳ライブラリー)

大聖堂 (村上春樹翻訳ライブラリー)

 

 

 

Cathedral (Vintage Classics)

Cathedral (Vintage Classics)

 

 

サルトルの「壁」を読む

 サルトルの「壁」という話を読んだ。これは政治的な活動をして、入獄させられ、刑が迫っている主人公のパブロやそのほか、おなじく処刑させられることになった人たちの心理などがかかれている。よんでいて思い出したのが、前にも紹介したが丸山健二の「夏の流れ」という作品である。「夏の流れ」では、おもに処刑する側について書かれていた。が、サルトルの「壁」はおもに処刑される側が書いてある。

 人が死刑というものに直面したとき、どういう行動をとるのか、どういう心理になるのか、ということは関心があるのだが、そういうことが多く書かれていた印象だ。「夏の流れ」にもたとえば、「囚人が泣きわめく」、「さけぶ」、「(執行官につかまれ)振り解こうとした」などの行動的な描写があったが、心的描写はあまりなかったように思う。「壁」ではもうすこしあったように思う。

 

 「壁」で印象にのこったところを載せる。ふたつある(以下、フランス語と訳)。

 

 Je regardais le Belge, arqué sur ses jambes, maître de ses muscles —— et qui pouvait penser à demain. Nous étions là, trois ombres privées de sang ; nous le regardions et nous sucions sa vie comme des vampires. (p.25)

 

 わたしはじっとベルギー人をながめた。両足をのばしてふんぞりかえり、筋肉を自由に支配している——あすのことを考えることのできる彼。ところがわれわれは血の気のない三つの影法師のようにここにいる。われわれは彼を見つめ、彼の生命を吸血鬼のように吸っている。(p.81)

 

 ここででてくるベルギー人とは、医者のこと(処刑とは関係ない)で、囚人のようすをみるためにきている。それを主人公のパプロふくめ、三人はよく思っていない、というシーン。対照的である。「夏の流れ」でも、主人公は妻がおり、その子供の誕生と囚人の死という対比があると思った。

 

 Je ne tenais plus à rien, en un sens, j'étais calme. Mais c'était un calme horrible —— à cause de mon corps: mon corps, je voyais avec ses yeux, j'entendais avec ses oreilles, mais ça n'était plus moi; il suait et tremblait tout seul, et je ne le reconnaissais plus. J'étais oblige de le toucher et de le regarder pour savoir ce qu'il devenait, comme si ç'avait été le corps d'un autre. Par moments, je le sentais encore.[...](p.28, 29)

 

 わたしは何物にも執着はなかった。ある意味では落着いていた。だがそれは身の毛のよだつ落着きだった——わたしの肉体を思うと。わたしの肉体。わたしは肉体の目で見、肉体の耳で聞いている。だがそれはもうわたしではない。わたしの肉体は一人で汗をかき、一人でふるえている。わたしにはもう覚えのない肉体だ。まるで他人の肉体のように、それがどうなっていくのかを知るには、それにふれ、それを注視しなければならない。ときどきわたしはまだ肉体を感じた。[...](p.85,86)

 

 ここは自分の肉体を強調していたのが印象的だった。

 

 

 

 読んでいて、タイトルにある「壁」が出る頻度はそこまでなかったように思う。しかし、「(銃を狙われるとき)壁に入りたい、だが、壁を背中で押してもびくともしない」などの文は面白いと思った。

 

 刑が決まって、人がどのようになるのか(心理面・行動面ともに)、という話があれば、さらにみていきたい。

 

 

 

読んだもの

Jean-Paul Sartre, Le mur('Le mur'), Gallimard, 2018

サルトル、「壁」(『水入らず』に収録されている)、新潮文庫、2003年

(フランス語と訳とを交互に見ていった。フランス語は全然わからないので、今後も見ていきたい。)

 

参考

丸山健二、「夏の流れ」 (「芥川賞全集 第7巻」より)、文藝春秋、1982年

前に「夏の流れ」を読んだときの記録ー丸山健二著「夏の流れ」(第56回 (1966年下半期) 芥川賞受賞作)を読む

 

ヘミングウェイの「春の奔流」('The Torrents of Spring')を読む

 この話ではヨギ・ジョンソン(Yogi Johnson)とスクリップス・オネイル(Scripps O' Neil)が中心に出てくる。どちらも春になったので女との恋愛を求めている。スクリップスはマンセロナ(mancelona、ミシガン州にある)という場所で女にいなくなられてしまう。それでペトスキー(petoskey、おなじくミシガン州にある)に行き、ポンプ工場の仕事に就く、そして安食堂の年をとったウェイトレスのダイアナ(diana)と恋をする。が、スクリップスはマンディ(mandy)とも話をしており、ダイアナはやきもちをやき、関係性が悪くなる。

 もうひとりのメインの登場人物、ジョンソンについてだが、こちらはあまり読み取れなかったのでわかる範囲で書く。ジョンソンはふたりのアメリカの先住民と出会い、一緒に歩き、ビリヤード場に行ったりするのだが、人種的な問題が起こる。ジョンソンは戦争を経験している。ジョンソンは恋愛を欲していなかったのだが、最後の方のシーンで靴だけ履いた北米インディアンの女と関係性を持つ。

 

 

 

 この本はシャーウッド・アンダーソンの本を参考にしているようで、それを読んだらもっと理解できるのかもしれない。

 

 わからない語があったのでそのつど調べた。ウィキペディアで調べたものをいくつか紹介する。まずシュノックウィンド(chinook wind)。話にたびたびでてきた。

Chinook winds /ʃɪˈnʊk/, or simply Chinooks, are föhn winds in the interior West of North America, where the Canadian Prairies and Great Plains meet various mountain ranges, although the original usage is in reference to wet, warm coastal winds in the Pacific Northwest.

 シュノックウィンドはもともとの意味はアメリカの北のほうで発生する暖かい乾いた風のようだ。

 画像を見たが、空が雲で覆われるシュノックアーチというのがあるようで幻想的だと思った。一度見てみたい。

 

 

 それとアメリカの先住民が持っていたワンパム(wampum)というもの。まずウィキペディアで調べた。

wampum is a traditional shell bead of the Eastern Woodlands tribes of American Indians. It includes white shell beads hand fashioned from the North Atlantic channeled whelk shell and white and purple beads made from the quahog or Western North Atlantic hard-shelled clam.

 貝でできたアメリカ先住民の伝統的なビーズのようだ。

 

 以下の動画も見た。


What is Wampum?

 

 この動画ではワンパムをもっている人がかしらであったり、人びとを招待するのにワンパムを用いたり、歴史的に大きな出来事が起きたときに記録に残すためワンパムベルトを作ること、ハイアワサ(16世紀のモホーク族インディアンの男性戦士、調停者)が貝殻を見つけたこと、ワンパムベルトに込められた思いなどが説明されていた。

 実際にワンパムを見てみたいと思った。

 

 

それからモカシン(moccasin)。これは北米インディアンの女が安食堂に来たときにモカシンだけ履いていた、というところがあって印象的だった。

A moccasin is a shoe, made of deerskin or other soft leather, consisting of a sole (made with leather that has not been "worked") and sides made of one piece of leather, stitched together at the top, and sometimes with a vamp (additional panel oleather). The sole is soft and flexible and the upper part often is adorned with embroidery or beading. Though sometimes worn inside, it is chiefly intended for outdoor use. Historically, it is the footwear of many indigenous people of North America; moreover, hunters, traders, and European settlers wore them. 

 モカシンは鹿の皮などでつくられており、歴史的には北アメリカの先住民の靴として用いられていたようだ。

 

 

読んだもの 

Hemingway, The Torrents of Spring, Harmondsworth: Penguin Books, 1966