陣内智則のネタの特徴

 陣内智則のすきなネタについては前、紹介した——陣内智則のすきなネタ10選

 

 今回は陣内のネタを見て、こういう特徴がある、と思ったものを3つ紹介する。いろいろとネタを見てまとめていったのだが、とくにまとまったものを選んだ。

 

見たもの(対象としたもの)…「羊が一匹」、「桃太郎電鉄」、「自動車教習所」、「不動産」、「防犯カメラ」(コンビニ)、「ボーリング」、「バッティングセンター」、「防犯カメラ」(自宅)、「脳トレ」、「ぷよぷよ」、「英会話」、「ゾンビゲーム」、「ゲームセンター」、「卒業式」、「ニュース」、「留学生トム」、「カーナビ」、「水晶玉」、「クイズ・ミリオンネア」

 

1. プラスの方向へ(物理的に)…すぎる(多すぎる、長すぎる、大きすぎる)

「羊が一匹」 夢の中で見る羊が多すぎる。 

「桃太郎電鉄」 プラス駅に止まって「48億」は多すぎる。

「自動車教習所」 トラックが長すぎる、ジーンズメイトばかり。

「カーナビ」 白木屋ばかり。

「防犯カメラ」(コンビニ) コンビニのバイトをカメラで見ると多すぎる。

「防犯カメラ」(自宅) ダックスフンドが長すぎる。

「ぷよぷよ」 ぷよぷよがでかすぎる。

「英会話」 ゴンザレスはでかい、ナンシーはゴンザレスよりも背が高い。

「ゾンビゲーム」 aという部屋はゾンビがいっぱいいすぎる。

「ゲームセンター」 人参抱えているうさぎの人参長すぎ、出口はもっと長い。

「卒業訓練」 二日に一回避難訓練、三日に一度はボヤ騒ぎ。

「ニュース」 天気予報の各地の地図に出てくるキャスターがでかすぎる

「留学生トム」 信号がとても長い(本来そういう長いではないが、日本語を取り違える。) 

「水晶玉」 子供の未来、四十八男までいる、多い。

 

 「…すぎる」というのは自分がそうであったら、嫌な場合もあるが、他の人やものがそうであると、どこか面白さを感じる。今回はプラス方向の「…すぎる」というものを選んだが、反対にマイナスに向う「…すぎる」というのも多くあった、「小さすぎる」であったり、「低すぎる」であったり…。中途半端に大きかったらいやな事でも、「…すぎる」くらい大きければ面白い、ということもある、…すぎれば、吹っ切れてむしろいい、ということもあるのだと思う。

 

2. 短期間での連続の笑い

「桃太郎電鉄」 ボンビーの切り替わりが連続するところ。

「自動車教習所」 一杯今まで出てきたキャラクターが集結するところ。

「ボーリング」 ボーリングの並び方のシーンでいろいろな並び方をするところ。

「卒業式」 連続で思い出を言うところ。

「ニュース」 地図(地形)の動きがいっぱいあるところ、「防犯カメラ」(コンビニ)でも同じネタはある。 

 

 特に「桃太郎電鉄」のボンビーの切り替わりのシーンは、実際ゲームでも切り替わりがいくつかあるため、うまくゲームのシーンを使っていると思った。

 

3. 関係ないものをもってくる

(関係ないといってもふつうそうはならないということであって、ものの性質が似ている、あるいは、ものの対応関係はある、という場合もある。)

「不動産」 ac(公共広告機構)が間取りにある。

「防犯カメラ」(コンビニ) 防犯カメラをみている途中に天気予報に切り替わる。

「ボーリング」 一本マヨネーズが入ってる。

「バッティングセンター」 おにぎりを食べる。

「防犯カメラ」(自宅) よねすけがいる。

「脳トレ」 〈じゃんけんのテスト〉でグーチョキパー以外の手が出てくる。

「ぷよぷよ」 にこちゃん大王、テトリスのもの、ばぼちゃんが出てくる。

「英会話」 発音を言う最中に大事マンブラザーズマンが出てきて「どこでなにしてんやろ」と言う。

「ゾンビゲーム」 (aという部屋はゾンビがいっぱいいる)のに対して、bという部屋はバンビがいっぱいいる。

「ゲームセンター」 マジカルチェンジで、人間の進化で人間の前が武田鉄矢。

「卒業式」 卒業式の思い出で、「4組の神林君は貧乏」と言う。

「ニュース」 キャスターの元へ臨時ニュースとともにリンゴジュース(語呂がいいから)が出てくる。

「桃太郎電鉄」 TSUTAYAカードがでてくる(普通ない)。

「クイズ・ミリオンネア」 クイズから、占いへ変わる。

 

 関係ないものというのは面白い。例えばいいとものグランドフィナーレで、木梨憲武が関係ない人をいろいろと舞台に立たせていたが、それも面白いと思った、また、違う分野の人が集まって何かをするときも見ていてわくわくする。

 

まとめと今後

 今回はカテゴリーとして選んだものの幅が広かったかもしれない、とくに、〈関係なさ〉とあったがこれは何が関係ないか、は多数あると思うし、それは見る人にも大きくよるとおもう。また、今回紹介したことは陣内の独特さというよりも、ほかのお笑いにも通ずるところがあると思う。

 紹介したのは、陣内のネタの特徴のいくつかであって、それ以外にもたくさんある。このようにどういうネタがあるのか集めていってまとめたところで、陣内のように実際に映像(音)を使ってネタをしていくのとは随分わけが違う。準備など大変だろうし、映像(音)を使いながらネタをするということが、すごいと思う。

 

 他の芸人のネタももっとみていきたい。

 

ロートレックについての本を読む

はじめに

 ロートレック(1864年11月24日 - 1901年9月9日)は、フランスの画家である。ムーラン・ルージュの絵を描いた。

 前々からムーラン・ルージュという場所はネットのサイトを見ていて、風車が回っており、気になっていた、いいデザインだと思っていた。今回はそのムーラン・ルージュの絵を描いたロートレックについて本を読み、気になったことなどを書いていく。 ※読んだもの(略)…杉山菜穂子著、「もっと知りたいロートレック」、東京美術 

 

ロートレックの生まれ、身長、骨折

 ロートレックは1864年11月24日、南仏(アルビ)で名門の家に生まれた。

 13歳のとき、椅子から立ち上がる際、バランスを崩し左足を骨折、翌年、散歩の途中、溝に転落し右の大腿骨を骨折した。以降、両脚が委縮する生涯を抱え、身長は152cmで止まったようだ。ボスク城というところの壁には、ロートレックが身長を測り、高さを刻んでいた跡がある。

 ロートレックの父親は馬が好きでロートレックもそれに魅せられていたのだが、骨折によって乗馬は出来なくなった、より一層馬へのあこがれを募らせ、馬を描いた絵は多く存在する、例:「白馬〈ガゼル〉」。 

(6p-13pを参照した)

 

モンマルトル・ムーラン・ルージュ

 ロートレックの絵を学んでいたアトリエがあったコルモンは、モンマルトルにあった(そこでゴッホとも知り合う。) (15pを参照した)。 

 ロートレックが活躍した19c後半のモンマルトルは家賃が安く多くの若き画家たちが住む街だった。ブルジョワが暮らす地域と下町との境界の大通りグラン・ブルヴァ―ル沿いに広大なダンスフロアのある娯楽施設「ムーラン・ルージュ」が開店した。 (31pを参照した)

 

特に印象にのこった作品

 特に、イヴェット・ギルベールという歌手を描いた作品が印象にのこった。

 

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〈イヴェット・ギルベール (未完のポスターの下絵)〉

 ロートレックはときに本人を不快にさせるほど辛辣にデフォルメすることがあるようだ。この、イヴェット・ギルベールの絵もそのようで、描かれたイヴェットは大いに困惑し、結果、スランタンという画家の〈イヴェット・ギルベール〉という作品が採用されたようだ。

 なお、その後に描いたロートレックの〈イヴェット・ギルベール〉の出来は、イヴェット・ギルベール本人も満足したようだ。 (42,43pを参照した)

 

 目立たせるためにデフォルメをしたのだろうか、気になった。この絵は唇や鼻が上を向いていて、おどけたような印象を受けた。

 

そのほか気になったところ

 ロートレック以外にも同時代の人気ポスター作家たちはいたようだ、ジュール・シェレ、テオフィル・スランタン、アルフォンス・ミュシャ、ピエール・ボナール(49pを参照した)。

 

全体的な感想、おわりに

 ロートレックはいろいろと興味深い人物だった。生まれであったり、色であったり、…日本画にも興味があったようだ、そこも詳しく分かったら書いていきたい。

 

 自分はとくに、ロートレックの黄色がいいと思った。あまり、黄色には注目したことがなかったけれど、これから、注目していこうとおもった。ロートレックの作品では、眼の描き方がいろいろバリエーションがあって、面白いと思った。

 

 同時代の他の作家についてもさまざま書いてあった。他の作家についても調べたいと思った。

 

参考

今回読んだもの…高橋明也監修・杉山菜穂子著、「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたいロートレック 生涯と作品」、東京美術、2011

 

引用した絵…ロートレック、〈イヴェット・ギルベール(未完のポスターの下絵)〉('Yvette Guilbert Taking a Curtain Call'ともいうようだ。)、1894年 (Wikiartより)

 

もっと知りたいロートレック―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

もっと知りたいロートレック―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

 

 

陣内智則のすきなネタ10選

 前までエンタの神様などで、陣内のネタは見ていた。その後も動画などで、陣内のネタはときどき見る。いままで、なかには、「陣内のネタは映像を使うからなんかずるい…」という人もいた。しかし、自分はそれでも陣内のネタが好きである。どういうところが好きかというと、ものの性質をそれぞれうまく活用しているところと、それを、映像を使いながらという斬新な、また、準備に時間が相当かかるであろう方法でネタを進めていくところである。今回は好きな陣内のネタ(映像を使ったもの)を10こ紹介する。あわせて、どのような点が好きかも書く。

※ランキング形式ではない。

 

 

1. 「セミの一週間」 

 セミの寿命が短いというところを使っているところ。

 

2. 「テレビショッピング」 

 物の性質をうまく使っているところ。

 

3. 「ゾンビゲーム」 

 ゾンビがふつう持っていないと思う性質をもっているところ。

 

4. 「鼻歌検索」 

 歌それぞれの替え歌がおもしろい。

 

5. 「名画」 

 それぞれの画のタイトルが面白い。それをうまく生かしている。シャルダンはこのネタで知った。

 

6. 「桃太郎電鉄」

 桃太郎電鉄はやっていた時期があったので見てて楽しかった。

 

7. 「自動車教習所」

 ツッコミどころがいろいろある。こんな運転シュミレーションは嫌だと思った。

 

8. 「バッティングセンター」

 バッティングセンターはふつう、通常の野球とは違って、だいぶ省略された部分がある、が、これはそういう省略される部分も、されずにいたところが面白かった。

 

9. 「ボーリング」

 ボーリングのピンが並べてあるところは投げる側からは見れない。しかし、そこをうまく活用していたところ。

 

10. 「不動産」

 間取りを見ることはいろいろと面白いと思った。

 

〈おわりに〉

 以上10こ、紹介した。他にも好きな作品はいろいろあるが、今回はとくにすきなものを選んだ。

 

 機会を改め、どんなふうにネタをつかっているのか、ということも、今準備中であるが、もう少し詳しく、書いていきたい。

小説は生活からくるものか?(菊池寛の「小説家たらんとする青年に与う」を読んで)

 菊池寛(1888年(明治21年)12月26日 - 1948年(昭和23年)3月6日)は、雑誌「文藝春秋」を創設したり(1923年)、1935年、直木賞・芥川賞を設立した人物である。今回は「小説家たらんとする青年に与う」(講談社、「日本現代文学全集」より)という作品を読んで、小説は生活から来るものか、ということを書いていきたい。 

※この作品は旧字体で書かれていたが、新字体に直した。

 

「小説家たらんとする青年に与う」のなかで生活について書かれていて気になったところ ※省略した部分は(…)で表記した。

 僕は先ず、「二十五歳未満の者、小説を書くべからず」という規則を拵えたい。全く、17,18ないし20歳で、小説を書いたってしょうがないと思う。

 とにかく、小説を書くには、文章だとか、技巧だとか、そんなものよりも、ある程度、生活を知るということと、ある程度に、人生に対する考え、いわゆる人生観というべきものを、きちんと持つということが必要である。

(…)

 吾々が小説を書くにしても、頭の中で、材料を考えているのに三四カ月もかかり、いざ書くとなると二日三日で出来上がってしまうが、それと同じく、小説を書く修行も、いろいろなことを考えたり、或いは世の中を見たりすることに七八年もかかって、いざ紙に書くのは、一番最後の半年か一年でいいと思う。

 小説を書くということは、決して、紙に向って、筆を動かすことではない。吾々の平常の生活がそれぞれ小説を書いているということになり、また、その中で、小説を作っている筈だ。

(…)

 僕なんかも、始めて小説というものを書いたのは、28の年だ。それまでは、小説といったものは、全く一つも書いたことはない。紙に向って小説を書く練習なんか、少しも要らないのだ。

(…)

 それから、小説を書くのに、一番大切なのは、生活をしたということである。実際、古語にも「可愛い子には旅をさせろ」というが、それと同じく、小説を書くには、若い時代の苦労が第一なのだ。金のある人などは、真に生活の苦労を知ることはできないかも知れないが、とにかく、若い人は、つぶさに人生の辛酸をなめることが大切である。 (194-195p)

 

 しかし、ただ生活をしていればいいのかというと、そうではなく、どういう風に他の作家が人生を見たかが大切であるという。以下はその部分。

 では、ただ生活してさえ行ったら、それでいいかというに、決してそうではない。生活しながら、色々な作家が、どういう風に、人生を見たかを知ることが大切だ。それには、多く読むことが必要だ。

 そして、それら多くの作家が、如何なる風に人生を見ているかということを、参考として、そして、自分が新しく、自分の考えで人生を見るのだ。言い換えれば、どんなに小さくても、どんなに曲っていても、自分一個の人生観というものを、築き上げていくことだ。 (195p)

 

それを読んで

 上にあったように、菊池寛は初めて小説を書いたのが20代後半と遅かったようだ、そこからの立場で書かれているということは注意すべきだと思う。

 しかし、菊池寛のいうように、たしかに、生活が小説そのもの、生活の苦労を知るべし、そして人生観をもつべきだというのあるかもしれない。また、「吾々の平常の生活がそれぞれ小説を書いているということになり」というところは、書くというのは生活することでもあるのか、と思った。

 

 けれども、実際のところはどうなのだろうか…例えばプロ野球と高校野球、高校野球だと若く、下手な部分もあるが、それゆえのよさ、というのもあるとおもう。

 芥川龍之介とか大江健三郎とかは、若いうちから才能があったような…というふうにも思う。

 

 が、小説を書く場合はもしかしたらプロ野球などのスポーツとは違って、若いうちから苦労するのが難しいのかもしれない。

 自分は、何歳で、才能が現れるのか、ということは人それぞれだと思う。しかし、文を書くとなると、菊池寛の言ったように、ある程度年齢をとっていないといけないようにも見える。

 

おわりに

 菊池寛のいうように、小説というのは、ある程度生活をしていかなければならない、また、人生観をもっていなくてはならないと思う。が、それは菊池寛自身が遅くから小説を書き始めた、ということは注意すきだと思う。また、若くして才能あったものもいるので、結局は何歳で小説を書くのかは人それぞれではあると思う。

 今回は主に菊池寛は生活の苦労の面を言っていたと思うが、他にも生活といっても色々あると思う。生活とは何か、ということも見ていけたらと思う。

 

今回読んだもの

菊池寛、「小說家たらんとする靑年に與ふ」(日本現代文學全集57 菊池寛・久米正雄集、1967年より) ※旧字体で書かれたものは新字体に改めた。

 

シャガールについての本を読む

〈はじめに〉

 JITTERIN'JINNの「プレゼント」という曲には「あなたが私にくれたもの シャガールみたいな青い夜」というところがある。「シャガールみたいな青い空」とは…と前から思っていて今回はそのシャガールについての本を読んだ。気になった点などを紹介する。

 

マルク・シャガール(Marc Chagall, イディッシュ語: מאַרק שאַגאַל, 1887年7月7日 - 1985年3月28日)は、20世紀のロシア(現ベラルーシ)出身のフランスの画家。(Wikipediaより)

 

シャガールの生まれ

 シャガールは1887年7月7日、リトアニア国境に近いベラルーシの町ヴィテブスクで生まれた。シャガールが育ったのは、伝統的なユダヤ敬虔主義を信奉し、イディッシュ語を話すユダヤ人の家庭であった。とても寒く、貧しかった。 (ダニエル・マルシュッソ―著、「シャガール」、17、18pを参照した。)

 

ゴーゴリについて

 まず気になったのが「鼻」や「外套」、「死せる魂」で知られるロシアの小説家ゴーゴリ(1809年-1852)について書かれているところである。二人は同世代の人物ではない。

 1920年ごろ、シャガールは舞台装置を担当することになって、ゴーゴリの「検察官」の舞台装置を担当することになったようだ。 (ダニエル・マルシュッソ―著、「シャガール」、59pを参照した。)

 また、画商アンブロワーズ・ヴォラールという人物が一流画家たちの挿し絵を入れた豪華本の出版を企画していた、ヴォラールは童話「ドゥーラキン将軍」の挿し絵をシャガールに依頼したが、シャガールは挿絵を描くならゴーゴリの「死せる魂」にしたいと強く主張したようだ。1923年から25年までの2年間、シャガールは版画制作に取り組んだ。(ダニエル・マルシュッソ―著、「シャガール」、70,71pを参照した。)

 以下はそれが書いてあるところと、「死せる魂」の挿絵について書いてあるところの引用(一部省略した)。 

1923年から25年までの2年間、シャガールはピカソの専属印刷工だったルイ・フォールの協力を得て、版画制作に取り組んだ。こうして、手に汗握る悪寒小説「死せる魂」のための107枚の見事な大判挿し絵が制作された。ヴォラールの喜びようは大変なものだった。(…)

シャガールの挿し絵によって、いかさま師のチチコフや大食漢のサバケーヴィッチといった登場人物に、いきいきとした表情があたえられた。 (ダニエル・マルシュッソ―著、「シャガール」、70,71p)

 

 107枚の挿し絵とは…相当あると思った。

 ゴーゴリとは時代が違うが、そのかかわりが興味深いと思った。なぜゴーゴリが好きだったのか、など、調べたいと思った。 

 

よく飛んでいる・「誕生日」について

 これは読んでいて思ったのだが、シャガールの絵は飛んでいるものが多いという印象を受けた。例えば、「誕生日」、「町の上」、「散歩」という作品では人が飛んでいる。なぜだろうか、と思った。日本語では嬉しいことを表すときに「天にも上る心地」というのがある(ダニエル・マルシュッソ―著、「シャガール」、2p)。もちろんこれは日本語であって、シャガールの使っていた語はどういうふうにうれしいことを表すのかわからないが、そんな語もあるのだろうか…。

 

 シャガールの「誕生日」という作品はシャガールの妻ベラと一緒に飛んでいる絵である。

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シャガール、「誕生日」、1915年

 

 この作品についての思い出は、シャガールの妻ベラが1939年に『最初の出会い』というものの「誕生日」というタイトルで記している、この日ベラは野原で花を引っこ抜いて花束を作ってシャガールのアトリエの鎧戸を叩いたようだ。(木島俊介、「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい シャガール 生涯と作品」、28pを参照した)。以下シャガールのアトリエに入った後の部分の引用 (ベラ、「誕生日」(『最初の出会い』))。

わたしは突然、宙に浮いてゆくような気がした。あなたもまた片足で釣り合いをとって、あの小さな部屋がなくなったように浮かびあがる。あなたは天上の方に飛翔する。あなたの顔がわたしの方におりてきて、わたしの顔をあなたに向けさせ、わたしの耳をなぜて何かささやく。 (木島俊介、「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい シャガール 生涯と作品」、28p、(ベラ、「誕生日」(『最初の出会い』)というものの文のようだ。)) 

 

 この引用した箇所はロマンティックな感じがする。首の角度がありえない、若干の不気味さを感じる。が、そこまでしてふれあいたいということなのだろうか。

 

 このシャガールの「誕生日」は1915年のものでニューヨーク近代美術館にあるのだが、もう一つ1923年に作られた「誕生日」はAOKIホールディングスが保有しているようだ。つまり「誕生日」は1915年のものと、1923年のもの、二つある。それにはわけがある。——

 シャガールは1914年にパリから故郷、ベラルーシのヴィテブスクへはほんの一時的な滞在のつもりであったが、第一次世界大戦の思わぬ勃発で滞在期間は8年になった。シャガールはパリのアトリエに150点を置いたままにし、ベルリンの画商ヴァルデンにも40店の油彩画、その他160点ほどの作品を預けたままにしていた。8年、ロシアに滞在していたが、この間、これらの作品は勝手に持ち出され、売却されてしまい、シャガールは怒り、以後、手放すときには自分用にもう一枚描くようになった、それゆえシャガールの作品は同一主題の作品が2点あることも珍しくはない。 (木島俊介、「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい シャガール 生涯と作品」、28、29pを参照した。)

 

〈おわりに〉

 シャガールについての本を今回読んだ、いろいろ詰まっていて、深いと思った、出身であったり、ピカソやゴーゴリとのかかわりであったり、あとはなんで飛んでる作品が多いのだろうと思った。シャガール自身が回想したのもあるようで、それも読んでみたい。また、JITTERIN'JINNの「プレゼント」の「シャガールみたいな青い空」とは何か、手かがりを見つけられれば書いていきたいと思った。

 

 参考

文中に出てきたアンブロワーズ・ヴォラールについて

アンブロワーズ・ヴォラール(Ambroise Vollard、1866年7月3日レユニオン島サン=ドニ - 1939年7月21日ヴェルサイユ)は、19世紀末から20世紀初頭のフランスでもっとも重要だった美術商の一人。有名無名の多くの美術家たち(その中には、ポール・セザンヌ、パブロ・ピカソ、ポール・ゴーギャン、フィンセント・ファン・ゴッホ、ジョルジュ・ルオー、アリスティード・マイヨールら印象派やポスト印象派の画家がいる)に対して物質的・精神的な援助を行い、個展を開いて世界に知らしめたことで特筆される存在である。また、彼は熱心な美術コレクター、美術書出版者としても知られている。(Wikipediaより)

 

今回読んだもの…

・ダニエル・マルシュッソ―著、高階秀爾監修、田辺希久子・村上尚子訳、「シャガール」(「知の再発見」双書87)、創元社、1999年

・木島俊介、「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい シャガール 生涯と作品」、東京美術、2012年

 

引用した絵画…マルク・シャガール、「誕生日」、1915年 (Wikiartより)

(ロシア語:Марк Шагал, 'День рождения'/英語: Marc Chagall, 'Birthday')

 

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もっと知りたいシャガール 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

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