〈はじめに〉
JITTERIN'JINNの「プレゼント」という曲には「あなたが私にくれたもの シャガールみたいな青い夜」というところがある。「シャガールみたいな青い空」とは…と前から思っていて今回はそのシャガールについての本を読んだ。気になった点などを紹介する。
マルク・シャガール(Marc Chagall, イディッシュ語: מאַרק שאַגאַל, 1887年7月7日 - 1985年3月28日)は、20世紀のロシア(現ベラルーシ)出身のフランスの画家。(Wikipediaより)
シャガールの生まれ
シャガールは1887年7月7日、リトアニア国境に近いベラルーシの町ヴィテブスクで生まれた。シャガールが育ったのは、伝統的なユダヤ敬虔主義を信奉し、イディッシュ語を話すユダヤ人の家庭であった。とても寒く、貧しかった。 (ダニエル・マルシュッソ―著、「シャガール」、17、18pを参照した。)
ゴーゴリについて
まず気になったのが「鼻」や「外套」、「死せる魂」で知られるロシアの小説家ゴーゴリ(1809年-1852)について書かれているところである。二人は同世代の人物ではない。
1920年ごろ、シャガールは舞台装置を担当することになって、ゴーゴリの「検察官」の舞台装置を担当することになったようだ。 (ダニエル・マルシュッソ―著、「シャガール」、59pを参照した。)
また、画商アンブロワーズ・ヴォラールという人物が一流画家たちの挿し絵を入れた豪華本の出版を企画していた、ヴォラールは童話「ドゥーラキン将軍」の挿し絵をシャガールに依頼したが、シャガールは挿絵を描くならゴーゴリの「死せる魂」にしたいと強く主張したようだ。1923年から25年までの2年間、シャガールは版画制作に取り組んだ。(ダニエル・マルシュッソ―著、「シャガール」、70,71pを参照した。)
以下はそれが書いてあるところと、「死せる魂」の挿絵について書いてあるところの引用(一部省略した)。
1923年から25年までの2年間、シャガールはピカソの専属印刷工だったルイ・フォールの協力を得て、版画制作に取り組んだ。こうして、手に汗握る悪寒小説「死せる魂」のための107枚の見事な大判挿し絵が制作された。ヴォラールの喜びようは大変なものだった。(…)
シャガールの挿し絵によって、いかさま師のチチコフや大食漢のサバケーヴィッチといった登場人物に、いきいきとした表情があたえられた。 (ダニエル・マルシュッソ―著、「シャガール」、70,71p)
107枚の挿し絵とは…相当あると思った。
ゴーゴリとは時代が違うが、そのかかわりが興味深いと思った。なぜゴーゴリが好きだったのか、など、調べたいと思った。
よく飛んでいる・「誕生日」について
これは読んでいて思ったのだが、シャガールの絵は飛んでいるものが多いという印象を受けた。例えば、「誕生日」、「町の上」、「散歩」という作品では人が飛んでいる。なぜだろうか、と思った。日本語では嬉しいことを表すときに「天にも上る心地」というのがある(ダニエル・マルシュッソ―著、「シャガール」、2p)。もちろんこれは日本語であって、シャガールの使っていた語はどういうふうにうれしいことを表すのかわからないが、そんな語もあるのだろうか…。
シャガールの「誕生日」という作品はシャガールの妻ベラと一緒に飛んでいる絵である。
この作品についての思い出は、シャガールの妻ベラが1939年に『最初の出会い』というものの「誕生日」というタイトルで記している、この日ベラは野原で花を引っこ抜いて花束を作ってシャガールのアトリエの鎧戸を叩いたようだ。(木島俊介、「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい シャガール 生涯と作品」、28pを参照した)。以下シャガールのアトリエに入った後の部分の引用 (ベラ、「誕生日」(『最初の出会い』))。
わたしは突然、宙に浮いてゆくような気がした。あなたもまた片足で釣り合いをとって、あの小さな部屋がなくなったように浮かびあがる。あなたは天上の方に飛翔する。あなたの顔がわたしの方におりてきて、わたしの顔をあなたに向けさせ、わたしの耳をなぜて何かささやく。 (木島俊介、「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい シャガール 生涯と作品」、28p、(ベラ、「誕生日」(『最初の出会い』)というものの文のようだ。))
この引用した箇所はロマンティックな感じがする。首の角度がありえない、若干の不気味さを感じる。が、そこまでしてふれあいたいということなのだろうか。
このシャガールの「誕生日」は1915年のものでニューヨーク近代美術館にあるのだが、もう一つ1923年に作られた「誕生日」はAOKIホールディングスが保有しているようだ。つまり「誕生日」は1915年のものと、1923年のもの、二つある。それにはわけがある。——
シャガールは1914年にパリから故郷、ベラルーシのヴィテブスクへはほんの一時的な滞在のつもりであったが、第一次世界大戦の思わぬ勃発で滞在期間は8年になった。シャガールはパリのアトリエに150点を置いたままにし、ベルリンの画商ヴァルデンにも40店の油彩画、その他160点ほどの作品を預けたままにしていた。8年、ロシアに滞在していたが、この間、これらの作品は勝手に持ち出され、売却されてしまい、シャガールは怒り、以後、手放すときには自分用にもう一枚描くようになった、それゆえシャガールの作品は同一主題の作品が2点あることも珍しくはない。 (木島俊介、「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい シャガール 生涯と作品」、28、29pを参照した。)
〈おわりに〉
シャガールについての本を今回読んだ、いろいろ詰まっていて、深いと思った、出身であったり、ピカソやゴーゴリとのかかわりであったり、あとはなんで飛んでる作品が多いのだろうと思った。シャガール自身が回想したのもあるようで、それも読んでみたい。また、JITTERIN'JINNの「プレゼント」の「シャガールみたいな青い空」とは何か、手かがりを見つけられれば書いていきたいと思った。
参考
文中に出てきたアンブロワーズ・ヴォラールについて
アンブロワーズ・ヴォラール(Ambroise Vollard、1866年7月3日レユニオン島サン=ドニ - 1939年7月21日ヴェルサイユ)は、19世紀末から20世紀初頭のフランスでもっとも重要だった美術商の一人。有名無名の多くの美術家たち(その中には、ポール・セザンヌ、パブロ・ピカソ、ポール・ゴーギャン、フィンセント・ファン・ゴッホ、ジョルジュ・ルオー、アリスティード・マイヨールら印象派やポスト印象派の画家がいる)に対して物質的・精神的な援助を行い、個展を開いて世界に知らしめたことで特筆される存在である。また、彼は熱心な美術コレクター、美術書出版者としても知られている。(Wikipediaより)
今回読んだもの…
・ダニエル・マルシュッソ―著、高階秀爾監修、田辺希久子・村上尚子訳、「シャガール」(「知の再発見」双書87)、創元社、1999年
・木島俊介、「アート・ビギナーズ・コレクション もっと知りたい シャガール 生涯と作品」、東京美術、2012年
引用した絵画…マルク・シャガール、「誕生日」、1915年 (Wikiartより)
(ロシア語:Марк Шагал, 'День рождения'/英語: Marc Chagall, 'Birthday')
- 作者: ダニエルマルシェッソー,高階秀爾,Daniel Marchesseau,田辺希久子,村上尚子
- 出版社/メーカー: 創元社
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もっと知りたいシャガール 生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)
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