菊池寛著『真珠夫人』を読む

 芥川の作品を読んでいて新思潮派なるものが気になり、読んでみた。「真珠夫人」は大正九年六月から年末にかけての新聞小説ー通俗小説である。文春文庫のものを買ったが装画がいい感じだ。蕗谷虹児という方が描いたもののようだ。

 夢中になって読んだ。使われている語句は難しいものもあるが、大体わかりやすい。章の終わりの方にでてきたことが次の章のはじめにもまた繰り返しさらっと説明されており、内容を見失わずに済んだ。舞台は葉山や湯河原等。

 

 男爵の娘瑠璃子が話の中心。瑠璃子は美人で魅惑的で人をよく惹きつけ、それがいろいろな問題を生んでしまう。

 青木という男が最初に出てきて、瑠璃子に恋をしていて時計を唯独り瑠璃子からもらったのかと思っていたがそれは複数人にあげていたようで、それで青木は交通事故で半ば自殺とも言えるが死んでしまった。でその車に一緒に乗り合わせた信一郎は青木の遺書に瑠璃子に時計をかえしてくれというようなことが書いてあって瑠璃子を探す。

 ここで話は瑠璃子という女の説明に移る。瑠璃子はもともと子爵の息子直也と交際していたのだがある会に成金の勝平に呼ばれた。そこで瑠璃子と直也が、成金の悪口を言っていると勝平は怒ってしまい、……成金勝平は必ずや瑠璃子を手に入れよう燃え、色々な策をして瑠璃子を手に入れる。けれども瑠璃子は勝平を悪魔的な人間だと思い、こんな不本意な愛をしたくないと思い、名だけ妻となっても勝平に気を許そうとしまい。勝平の息子、勝彦も瑠璃子のことが好きであったが勝平に閉じ込められてしまい、けれども二人の元へ勝彦は駆けつけ、勝平を殺した。つまり瑠璃子は未亡人に。

 ここで話はいったん途切れ、また信太郎が出てきて、今度は瑠璃子は慎太郎のことを誘おうとするが、信一郎は妻ー静子もいるし、困ってしまう。慎太郎は会に瑠璃子に特別に呼ばれたのかと思ったが、そこには瑠璃子に誘われた男がいっぱいいて閉口してしまう。瑠璃子と知り合いになっているのは最初の方に出てきた青木の弟の青木稔というのもおり、信一郎は青木稔にだけは瑠璃子に対して、誘うようなことはしないでほしい、ということをお願いするのだが、瑠璃子はそう言われれば言われるほど燃えるタイプで、青木稔を誘う。

 青木稔を瑠璃子は誘ったけれども実は瑠璃子の娘美奈子——もう死んでしまったが勝平が瑠璃子と結婚する前にできた子供。瑠璃子は若いのだが一応美奈子の母ー親権者なのだ。——も青木稔のことが好きで……が、青木稔は瑠璃子の娘美奈子ではなく、美奈子の母瑠璃子を好きになってしまい、結婚を申し込む。瑠璃子の娘美奈子は落ち込む。

 やがて青木稔は瑠璃子が男を色々弄んでいたことを知ってしまい、瑠璃子を殺すことに。瑠璃子は倒れ、最期は直也に会いたいと美奈子に言う。瑠璃子は死ぬ。瑠璃子の着ていた襦袢には直也の写真が縫ってあり、瑠璃子は様々男を誘い、翻弄してきたが、一人の男直也を愛し続けていた。

 長いが、ざっとこんな感じの話である。

 

 突っ込んでしまいたくなるところはたくさんある。例えば瑠璃子の娘の美奈子は青木稔を愛したり、成金勝平が息子の勝彦を閉じ込めたり。そんな話はうまくいくものか、と言いたくなるようなところが多々あったので、展開的にはうまくいきすぎているな、と思いあまり読んでいてわくわくはしなかった。が、描写がとても上手い。ひとつ引用する。

 洋燈はたちまちに消えてしまった。が、灯の消える刹那だった。風と共に飛び込んで来た一個の黒影が今瑠璃子に飛びかかろうとする勝平に、横合からどうと組み付くのが、灯の消ゆるたゆたいの瞬間に瞥見された。 (二八三頁)

  ここは勝平が瑠璃子に対し好色的な感情をもった時に勝平の息子の勝彦がやって来る場面。展開的にはうまくいきすぎるだろうと思うのだが、うまく描くな、と思った。

 

 他には、読んでいて比喩がいいと思った。いくつか載せる。 (以下、比喩の所に線をkankeijowboneが引いた。)

 ・信一郎が、ようやく気が付いた時、彼は狭い車内で、海老のように折り曲げられて、一方へ叩き付けられている自分を見出した。 (二十五頁)

 ・嫋々たるピアノの音は、高く低く緩やかに劇しく、時には若葉の梢を駆け抜ける五月の風のように囁き、時には青い月光の下に、にわかに迸り出でたる泉のように、激した。その絶えんとして、また続く快い旋律が、目に見えない紫の糸となって、信一郎の心に、後から後から投げられた。それは美しい女郎蜘蛛の吐き出す糸のように、蠱惑的に彼の心を囚えた。 (六十三頁)

 ・彼は樫の木に出来る木瘤のような拳を握りしめながら、今にも青年に飛びかかるような身構えをしていた。 (九十九頁)

  最初の引用は青木が交通事故に遭ったところのもの。二つ目は信一郎が瑠璃子の家を訪うところのもの。三つめは成金の勝平が直也や瑠璃子に成金であるということを罵倒された場面。

 

 全体として、男を翻弄しつつも、瑠璃子は一人の男を思っていたというというところがいいな、そしてその翻弄の描写がうまいと思った。

 文春文庫の解説は川端康成で、川端は第六次「新思潮」同人だったようだ。解説で川端が「新思潮」継承の了解を求め、第三次・四次「新思潮」同人の菊池氏を訪れた——前の同人たちの承認を得るのが礼儀だったということが書いてあり、そうなんだと思った。同じく解説に久米正雄の最初の新聞小説「蛍草」は「真珠夫人」に二年先立って、大正七年の作だが、それを書くことをすすめたのは菊池氏であったということがかいてあった……同人間でどんな影響を受けているのか、見ていくのも面白いなと思った。

 今回は多分、だれか編集したのを読んだのだと思うのだが、原文で書いてあるのを読むとまた雰囲気が違うのか。それも気になった。

 

 

参考 菊池寛、『真珠夫人』、2002年、文春文庫