川端康成著『古都』を読む

 『山の音』を読んだ後、『みづうみ』にも取り掛かったが、読んでて何時の事を言っているのかわからなくなり断念した。『古都』は舞台が京都であり、京都特有の行事や言葉が出てきて、読むのが難しいところもあったが最後までたどり着いた。

 

 話は、京都の問屋で育った佐田千重子が中心となって進められる。千重子は捨て子だが美しい。美しいが故、水木真一という千重子の幼馴染や大友秀男という織屋の息子の興味を惹く。

 そんな美しい千重子とそっくりの苗子という北山杉の丸太屋に奉公している人に出会う。生活はあまり恵まれているわけではないらしい。この苗子は千重子の双子の妹であった。似ているが故、真一や秀男はこの二人を見間違える。

 千重子は秀男に双子である苗子の分の帯も織ってほしいというように頼む。……

 千重子の父佐田太吉郎は北山に奉公する苗子に双子ということもあり、一緒に住んでもいいと思うが、苗子は住まず、一日だけ佐田のところに泊って元の場所へ帰っていくというところで終わる。——このような話である。

 

 印象に残ったところは『山の音』でもそうだったのだが、自然描写だ。京都の川、杉山、木、花、葉……。さりげなく描いてあるという感じがして、いい。中でもすみれの花には惹かれるものがあった。すみれが佐田家の古木の幹にあり、それをしばしば佐田千重子は眺めている。少し追っていく。——

 最初の方で千重子はすみれを見て、次のように思う。

 「上のすみれと下のすみれとは、会うことがあるのかしら。おたがいに知っているのかしら。」 (六頁)

  その直ぐ後、すみれが咲くのを気が付く人はほとんどいないということを言ったうえで、蝶は知っているのではないか、と千重子は思う。この蝶が知っているというのがいいと思った。また以下の描写もいいなと思った。

 千重子がすみれの花をみつけた時、庭を低く飛んでいた、小さく白い蝶のむれが、もみじの幹からすみれ花の近くに舞って来た。もみじもやや赤く小さい若芽をひらこうとするところで、その蝶たちの舞の白はあざやかだった。二株のすみれの葉と花も、もみじの幹の新しい青色のこけに、ほのかな影をうつしていた。 (六頁)

  もみじの赤、蝶の白さを対比した上、すみれの葉や花、もみじの青色のこけ等、豊かな色が出てくる。

 

 千重子が苗子と初めて会った日、又秀男が四条大橋で苗子を千重子と間違えた日、帰ってから千重子は涙が出そうになる。再び庭を見る。

 花はもうないが、上と下との、すみれの小さい株は、千重子と苗子であろうか。二株のすみれは会うこともなさそうに見えていたが、今夜、会ったのだろうか。千重子は二株のすみれを、ほの明りに見ていると、また、涙ぐんで来そうである。 (一二六-一二七頁) 

  ここでまたすみれがでてきて、六頁では千重子はふたつのすみれが会うことはあるのだろうか、と思っていたがここではすみれの株が千重子と苗子ではないか、としている。

 自然をもってくるのがうまいなとしみじみ思った。

 

 

 それと神社や行事のこと。自分はそこらへんは全く疎いので、理解はあまりし切れないのだけど、出てくるたびに画像を見てみた。御旅所という神が巡行の最中、休息するところや大原女という薪を頭に乗せて売り歩く人が出てきたり、白川女という花を頭に乗せて歩く人が出てきたり、薙刀鉾という祇園祭で使うものが出てきたり、語彙が追い付いていない。わかる人にはわかることなんだろうけども。各行事での出来事というのはあまり詳しくという訳ではないけどさらっと書かれていて、書くのは何年、季節はどうとか、どんな特徴があるのか等というのを調べるのは大変だなと思った。

 

 あとがきでは川端康成は『古都』の執筆で原稿が始終遅れたということを言っている。また「私は毎日『古都』を書き出す前にも、書いているあいだにも、眠り薬を用いた。眠り薬に酔って、うつつないありさまで書いた。眠り薬が書かせたようなものであったろうか。『古都』を「私の異常な所産」と言うわけである。したがって、私は読みかえすのが不安で、校正刷りを見るのを延し、出版もためらわれた。」 (二四三頁) ということをいっている。調子はあまり良くなかったようだ。まして朝日新聞に百七回、連載したようだ。

 別にそれでと言うわけでもないのだろうが読んでいて、特に、出てくる男——水木真一やその兄の水木竜介、大友秀男等と、双子である千重子と苗子の関係がぼんやりしている感じはした。話の最後の方で、大友秀男は苗子の方へ、又水木竜介は佐田家の元へいくのであるが、真一は途中で話にあまり出てこなくなった気がして、少し気になった。真一は最初の方で千重子と一緒にいるところもあり、結構中心なのではと思っていた。

 全体の感想は、自然の描写がうまい、ということと京都の行事が多く作中に出ており、それにふれられてよかった。

 

 

参考

川端康成、『古都』、一九九〇年、新潮文庫 

(発行年は一九六二年・朝日新聞に昭和三十六年(一九六一年)一〇月八日から三十七年(一九六二年)一月二十七日まで、百七回、連載。)