フィッツジェラルドの「頭と肩」('Head and Shoulders')を読む

 題名になっている「頭と肩」とは出てくるふたりの登場人物の事を指す。ひとりはホレス(Horace)という非凡で、父親が大学教授で、大学で哲学を学んでいる男で、頭をつかって考えるため「頭」を意味し、もう一人はマルシア(Marcia)という女で、舞台でコーラスガールをして、激しく肩を揺さぶることから「肩」を指す。

 12月に舞台があるということで友人からホレスを誘うように頼まれたマルシアは「舞台に来てほしい」ということを言うためにホレスの部屋にノック('rap')し入って、おどけつつ(たとえば口付けしてほしいなどと言って)ホレスを誘う。しかし、ホレスは楽しそうではないなどと言って、行くつもりはなかった。

 けれどもホレスは観に行くことになった。そして奇妙なことに、ホレスは楽しみ、マルシアに惹かれていき、やがて結婚する。それからマルシアは妊娠し、コーラスガールの仕事ができなくなり、文章(本)を書きはじめるようになった(頭をつかう。)。一方ホレスは学校をやめ、お金のために働くのだがその後夜中に健康が悪くなるほど本を読んでいて、それをみたマルシアが運動(体操)をするように勧め、マルシアは代わりにホレスの本を読む。ホレスは体操やブランコ乗りをし、アクロバティックに肩を揺らし、人目に留まり、ショーの仕事をもらい、やがて大きな会場でそれを披露するようになった。ふたりはそれぞれの仕事で評判を得ていく。

 題名である「頭」と「肩」に当たる人物はそれぞれ逆転していった。

 

 

 哲学者が出てきた話だった。ハーバード・スペンサー(Herbert Spencer(1820-1903))やショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer(1788-1860))など。ほかには、ホレスは椅子の名前にそれぞれ「ヒューム」(David Hume(1711-1766、)のこと)、「バークリー」(George Berkeley(1685-1753)のこと)と名付けており、その椅子に、訪問したマルシアが座って、ホレスはマルシアをヒュームと被せて(ヒュームを具現化した存在としてマルシアを)見たりする。また、哲学者以外にも、マルシアは本を書くにあたって、ホレスの読んでいたサミュエル・ピープス(Samuel Pepys(1633-1703))の日記を参考にする。

 

 

 階段を何段飛ばしていくのか、ということが書いてあったのがいいと思った。以下二つ挙げる。(引用の後ろはkankeijowboneの訳)

最初のほうのシーンでマルシアがおどけて口付けをしてほしいと言っても、ホレスが理性的であって、応じないので、マルシアが階段を降り去って行く場面-

'An instant later, as she was skimming down the last flight of stairs three at a time, she heard a voice call over the upper banister: "Oh, say--"'(p.78)

(「その後直ぐマルシアは最後の階段三段をいっぺんに降りていったとき、てすりの上の方から声が聞こえた。「ああ、おい——」」)

 

後半の方でホラサがマルシアに手紙を書いてほしいと言って、マルシアが書いた手紙をホラサが読むと言い、その後何か月か経ち、マルシアの体調は悪くなっていき、ホラサのショーが終わった後、ホラサがマルシアのもとを訪れるシーン-

'After that performance he laughed at the elevator man and dashed up the stairs to the flat five steps at a time--and then tiptoed very carefully into a quiet room.'(p.91)

(「その公演の後、ホラサはエレベーターボーイを見て笑い、階段を五段一気に駈け上がった。そしてマルシアのいる静かな部屋にそっと入った。」)

 

 上の二つはどちらも階段を飛ばしていて急いでいる。前者の文ではホラサが話が通じないと感じているから一気に三段降りたのかと思った。後者の文は早く会いたいという気持ちが五段一気に上に上がらせているのかと思った。

 

 

語句

'trapeze'-空中ブランコ

'bureau'-寝室用のタンス

'mens sana in corpore sano'-健康なる精神は健全なる身体に宿る(ラテン語)

'quod erat demonstrandum'-証明終了(ラテン語)

'usher'-案内役

'prodigy'-非凡

'byplay'-わき演技

'beatific'-至福を与える

'hippodrome'-馬術演技場

'what-cha-ma-call-it'-'what you might call it'の略、何とかいうもの、あれ

 

読んだ本 

Francis Scott Key Fitzgerald, 'Head and Shoulders'(Flappers and Philosophersに収録されている), Ney York: Charles Scribner's Sons, 1959 

馬についての話

 馬に関する話を三つ読んだ。続けてそれらについて書いていく。長い。

 

デーヴィッド・ハーバード・ローレンス(D.H.Lawrence)、「木馬の勝者」('The rocking-horse winner')

 最初はD.H.ローレンス(1885-1930)の「木馬の勝者」を読んだ。

 全体として、貧乏の家庭の息子ポール(Paul)が競馬の賭けにどんどんはまっていってしまい、その結果どうなったのか、ということがかかれている。

 家庭には二人の娘と一人の息子ポールがおり、子供たちを学校へ行かせるためにお金が必要であったが、低収入で、家庭は貧窮していた。しかし、両親ともに見栄えは気にしており、趣味にお金を使っていた。ポールと母親の仲は決していいとは言えなかった。あるとき、ポールが遊んでいると、ポールは部屋の中にある木馬から「もっとお金があるはずだ」という声を聞いた。ポールはそれで馬に乗って、「運のあるところにつれていってくれ」ということをなんどもさけんだ。ポールの叔父はポールに競馬の賭けを紹介し、また、若い庭師バセット(Bassett)と知り合いで、三人でよく競馬場へ賭けに行った。ポールの予想はよく当たり、大金を手にした。大金を手にし、それを母親に渡した後も、部屋に聞こえる不気味な「もっとお金があるはずだ」という音はなりやまなかった。

 ポールの予想は外れることもあった。それでポールは馬の賭けのことを考え続け、休むことを勧められるほどどんどん調子が悪くなっていったのだが、しかし、依然と賭けのことを考え続けた。また、ポールは部屋にある木馬に乗ればどの馬を予想すれば当たるのかが閃く気がして激しく乗り続けた。

 

 

 ポールのギャンブルにのめり込んでいく様子が怖かった。木馬から発している「もっとお金があるはずだ」という囁きも怖かった。呪われていると思った。この囁きは、ポールが大金を手にして母親にあげた後も続き(ひどくなり、蛙のような音がした。)、ポールの不安の要素の主なものだったのだと思う。ポールはその音を聞き、不安になっていった。

 

 母とポールは仲がよくない、感想として母は意固地だと思った。例えばポールに対して母も父も運がない、ということを言う。ポール自身は神が言っていたから運があるということを言うのだがそれを信じようとはしない。母は「自分は運がない」ということを思い続けていた。そしてポールは幸運の手掛かりを探そうと賭け事に熱中する。後半でもポールは「幸運であるのか」ということを気にしている。仮にもう少し母がポールが幸運であるということを認めれば、ポールが競馬にはまっていくのを和らげたと思った。

 

 ここでポールの母が言っていたいくつか似たような言葉('lucky', 'lucre', 'rich')があるので紹介する。(引用のあとはkankeijowboneの訳)

・幸運(lucky)-'It's what causes you to have money'(p.83)(幸運とはお金をもたらしてくれるものである)

・利益(lucre)-ポールが叔父が「あぶく銭、賭け事(Filthy lucre)がお金である」と言っていたということに対しての母のセリフ-''Filthy lucre does mean money,' said the mother. 'But it's lucre, not luck''(p.83)(あぶく銭(賭け事)はお金を意味するがそれは利益であり幸運ではない)

・恵まれていること(rich)(幸運(lucky)との違い)-''...If you're lucky you have money. That's why it's better to be born lucky than rich. If you're rich, you may lose your money. But if you're lucky, you will alwarys get more money.''(p.83)(「恵まれている(rich)のであればお金を失うこともあるが、幸運(lucky)であればそれはない。幸運(lucky)に生まれてくることは恵まれて(rich)生まれてくることよりもいい」)

 

 そういうふうに分けるのかと思った。気に留まった。

 

 

出てきたレースの名前や場所(wikiで調べた)

'the Lincoln races'(p.87)-ヨークシャーの3月の終わり、または4月のはじめのほうにドンカスター(Doncaster)で開催される。

'Grand National'(p.91)-エイントリ―競馬場(Aintree Racecourse、リバプール郊外)で開かれる。4月開催。

'Derby'(p.91)-もともと3歳馬の競争。エプソム競馬場(Epsom Downs Racecourse、ロンドンより27キロ南に離れたところにある)でのダービーステークス(Derby Stakes)の後にそう名付けられた。

 

 

 

ディック・フランシス(Dick Francis)、「間違いない死」('Dead Cert')(一章のみ)

 その次はディック・フランシス(1920-2010)の「間違いない死」を読んだ。寺山修司が萩本晴彦との対談でおもしろい競馬小説として挙げていたので(他にはヘミングウェイやウィリアム・サローヤン)前から気になっていた。今回読んだ本はペンギンブックスで出ている1995年あたりのペンギンブックス60周年記念の'Penguin 60s'というものだ。コンパクトで小さい。ページ数も60ページで「間違いない死」はそのうちの18ページである。第一章のみ入っていた。

 

 主人公はヨーク(Mr York)という競馬選手である。ヨークは障害物競争に参加する。メイドンヘッド(Maidenhead、イングランド南東部)競馬場が舞台。アドミラル(Admiral)という馬に乗ったビル(Bill)がヨークと同じ競争に参加する。アドミラルが勝つことが予想されていたのだが、途中、転倒してしまい、かわりに主人公のヨークが勝つことになる。怪我をしたビルは病院へ運ばれる。ヨークはなぜビルが転倒したのかは思いつかず、現場に行ってその理由を探る。

 

 今回は第一章しか読んでいないので、なぜ転落したのか、ということは本文で軽くふれているにとどまっていたが(「針金が現場に落ちていた」等)、今後さらに展開されていくのだろう。全部で二十章ほどある話である。

 

 アドミラルに乗ったビルはフェンスを飛び越えるときに転落してしまうのだが、その描写がよかった。足に注目していたり、単に自分が競馬の小説を読んでいないだけだが、そういうふうに書くのか、と思った。以下引用(そのうしろはkankeijowboneの訳)。

'Aghast, I saw the flurry of chestnut legs threshing the air as the horse pitched over in a somersault. I had a glimpse of Bill’s bright-clad figure hurtling head downwards from the highest point of his trajectory, and I heard the crash of Admiral landing upside down after him.'(p.3)

(「馬が投げ出され宙返りになり、栗色の馬の足が動揺しながら空気を打つのを私はおびえながら見た。ビルは最高点の軌道に達し、目立つ服を着た姿を見せ、頭は下方に突進していった。そして私はビルが落ちたあと、アドミラルがさかさまになりすさまじく地面に落ちた音を聞いた。」)

 

 

 

 

エドワード・モーガン・フォースター(Edward Morgan Forster)、「天国への馬車」('The Celestial Omnibus')

 E.M.フォースター(1879-1970)の「天国への馬車」も読んだ。'omnibus'というのは「総集編」という意味もあれば、ほかに「乗合馬車」や「乗合自動車」という意味もある。この話で出てきた'omnibus'は「乗合馬車」という意味で使われていた。

 

 少年(The boy)の住んでいる家はバッキンガムにある。近くに、空地を指し<天国へ>('To Heaven')と書いた看板を発見する。両親に聞くと、それはジョークのひとつであると言われた。教会の長、州会の候補者でり、図書館に莫大な量の本を寄贈していたボン氏(Mr Bons)にも聞くと、それはシェリー(Shelly)(ここはSuperSummaryというサイトを参考にするとpercy Bysshe Shelly(1792-1822、詩人)のようだ)が書いたという。

 少年は馬車があるということは作り話だと思いつつ、探し、通りに馬車があった。

 少年は馬車に乗り込んだ。運転手はトーマス・ブラウン(Sir Thomas Brown,1605-1682、著作家)である。馬車は上昇し、霧の中を走ったり、雷や虹に近づいたりした。

 少年は戻ってきて、馬車に乗っていて起きた話を家族やボン氏に話したが、信じてくれなかった。ボン氏は書物の中の人物や出来事は信じると言ったのだが、少年が実際に体験したことは信じなかった。けれどもボン氏は少年に連れられ、馬車へ向かうことになる。信じてはいないのだが。今度の馬車は、運転手が違っており、死体のような運転手であった。

 少年は前回馬車に乗ったときに出会った、セアラ・ギャンプ(sarah gamp、ディキンズのマーティン・チャルズウィット(Martin Chuzzlewit, 1843-44)に出てくるキャラクター)やトム・ジョーンズ('Tom Jones', 1749, ヘンリー・フィールディングの作品)の話をするが、ボン氏はそれをよく思っておらず、「私のような教養溢れる人物はセアラ・ギャンプやトム・ジョーンズなどで時間を無駄にせず、シェークスピアやホメロスの話をする」ということを言う。

 ボン氏は早くこの馬車から降りたがっている。少年は美しい景色が窓の外から見えるのだが、ボン氏には見えない。ボン氏の体調はどんどん悪くなっていく。

 

 ボン氏は地位のある人で、本に出てくる人物はよく知っていたのだが、どこか傲慢さを感じさせる人物であった。とくにそういうことを表すものとして以下のものがあると思った。少年とボン氏で馬車に入るとき、ドアには<'Lasciate ogni baldanza voi che entrate'>(p.54)(「このドアに入るときすべての自負を捨てろ」というような意味のようだ(SuperSummaryというサイトを参照))(イタリア語でそれぞれ'Lasciate'-「やめる、去る、離れる」、'ogni' -「あらゆる」、'baldanza'-「自信、大胆、自負」、'voi'-君」、'che entrate'-「その入り口」)とあったのだが、'baldanza'は'speranza'-「希望」の間違いではないか、ということを言う(p.54)。(-‘Lasciate ogni speranza voi che entrate’「このドアに入るときすべての希望を捨てろ」という意味のよう。SuperSummaryというサイトを参照。)ドアに書いてあった「このドアに入るときすべての自負を捨てろ」というのは地位があり、少年の体験を信じないで書物の出来事を信じるボン氏にこの言葉が向けられているふうに思えたが、ボン氏がそれは「このドアに入るときすべての希望を捨てろ」の間違いだ、ということをいうのは、少年が乗った経験のある馬車に期待せず(希望を持とうとせず)また、自負を捨てようとしないでいる様子が書かれていると思った。

 馬車の向かった先にはさまざまな人物がでてきたが、もう少しそれらについて知っていれば、もっと楽しく読めると思った。

 

結び(まとめ)

「木馬の勝者」では競馬に熱中していく少年について書かれていた。

「間違いない死」(第一章のみ)では勝つと予想されていた馬が倒れてしまい、それにはなにかわけがあるようだった。

「天国への馬車」では馬車に乗って、天国へ行く様子が書かれていた。

 

調べた単語などの一部(主に電子辞書やWeblioから)

・「木馬の勝者」('The rocking-horse winner')

'smirk'-ほくそ笑む

'They lived in style'-彼らは贅沢な暮らしをした

'pram'-乳母車

'frenzy'-興奮

'batman'-馬の世話をする人

'race-meeting'-競馬大会

'serene'-うららかな

'knack'-こつ

'drapesy'-布地屋

'iridescent'-虹色に輝く

 'trivet'-三脚台

'divulge'-漏らす

 

・「間違いない死」('Dead Cert')(一章のみ)

'steeplechase'-障害物競走

'hindquarters'-後ろ足と臀部

'harlequin'-トリックスター、道化者

'abdomen'-腹

'odds-on'-勝ち目ある

'impenetrable'-不可侵領域

'bridle'-頭部馬具

'tendon'-腱

'concussed'-激しく揺さぶった

'algebra'-代数の論文

'deduction'-差引き

'side-track'-側線

'sodden'-びしょ濡れの

'grandstand'-正面特別観覧席

'frivolous'-うわついた

 

・「天国への馬車」('The celestial Omnibus')

'breadwinner'-一家の稼ぎ手

' Belle Vista'(イタリア語)-美しい景色

'nonchalant'-平然と

'terrene'-現生の

'titular'-名だけの

'homonymous'-あいまいな

'evergreen'-常緑の

'precipice'-崖っぷち

'truancy'-無断欠席

'untrodden'-踏まれていない、未踏の

'vex'-いらだたせる

'cadaverous'-死体のような

'chariot'-戦車

'vellum'-子牛紙、上等皮紙

'sovereign'-主権者

'prim'-几帳面な

 

読んだもの

・D.H.Lawrence, The rocking-horse winner('Love among the haystacks and other stories'より), Harmondsworth: Penguin Books, 1975

・Dick Francis, Dead Cert: The first chapter('Racing classics'より), Harmondsworth: Penguin Books(Penguin 60s), 1995

・E.M.Forster, The Celestial Omnibus('Collected Short Stories'より), Harmondsworth: Penguin Books, 1967

 

アーサー・キラークーチの「いい旅」('A happy voyage')(「トロイの小屋」('A cottage in troy')より)を読む

 アーサー・キラークーチ(1863-1944)の「いい旅」という短編(5ページほど)を読んだ。これは「トロイの小屋」の話のひとつで、読んだペンギンブックスにはほかにもう一つあったが、今回は「いい旅」のみを紹介する。

 

 主人公は舟がとめてある付近の小屋に住んでおり、前まではアニー(Annie)というオムレツをうまく作ってくれるお手伝いがいたのだが、お手伝いのアニーはプリマス・ブレザリン(本文ではPlymouth Brother)という宗教に熱心なトバルカイン(Tubal Cain)*1という男と結婚することになった。主人公はアニーが家から離れてしまう時に、思いとどまるようにいったが、アニーは出て行ってしまった。

数日経ち、主人公が、ひとりで食事をしているとき、アニーとトバルカインが小屋にとめてある舟のそばにいた。ハネムーンの最終日にここへやってきたようだ。トバルカインはバイオリンを弾いていた。トバルカインはアニーに自分の信じているいくつかの宗教的なことを「信じているね」と聞いて、アニーはその質問にすぐ頷いた。その後、トバルカインがバイオリンを弾くなか、トバルカインが主人公にあなたがバイオリンを弾けないのは残念だが、踊ることはできる、弾いてあげるから踊ってくれば、といい、主人公とアニーのふたりはワルツを踊った。主人公はトバルカインの宗教的な男のさきほどの質問が気に掛かっていた。そのためワルツには乗り気でなかった。そしてアニーは先ほどすぐ頷いたけれども本当はどうかんがえているのか知りたかったが、ワルツをしていてそれどころではなかった。

 

 だいたいこんな話である。

 

 

 

 うす気味悪い印象を受けた。プリマス・ブレザリンという宗教ははじめて聞いた。アニーが宗教的な内容を吟味せず、トバルカインの言ったことにすぐに頷いてしまうというのが、いいことではないと思った。どこか強制的なような気もする。アニーのほんとうの気持ちはわからない。

 二人でワルツをしているなか青い光があるのだが、独特だと思った。引用する(引用のうしろはkankeijowboneの訳)。'The blue light - that bewitching intoxicating blue light- paled on us as we danced.'(p.65)(「私たちがワルツをしているとき幻惑的で夢中にさせる青い光が射した。」) 

 

 題名の'voyage'の部分は、ハネムーンであったり、お手伝いだったアニーが結婚することを表していたり、舟が小屋の近くにあることも関係しているのかと思った。

 'A happy'の部分は、これから結婚するということがかかれているからであったり、主人公が家をでていったアニーに出会えたからそういうタイトルなのかと思った。weblio辞書をみると、'happy'は複合語(たとえば'sports-happy'で「スポーツに目がない」という意味のようだ)だと「夢中になった」や「とりつかれた」という意味を表すようだ、はじめて知った。

 

 

以下、調べた単語の一部(weblioやcambridge dictionary、電子辞書などから)

''em'-them

''twould'-it would  

''tis'-it's

'distortion'-ゆがめること

'anchored'-停泊した

'bulwarks'-防波堤

'scintilla'-ほんのひとにぎり

'incongruity'-不調和

'sabbath-day'-安息日

 

読んだ本

Sir arthur quiller-couch(Q), 'Selected short stories', Harmondsworth: Penguin Books, 1957

 

 

訂正(11月23日):プリマス・プレザリン→プリマス・ブレザリン

 

*1:『旧約聖書』に出てくる人物

ジャック・ロンドンの「火をおこす」('To Build a Fire')を読む

 「火をおこす」はカナダのユーコンという地域の極寒の様子(気温は-75°F (−59 °C))が書かれている。男(The man)は男の子たち(The boys)にキャンプで会うために犬と一緒に向かうが、途中、とても寒く、火をおこそうとしても手が麻痺してしまうなどの出来事が起こる。主人公の男には、ソルファー川の老人(The old-timer on Sulphur Creek)が様々な忠告をしていたのだが、男はその忠告を軽んじており、やはり忠告は正しかったんだ、というふうにおもうシーンが何度か出てくる。

 

 いろいろと寒さゆえの険しさがつたわってきた。また、本能的に寒さの危険を感じている犬と、自らの判断(ときにソルファー川の老人からの忠告を軽んじる)でやってきた人間(男)というのがひとつテーマだと思った。

 

 いくつか寒さゆえのシーンがあったので紹介する。(引用のうしろはkankeijowboneの大体の訳)

 'As he turned to go on, he spat speculatively. There was a sharp, explosive crackle that startled him. He spat again. And again, in the air, before it could fall to the snow, the spittle crackled. He knew that at fifty below spittle crackled on the snow, but this spittle had crackled in the air. Undoubtedly it was colder than fifty below — how much colder he did not know.' (p.14)

 「男はマイナス50°Fで唾を吐いたら雪に落ちるとパチパチ音をたてるのを知っていたが、唾を吐いたら雪に落ちる前にパチパチ音をたてた。何°Fかはわからなかったが、マイナス50°F以下ではあった。」

 

 

 物語のうしろのほうでは手が麻痺してしまって、歯をつかってものを拾うという場面が何度かある。ミトンの手袋を歯で拾ったり。以下のところでも歯を使っている。

 '...After some manipulation he managed to get the bunch between the heels of his mittened hands. In this fashion he carried it to his mouth. The ice crackled and snapped when by a violent effort he opened his mouth. He drew the lower jaw in, curled the upper lip out of the way, and scraped the bunch with his upper teeth in order to separate a match. He succeeded getting one which he dropped on his lap. He was no better off. He could not pick it up. Then he devised a way. He picked it up in his teeth and scratched it on his leg. Twenty times he scratched before he succeeded in lighting it. As it flamed he held it with his teeth to the birch bark.' (p.23)

 「...試行錯誤のあと、氷がパチパチ音をたてている中、男は手袋の付け根のうえにマッチの束を乗せ、口に運び、下あごを引き、上唇を開け上の歯でマッチをわろうとし、ひとつわれたが膝のうえに落ちてしまった。手が痺れていたので工夫した。——歯で拾い、脚の上で20回ほどこすると火がついた。それを樺の樹皮にもっていった。」

 

 歯でマッチをくわえ、膝の上でこするという姿勢は大変だと思った。

 

 

 

読んだもの

Jack London, 'To Build a Fire' (The best short stories of Jack Londonに収録されている), fawcett publications: Ney York, 1962

 

 

レイモンド・カーヴァーの「コンパートメント」('The Compartment')を読む

 「コンパートメント」はレイモンド・カーヴァーの『大聖堂』('Cathedral')に収録されている。一年ほど前に、表題と同じ「大聖堂」という短編を村上春樹の訳を参照しながら読んだ記憶がある。今回はその時に読んでいなかった「コンパートメント」という短編を読んだ。

 この話は、息子に8年間、喧嘩が原因で会っていないマイヤー(Myer)という父親がフランスに行き、会おうとして電車に乗ったが、途中でその息子のために買った時計がないことに気づき、やはり会うのはやめた、ということが主に書かれている。

  

 電車内でのマイヤーとほかの乗客の様子が書かれているのがよかった。マイヤーが寝れないのにほかの乗客は寝て、いびきをかいていたり、時計を盗まれた後、電車をうろついたり…。また、マイヤーのわからない言語を話す人物が車内に数人登場していた。マイヤーの孤独なかんじがつたわってきた。

 

 

読んだもの 

Raymond Carver, The Compartment('Cathedral'に収録), Vintage Classics,  2009

 

 

以下は参考

大聖堂 (村上春樹翻訳ライブラリー)

大聖堂 (村上春樹翻訳ライブラリー)

 

 

 

Cathedral (Vintage Classics)

Cathedral (Vintage Classics)