大江健三郎著「空の怪物アグイ—」を読む(空間的な高さについて書かれた小説を読む)

 前に菊池寛の「屋上の狂人」を読んで、屋上についていろいろと書いていった。その記事では屋上では変な人が集まりやすい(たまたまそういう話が集まっただけだが)、一方でイメージはもっと娯楽的だ、ということを書いていった。屋上といえば、高い、それでは高さを使った話もあるのではないか、ということでいろいろ読んでいった。以下、それぞれの感想と、最後にすこしのまとめを書く。

 まずは大江健三郎の「空の怪物アグイ—」を読んだ。これは自分の赤ん坊が脳ヘルニアだと医者に診断され、赤ん坊を殺したdという音楽家がいて、その死んだ赤ん坊を解剖したら実は単なる畸形腫にすぎず(医者の誤診)、それにショックを受け、空に幻影(カンガルーほどの大きさのアグイ—)が見え始めたdが東京へ行くときにバイトで付き添うことになった十八歳のぼくとdについて書かれた話である。雇われたぼくはアグイ—を見ることができない。印象にのこったのは、dが生活で失ったものが空に浮遊している、というところを言っているところ。以下引用。

 「きみはまだ若いからこの現実世界で見喪って、それをいつまでも忘れることができず、それの欠落の感情とともに生きているという、そういうものをなくしたことはないだろう? まだ、きみにとって空の、百メートルほどの高みは、単なる空にすぎないだろう? しかしそれは、いまのところ空虚な倉庫ということにすぎないんだ。それとも、今までになにか大切なものをなくしたかね?」 (p.150)

 空虚な倉庫というのがいいとおもった。

 自分は、ヒーローや妖怪が空を飛んでいる、というのは見慣れているのもあり、そこまで疑問に思わない。そういうキャラクターなのだと思う。一方、まだあまり目にしない(耳にしない)ものが空を飛んでいるとなぜだ、というふうに思う。例えば前にも紹介したが、シャガールの「散歩」、「誕生日」 、「町の家」という絵では人物が飛んでいる。またはビートルズの「ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ」という曲のルーシー。なぜダイヤモンドとともにルーシーは空にいるのか、ということに疑問をもった。

 不思議な話だと思った。

 

 つぎにサルトルの「エロストラート」(新潮文庫、窪田啓作訳)という話。これも空間的な高さについて、がでてくる話だと思う。内容は主人公のおれが、殺害予告を企てる、というものである。最初のシーンでおれがある高みから人間を見おろす、というシーンがある。以下引用する。

 七階の露台。おれが全生涯をすごさねばならなかったのは、ここだ。精神的優越をささえるには物質的象徴をもってしなければならない。それを欠けば、精神的優越はくずれ落ちるのだ。さて、正直に言って、人間どもにたいするおれの優越とは、なんだろう? 位置の優越。[...]ときには通りへ降りていかねばならなかった。たとえば、事務所へ行くために。おれは息がつまった。人間どもとおなじ平面に立つと、そいつを蟻と見ることは、ひどくむずかしくなる。やつらは、さわるのだ。 (p.148-149) 

 ここには位置が高いと優越感を感じる、ということが書いてある。また、地上へ降りると、蟻のように見えていた時とは違い、人間はさわってくる、ということを言っている。たしかに高い時にいるときは、下にいる人たちが小さく見える。優越感、というのもわからなくはない。たとえば身長が自分の方が高い、と言う場合は、さほど高くなければなんとも思わないが、展望台から見下ろすくらいの高さの差があると、高さで圧倒しており、優越感のようなものを感じる、というのはある。サルトルが精神的な優越と物質的な優越を区別しているのがおもしろいと思った。そんな感想をもった。

 

 その次は井伏鱒二の「屋根の上のサワン」という話を読んだ。これは傷を負っていたため、拾って手当をした雁がどこかに行ってしまいはしないか、ということを心配した私について書かれた話である。

 雁は秋になったある夜ふけ、屋根の上に行って鳴いている。私はそれを心配し、サワンにどこか行ってほしくないため、「サワン! 屋根からおりて来い!」ということを言う。そして雁の羽根を、それ以上に短くすれば傷つくほど、短く切っていった。

 当たり前ではあるが鳥は飛ぶので、屋根の上にのぼったら、飼っている方は心配する。そしてその心配したようすがみれたのがよかった。手元にあるのだが、読んでいない、水上勉の「ブンナよ、木から降りてこい」という話は題名的にこれと似たようなものなのか...いつか読んでみたい。

 

 

 以上、空間的な高さをつかった話を三つ読んだ。「空の怪物アグイ—」では、空に大事なものが現れる、ということが書いてあった。「エロストラート」では、高さは優越感を感じるものである、ということがでてきた。「屋根の上のサワン」では鳥が屋根にいると、どこか行ってしまう可能性がある、それで飼い主は心配する、ということが書いてあった。

 ほかにも空間的な高さが出てくる話は多くあるが、印象にのこれば書いていきたい。

 

今回読んだもの

・大江健三郎、「空の怪物アグイー」(『大江健三郎全作品6』に収録されている)、新潮社、1969年(7刷)

・サルトル著・伊吹武彦、白井浩司、窪田啓作、中村真一郎訳、「エロストラート」(『水いらず』に収録されている)、新潮文庫、2003年(47刷)

・井伏鱒二、「屋根の上のサワン」(『山椒魚・遥拝隊長 他七篇』に収録されている)、岩波文庫、1993年(第41刷)

 

山椒魚・遙拝隊長 他7編 (岩波文庫 緑 77-1)

山椒魚・遙拝隊長 他7編 (岩波文庫 緑 77-1)

 

 

参考

屋上について前に書いた記事ー菊池寛著「屋上の狂人」を読む・屋上のイメージ