赤瀬川原平著『新解さんの謎』を読む

 おととい赤瀬川原平の『東京ミキサー計画』を読んだ。それで、面白かったため、他のも読んでみようと思い、今回は『新解さんの謎』という本を読んだ。

 『新解さん』とは何のことか、というと、三省堂から出ている国語辞書、「新明解国語辞典」のことである。この本では「新明解国語辞典」はどんな性格をしているのか、その特徴を探っていっている。「さん」がついているのは、多分、さんをつけたほうが親しみやすいからだと、または、「さん」と付くほど人っぽさを感じたからだと思う。

 いろいろと「新解さん」のもつ性格がこの本では明らかにされた。二つピックアップしていうと、まず「新解さん」は苦労人説(p.100)。さまざま、赤瀬川がこれは、苦労人っぽい辞書の説明、また用例なのではないか、というところを挙げていっているのだが、うまく、つなぎあわせていて、たしかに「新解さん」は苦労人っぽい、と思った。それから、魚好きなのではないか、という説(p.92)。辞書ではあるが、「新解さん」は言葉の説明に「うまい。おいしい。」と書くのだが、魚のところでしきりに「うまい。」ということを言っている。

 

 面白いと思った言葉の説明はいくつかある。まず、「たらばがに」。以下、横書きではあるが引用する(省略したところは[…]で表す)。

たらばがに③【<鱈場<蟹】 北方の海でたくさんとれる、カニによく似た節足動物。大形で肉がおいしく、缶詰にする。[…](p.97)

 このあと、ここの文のツッコミとして赤瀬川は、缶詰にしない鱈場蟹だっているんじゃないか、こう断言しているということは鱈場蟹の生態系に組み込まれているのではないか、ブリなどは成長の過程でイナダとかワラサとか名前が変わって最後にブリとなるのだが、それと同じように鱈場蟹も最後に缶詰となるみたいだ(p.97)ということを言っている。たしかに缶詰にはならないタラバガニも多くいるはずだが…。

 

 それから「いっき」

いっき①【一気】 「ひといき」の意の漢語的表現。[…]【——に①】(副)[…]「従来の辞典ではどうしてもピッタリの訳語を見つけられなかった難解な語も、この辞典でー解決」[…](p.121)

 このあと赤瀬川は、ここでは宣伝が入っており、チャッカリしている、と言っている(p.121)が、その通りだと思った。何の辞典かは書いていないが、赤瀬川のいうように、さりげなく、「新明解国語辞典」を宣伝しているような気がする。

 

 ということで以上、この本の趣旨と面白かったところを大体書いていった。ほかにも、この本では「新明解国語辞典」の何版かによって、意味が違う、ということが書いてあって、それを実際の辞書の意味とともに載せており、見ごたえがあった。ちなみに上で引用したところも含め、この本に載っている辞書の意味は「新明解国語辞典」の初版第六刷、第二版第十刷、第三版第一刷、第四版第五刷、第二十二版刷のいずれか(p.318)のようだ。

 いろいろと楽しめた。辞書の性格を窺えた。「新明解国語辞典」だけではなく、他の辞書にもそれぞれ性格があるのだろう、他のも見てみたい。だれがその辞書を作ったかによって影響される、ということは言うまでもないが。

 自分が気になる用語も今回読んだ本のように、紹介していきたいと思った。

 

今回読んだもの

赤瀬川原平、『新解さんの謎』、文春文庫、2014年(第15刷)

新解さんの謎 (文春文庫)

新解さんの謎 (文春文庫)

 

 

参考

下にも関連記事として出ているが、ここでも赤瀬川原平の読んだ本の記録のリンクを貼る。ご興味があればどうぞ!

・赤瀬川原平の著書『東京ミキサー計画』を読んだ記録ー

kankeijowbone.hatenablog.com

 

・尾辻克彦(赤瀬川原平)が芥川賞をとった「父が消えた」を読んだ記録ー

kankeijowbone.hatenablog.com

ビックカメラのcmの歌について

 もしかしたら今さら…と思われる方もいるかも知れないが、今さら知った。

 ビックカメラのcmの歌は気になっていた。頭に残る。元の曲があるようだ。ロバート・ローリーという方の1864年に出した'Shall we gather at the river'という曲だ。早速聞いてみたら、たしかにビックカメラのcmのものとメロディーは似ていた。

 

 ほかには、ビックカメラのcmの歌詞は「不思議な不思議な池袋...」しか知らなかったのだが、ほかの店舗の歌詞もあるようだ、札幌店、名古屋店、なんば店…。ヨドバシカメラも同じメロディーのものがあった。ビックカメラとヨドバシカメラのメロディーが同じだということは初めて知った。

 しかし、今のところビックカメラの池袋以外の歌詞とともにある動画が発見できていない。クリスマスバージョンや、替え歌のものなら見つけられたのだが。探し方が悪いのだろうか。

 池袋店以外の店舗の歌詞の動画があれば、みてみたい。

 

今回参考としたもの

・<主題歌・テーマ曲・サントラ>というサイトの「ビックカメラの歌 CMソング 各店舗の歌詞」というページ

・<Worldfolksong.com>というサイトの「Shall We Gather at the River まもなくかなたの」というページ

・<ビックカメラの歌 BIC CAMERA SONG>(YouTubeより)

・<Shall we gather at the river>(YouTubeより)

いつツッコむのか…と思わせるネタ(安田大サーカス、ジャルジャル)

 いつツッコむのか、というふうに思うネタがある。

 例えば安田大サーカスのネタ。題は書いてなかったが、不動産についてのネタ。ヒロと安田が話しており、クロちゃんは安田の横にチョコンといる。みていて、いつツッコむのだろうか、クロちゃんは亡霊的な存在なのか、そしてそのことは最後の方で明かされるのか…または最後まで何だったのかわからないキャラクターで、なんだったんだろう、と思わせるのが狙いなのか、と思ったが、さいごのほう、安田とヒロが話している際中、あっけなく、安田にツッコまれていた。結局、クロちゃんは、台詞も少ないし、亡霊なのかなんだったのか、わからなかったが、これはこれで、自然でいいと思った。

 ジャルジャルの「面接」というネタでは、福徳がバイトの面接官で、後藤が面接を受けに来るという役である。後藤はずっとバイトの面接官に対して、タメ口で喋りつづける。みていて、いつツッコむのだろうか、と思った。福徳は絶妙なところでツッコんでいた、「キッチンとホールあんねんけどさ。これはどっちいける?」「ああ、それはどっちでもいけるわ。おまえがふりわけたところに全然おれは入るし。」「なんでタメ口なん?」。

 

見た動画(いずれもYouTubeより)

「面接×ジャルジャル」

「安田大サーカス2010.1.11.mpg」

赤瀬川原平著『東京ミキサー計画【ハイレッド・センター直接行動の記録】』を読む

 赤瀬川原平は前も紹介したことがあるが、トマソンという概念を生むのに関わったり、別のペンネーム、尾辻克彦で芥川賞をとったり、いろいろとした人である。今回は、本の題名が気になった、『東京ミキサー計画【ハイレッド・センター直接行動の記録】』というものを読んだ。その内容や面白かったところなどを紹介する。

 

内容とおもしろかったところ

 まず、副題にあるハイレッド・センターとは、発起人とみられる高松次郎、赤瀬川源平、中西夏之の頭文字、'H'(高)、'R'(赤)、'C'(中)をそれぞれ片仮名にした、というのが定説である(p.8,9)。

 「ミキサー」とは、本文に説明があったのが発見できなかったが、たぶん「攪乱」という意味だと思う。「攪乱」ということばは文中にいくつか使われていたため。 

 ハイレッド・センターは、1962年から1964年ごろ活動してきた。様々な活動をした。前衛芸術のような活動である。この本は、それから二十年ほどたって、赤瀬川が当時の活動をふりかえっていったものだ。

 

 序章では芸術に対する考え方が書いてあった。以下は芸術は芸術と言ったとたんに芸術ではなくなる、というところが書いてあるところの引用。

 

 芸術というのは非常に難しい言葉です。缶詰食品みたいな言葉です。缶切りで缶の口を開けたとたんに、そのときから中味の芸術は少しずつ腐りはじめる。だからハイレッド・センターはその防腐剤として嘘をつきました。1960年代はじめの東京の町でいろいろなことをしたのですが、芸術じゃない、芸術じゃないと嘘をつきながら芸術をしたのでした。そうしないとすぐに芸術だということが露見して、腐りはじめてしまうからです。(p.13,14)

 

 たとえば本書では、この言葉にあるように、芸術かどうかよくわからないもの、まだ芸術とはよべないものが登場する、有楽町の駅のホームに、卵型のものが出現(p.22,24)し…。

 じっさい、ものは、なにか名前を付けてしまったら、つまらなくなる、ということはあると思った。もっとも本書の最後の方では、これにはオチがついているのだが。

 

 この本で面白いと思ったところを三つ紹介する。ひとつめは上野の美術館(第15回読売アンデパンダン展)での出来事。高松次郎の作品であるが、床の上に箱があって、そこには「この手袋をはめて中の紐を自由に出して下さい」ということが書いてある指示書があって、それをずっと一次元的に引っ張ていくと、上野駅にまでたどり着く。当時、高松次郎は紐を追求していたようだ。(第5章(p.77-98))

 なにか、よくわからないのだが、一次元であるところがいいとおもった。

 ふたつめは、閉鎖画廊をする、ということで、案内は出すのだが、文字通り画廊は閉鎖しておいて、会期中一週間は人が入れないようにドアを閉めておき、ふつうは展覧会は初日にオープニングをするのだが、会期が終って最終日にオープニング・パーティーをして、ビールを飲みはじめる、というところだ。(p.215-227)

 あまり感想は書くことがない、というか余計な気がするが、そういうものもあるんだと思った、エンディング的なオープニングなのにエンディングとは言わない、というところがいいと思った。

 三つめは、先にも書いたが、ハイレッド・センターの活躍時期は1962年から1964年、1964年というのは東京オリンピックのあった年で、世界中から客が来る、ということで、人々は街中のごみを片付けたり、舗装したり、きれいに掃除する、というふうに動いていたのだという。そういう空気の中、ハイレッド・センターはなにができるのか、ということを考え、みんなと同じように、掃除をし始めたとのだという。(p.249-268) その掃除の様子がよかった。

 服装は白衣に白マスクで腕に腕章で、赤瀬川は雑巾をセメントの道路にかけようとするのだが、セメントだとすぐボロボロになるので、板張りがよかった、と言う感想をもったり、外ではあるがきれいにした敷石二枚分の部分には、きれいにしたから、それを知らせるためにスリッパを手前において、スリッパを穿いて通ってほしいことをアピールしたり、…また、時間がなくて、白衣を返さなくてはならず、白衣なしの私服で掃除しているところも写真で見られた。(p.249-268) さすが、ハイレッド・センターだと思った。

 以上、いろいろと紹介してきた。本では文章とともに、写真もあって、よかった。今回は写真は載せていない。アイデアがいっぱい書いてあった。なにか、原始的なかんじがするところがよかった。

 

 今回読んだもの

赤瀬川源平、『東京ミキサー計画【ハイレッド・センター直接行動の記録】』、ちくま文庫、2014年(第3刷)

東京ミキサー計画:ハイレッド・センター直接行動の記録 (ちくま文庫)

東京ミキサー計画:ハイレッド・センター直接行動の記録 (ちくま文庫)

 

 

 

サンドウィッチマンの<カラオケ>をみる

 サンドウィッチマンの<カラオケ>というネタをみた。伊達がカラオケ舘に訪れ、富沢が接客し、さまざまなボケをする。とくに面白いと思ったところが、伊達が「ごゆっくりどうぞ」というところに「うるせー」と返すところである。

 店員には「うるせー」とは思っててもいえないのだが、それを言ってしまう、というところがいいと思った。