尾辻克彦著「父が消えた」(第84回 (1980年下半期) 芥川賞受賞作)を読む 

 尾辻克彦は赤瀬川原平のペンネームである。

 以下本の内容や感想などを述べる。

 

 

 

内容

 八王子霊園という都営墓地の調査と見物のために主人公である私が『生活』という雑誌の編集部にいる馬場君と同行して三鷹から電車で行く。その最中に、色々と昔を思い出す。主に私の父親のことで、私の父は80歳でこの春に死んでしまった。——私の兄が横浜に住んでいたので父もその兄のいる家で息を引き取った。

 私の父が転勤で名古屋や大分にいた時のことや、私の家族の事、私が各駅にたどり着いて尾辻克彦の考えが入っているのか、その考えの事、同行中の馬場君が結婚するらしく結婚に対する考えなど、乗車中あれこれ思う。

 

 八王子霊園に着いた後も墓の形や豪華な隣にある墓園と今回行こうとしていた霊園の比較など私の思ったことが書いてある。

 

感想

 赤瀬川原平については詳しく知らない。本なども興味深いものはあるのだが、手にしたことは無い。けれどもネットで見てみると面白そうだと思った。

 八王子霊園に調査に行くということが普通の目的として書かれているわけだが、ここはなかなかマニアックというか、——今はそういうことも趣味としてあるのだろうが、自分の家の関係者がいる訳でもない霊園に行こうとする人というのはなかなかいないと思った。しかし赤瀬川原平は例えばトマソンといってあまり役立ちはしないが主に不動産に属するものを概念として生むのに関わったため、墓もそういった何かの面白みのある形などあるかも知れない。にわかではあるが自分が好きなタモリは赤瀬川原平との共著があり、また、自分は動画でしか見たことは無いのだが、タモリも「タモリ倶楽部」の企画の「東京トワイライト・ゾーン」などで路上観察的なことをたびたびやっていたのでもしかしたら赤瀬川からタモリへの影響はあるのかもしれない。

 尾辻克彦の年譜の所を「芥川賞全集 第12巻」で見ると、横浜、芦屋、門司など移り住んでいったこと、また、中学校のとき夜尿症だったということ、絵の専門学校に行っていたことなどは本作品にも出ているので、物語は作り話というよりかは自身の体験を基にして作っていっているのだろう。

 

 以下感想というよりは印象に残ったところを書いていきたい。

 

印象に残ったところ

 多い。

 

 

 一つは最初の方の文であるが、いつもとは反対の方角の電車に乗ると嬉しくなるというところである——

 でもいつもと反対の電車に乗ると、よくこういうことがある。私はいままで、この三鷹駅からは東京「行き」の電車にばかり乗っていたのだ。だけど今日は三鷹駅から東京「発」の電車に乗って、八王子の墓地へ行ってくるのだ。電車はいつもの三鷹駅の固まった風景を、もう一枚めくるように動き出した。いつも見慣れていたつもりの風景が、どんどんめくられて通り過ぎて行く。珍しいことである。電車というのは反対に向うとじつにどんどん動くのだ。この電車が動くという感じが嬉しくなってくる。 (275頁)

  東京行きではなく、それとは反対の東京発の電車に乗って電車が動く、これが嬉しいという事をここではいっている。なんとなくわかる気がする。

 

 こことはあまり関係ないかもしれないけど、旅に向かう途中の風景と帰りの風景は随分違って見えて、そういうところはいいな、というふうには思う。

 

 

   二つ目は父が死んだとき主人公である私が父が死にそうだ、危ないという時に駆けつけることをしないというシーンである。

 私は電話を切りながら、やはり慌てて駈けつけるのがふつうだろうと考えた。だけど私はもうその前から父は死んだつもりになっていたので、素直に慌てたりすることができなかった。自分が慌てて駈けつける場面を想像すると、その慌て方がまるで世間に見せるように慌てているようで、かえってそれが恥ずかしくなってしまうのだ。 (280頁)

 この後の文で、ここの引用でも触れてあった父はもうその前から死にそうでいた、というものが続く。世間的には危篤の連絡があった場合駈けつけるべきだけど、もう弱っていたということもあって駈けつけることはしなかったのだろう。けれども「その慌て方がまるで世間に見せるように慌てているようで、かえってそれが恥ずかしくなってしまうのだ」というところはいいと思った。

 

 三つ目は八王子霊園に近い高尾駅を降りて、そこから交番へ行くと「バスに乗るといい」と言われたところも含めてと、その後のところである。

 駅前の交番で聞くと、八王子霊園に行くには造形大学行きのバスに乗るといいという。

 「歩くと四十分はかかるよ」

といわれたので歩くことにした。 (296頁)

  「いわれたので」というところは大体は「いわれたが」にすると思ったのだが、著者が歩くのが好きなのだろう、(バスに乗って行けば歩くよりは早く着くのだろうに、40分もかかる所を歩いて行くのか)と思った。

 

 四つ目の所は父が生きている間、父を兄の住む横浜の団地の5階に運び入れるというシーンである。そこで主人公の私は材木運びのアルバイトを思い出した。——

 あのときは材木よりも壁が大切だったけど、いまは壁よりも「材木」の方が大切なのである。壁は少々傷つけても、この「材木」を傷つけないように運ばなければならない。 (292頁)

  ここで括弧の付いている「材木」とは運ばれている父親のことであると思う。当たり前のことが書いてあるのだが、ここで材木運びのバイトを思い出す、そして材木運びと父親を運ぶことの違いを書くところが面白いと思った。

 

選評

 銓衡委員会には井上靖、遠藤周作、大江健三郎、開高健、中村光夫、丹羽文雄、丸谷才一、吉行淳之介の八委員が出席した。(瀧井孝作、安岡章太郎両銓衡委員は風邪のため欠席)

 

 大江健三郎は以下のようにいう。

 尾辻克彦氏『父が消えた』が次つぎに繰りだすイメージは、日常的なようで独特のものだ。尾辻氏は画家だが、戦後の絵画の潮流のめまぐるしい変化から、それを文章の世界に移すとあざやかな達成にみのるような、新しい局面をよく見ている人だ。たとえばポップアート。在来の短編の定型をいちいちひっくりかえす細部、構築するかわりに解体するような筋の運び。その尾辻氏の書き方は、短編というジャンルの「異化」と呼びうるものだ。この言葉がなお一般的でないとすれば、もっとも日常的なものが、いかにも日常的なことを語る文体で書かれ、しかも日常的なものとは正反対のショックをあたえる、そのような書き方の面白さといいかえてもいい。それは在来の短編に見られぬ特質である。 (385頁)

 

参考

今回読んだもの 尾辻克彦、「父が消えた」 (「芥川賞全集 第12巻」より)、文藝春秋、1983年