英検受けたい

※この記事は書き終わってないのにうっかり昨日公開ボタンを押してしまったけどまた公開する。

 

 

英検受けたい。

大学の時は資格とかに対してそういうんじゃない、やりたいことはそういうんじゃないんだって思ってた。

 

でもなんか辞めてどんなものなのか、受けてみようかって感じがしてる。リスニングが苦手なので対策してく中で少しでも聞き取れるようになりたいなっていうのもある。

 

2級は高校のときに取った(すごくはないけど)。2次(面接)試験は1回落ちて2回目で取れた。点数は2次試験のだけ持ってて今見たけど、ほんとぎりぎりだった。

 

1級は単語とかリスニングとかいろいろ難しそうで無理そうだから準1級にしようかなあと思う。でも準1級も合格率が大体15%とかだったので難しいと思う。全体で7割くらい取らないといけないみたいだし。3回くらいやって受かればいいな。

 

できたら1月くらいにあるのを受けたいんだけど、仕事をもっとやることになったら時間取れないだろうし、通信制行ったら忙しくなるかもしれないしいつ受けるかはまだわからない。試験は疲れるので途中で嫌になってしまうかもしれない。

 

資格に傾きすぎるとつまらない感じがするので、傾きすぎないように、もっと広く英語を頑張っていきたいと思ってる。

 

問題がホームページにあったのは見たのでその感想は今度書けたらと思う。

大学辞めました。通信制へ行きたい

まず言ってなかったけど、自分は大学生だった。そして辞めた。今月のことだ。以下書きたいところは書いてく。やめた理由になった要因や不満とか。

 

・通ってた大学

私立の4年制大学。留年したので、5年目だった。英語をちょっとやってた(学科のことについてはあんまり書きたくない。難しくない大学)。学校までけっこう遠くて行き帰りがしんどかった。学校着いたらもう眠くて授業でも寝てたりした。もっと近いところにすればよかった。

 

・カウンセリング

理由は色々あるけど、1年の頃からすぐに大学がいやで授業に出なくなって、1年の終わり頃から大学のカウンセリングにはずっと通ってた。カウンセラーがいたからこんな何年も学校に行けた。何度も励まされた。すきだった。でもこの前いやなことがあって(自分が悪いところもあったけど)カウンセリングをもうやめることにした。そしたら大学に行く意味をほぼ失った。もう話したくなくて大学をやめたことも伝えてない。カウンセリングをやめたから話す相手がほぼいない。またほとんど誰とも喋らない生活が始まった。

 

・単位取得/必修の単位/成績

自分の学科の単位で面白いのがないと感じて、他学科の単位ばかり取ってた。結果、4年の終わりで授業は出れても他の学科の単位は取れなかった。それだけ他の学科の単位を取ってしまった。もう単位にならないからやる気は出なかった。

必修(所属の学科で取らなければいけない)単位があって、1、2年の頃はそればっかりだった。再履修とか言って、取れなかった必修の単位は学年が上がっても再び取らなければならないのだけど、そんなことばかりしてた。

行ってた大学はゼミが必修なのだが取ってたのはつまらなかった。ほかに行きたいゼミもなかった。自分の意見を先生に言ったりしたんだけど、あんまり…。ここはいいや。自分の力の無さを色々感じた。自分はその先生に不満をもってて言ったりしてたんだけど、ゼミだからかみんなすきで来てます!みたいな感じで不満を言う人がいなくてきつかった。不満たらたらな人が1人くらいいても良かったと思う。

4年半で単位は卒業に必要な2/3くらいは取れた。2、3年の頃、自分では頑張って単位を取った記憶がある。取得したのが0の学期もあった。

卒業に必要な2/3取れてんだったらもう少しじゃんって思われるかもしれないんだけど、いろいろ制約で、「1学期に○個までしか取れない科目」とかあって、そのために何学期か行かなければならなくて、学費も高いしもうやめたかった。

gpaというのをこの前はじめて確認した。通算のがあって見たら0.7とかだった。すごい低いんだと思う。

 

・グループワーク/友達/ひとりぼっち/サークルみたいなの

授業でグループでやらなければいけないことがあった(グループワーク)。グループワークは本当苦手だった。力がないというのも関係してると思う。自分が喋らなくてグループに迷惑をかけていた。本の感想を言うみたいのもあったんだけど、自分の注目したところは大して良いと思えなくて、周りの人の言ったことがよくそんなとこ見つけられたなあ、とか、すごいなとかよく思ってた。

文章でもしかしたら伝わるかもしれないけど、自分は友達がいない人間だ。

大学で友達は一人もできなかった。クラスみたいなのも1、2年ではあったけどいやな思い出ばかりだ。べつに友達になりたいって人はいなかったけど。友達って何なんだろうな。

ひとりぼっちが当たり前すぎてぼっちって簡単に自分で言う人に対して苛立ちを感じた。

サークルみたいなのはほんの数ヶ月入ってた。すぐいやになった。行かなくなった。めんどくさかった。

 

・学費について

私立なので高かった。年100万円くらい。自分が返さないといけないことになってる。コロナウイルスでオンライン授業になったけど学費は安くならず不満だった。施設費、使ってない分は返してほしかった。休学費も高い。そんな高いお金を払ってまで学びたくはない。国立だったらもっと安いのだろうけど、そんな学力はなかったし、行ってた高校から国立大へ進学した人は滅多にいないから、考えてなかった。

バイトはしてて、学費の少しは払ってたけど、ほんとに微々たるものだ。主に教育ローンから多額の借金を背負った。奨学金も返す種類のをもらってたんだけど、成績不振ですぐ打ち切りになってしまった。

単位を取れなかったし、これ以上借金したくなかった。もっと安いところに行きたかった。

 

・オンライン授業について

留年したのでオンライン授業(コロナウイルスのため)を体験できた。最初は学校行かなくいいのでうれしかったんだけど、課題がいつもより多かったり、伝わらないことがあったりした。あんまり家では授業を受ける気力がしなかった。家ではやりたいことが多いし、布団もあって寝れるので…。

 

・高校の頃について

一応高校の頃も書いておこうと思う。高校の頃は今さらこんなこと言ってもしょうがないけど成績も大学みたいにそんな悪くなかった。授業も出ないということはなかった。大学になって急に…ってかんじ。でも授業態度は変わらず悪かったと思う。けっこう関係ないことやってた。そういうところなんだろうな。

 

・バイト/就職活動

これから就職については考えなければならない。就職活動は一回もしてない。バイトは今も1年からずっと同じのを続けている。客の前に出なくていい仕事だ。もう周りは正社員で働いている人もいるんだろうし、焦りはある。これから、通信制に行くことになったら親などにもっと働けと言われるかもしれない。甘いと思われるかもしれないけどしんどい。

就職は、すきなことをする時間が取れなくなると思うから、まだしたくない。でもそれは厳しいかもしれない。

 

・行こうとしてる大学

辞めたけど、もっと勉強したいって思ってる。読書する時間も取りたいし。だから、違う大学に行きたい。

今度はあまりお金がかからない大学に入りたい。通信制は通学制に比べればお金がかからないみたいなので通信制の大学に3年次で入ろうと考えてる。通学制と比べすごい安い。バイトで払えそうな金額だし、これからはやっと多額の借金を借りなくてもいいと思うとうれしい。もちろん借りてた分は返さなければならない。あんなにお金を払う必要があったのか通信制に通って確かめたい。

テーマが見つからないと難しいと思うし、卒論がない学科がいいと思ってる。でもそれだとあまり前の大学の学科とは分野がだいぶ違うし、関心がなくて悩んでる。

今秋入学の書類を集めたりしてる。けど気力がなかなか湧かない。

通信制は卒業が難しいみたい。できるのか…。

 

・全体の感想

大学行ったけど、勉強は満足できるまではいかなかった。身についたのもそんななかった。

本を読むのはすきだし、勉強もすきなのはすきだし、英語もいろいろ興味があったんだけど、先生や授業内容がほとんど嫌だった。お金もすごいかかるし。高級サロンってかんじ。自分の態度が悪かったのもある。でもつまらなかった。くだらなかった。今はそう言いたい。

 

辞めちゃいけないという周りの意見だったり、周りをみて、辞めてはいけないと思ったこともあったけど、でもやっぱり無理だった、耐えきれなかった。ずっと辞めたいって思ってた。やっと辞められた。

 

 

高野悦子の二十歳の原点を再読

・読んだきっかけ

何年か前にカウンセラーが薦めてくれた思い出に残る本だ。カウンセラーに前まで憧れがあったのだけど、最近はいやなことがあってもう行かないことを決意している。悲しいけど。

 

この本は何度か再読している。この前高橋和巳の本を読んだのだけど、学生運動をしていたのが時期的にもかぶっていて(大学は違うけど1969年のこと)また読んでみたくなった。二十歳の原点は文庫のものが家にあったはずなんだけど、探してもなぜかなくて、単行本を今回は買った。

 

 

・内容や印象に残ったところ

高野悦子は大学生で、20歳で自殺した。「二十歳の原点」は死ぬおよそ一年前からの手記(ノート)。内容は多岐にわたる。学生運動の事、大学の事、アルバイトの事、お金の事など。

自分を見つめなおしていったり自分は何かということをよく問うていた。

 

すごい勢いを感じる。

読む度に着眼するところが違ってくる。自分もいろんなことの意味をつきつめていきたい。

 

印象に残ったとこや共感したことを引用しようと思う

〇大学側で卒業を認めてくれなくともよい。あと二年間自分にとってしっかりした何かを摑みたい。 …  (p. 74)

〇私は外側のものに対しては決して負けはしないだろう。しかし、自己を支えているものが動揺し、内部のもの自体に不確実さ、非現実を感じると、どうにもならなくなる。 (p. 112)

〇なぐられたら殴りかえすほどの自己愛をもつこと。 (p. 163)

 

 

・読んだ本

二十歳の原点 (1971年)

二十歳の原点 (1971年)

 

花はドイツの植物画家・学者のゲオルク・ディオニシウス・エーレットが描いたパーロット・チューリップが表紙の元となっているようだ(『高野悦子「二十歳の原点」案内』という熱心なサイトより)。きれいだとおもった。

高橋和巳のわが解体を読んだ

・読んだ理由

学生運動に興味があるため

 

 

・内容/思ったこと

いくつか題があったけど、「わが解体」についてのみ書く。

高橋和巳は京都大学の助教授だった。就任中に起きた学生運動について書いてあった。言おうとしていることは短く言えば、話すことを拒絶するのではなく、学生たちと話したり話す場を作らなければならない、けれどもそれはなかなかできない。そういうことが書いてあったんだと思う。

 

学生運動をしている学生側の手記は読んだことがあるんだけど、先生側の本ははじめて読んだ。いろんな立場から見ていくことは大事だと思う。

 

大学生ってなんか先生と比べ、弱い立場だなあっていうのは感じる。能力が違うからそうならざるをえないということもあるんだろうけど。嫌なもんだ。

 

大学についての不満などは近々書こうと思います。

 

 

・本

わが解体 (河出文庫)

わが解体 (河出文庫)

 

 

 

 

昨日見た夢

昨日は昼寝してた。

人を殺す人を見た。以下夢の内容。

一番最初は好きな人を殺して、もっと殺してもいいやってなって、8人くらい殺してしまった。武器は分からない。暴力とか使ったんだと思う。

 

で、裁判みたいなのにかけられて、嫌いな人が裁判官だった。裁判の進み方は、平等って感じはしなくてとにかく感じ悪かった。嫌いな人に質問されるし。

 

ある程度時間が経って親戚や親が弁護人として来てくれた。ここらへんで裁判の場所は車の中だったと思い出す。

 

休憩として夕方5時まで好きにしていいということを言われた。

 

自転車で出かけて、ふらふらしてした。罪悪感が凄かった。高いところで下に水たまりがあるところで自分はもう死んでもいいやってなった。裁判みたいなのから逃げたかった。景色は意外と見覚えのあるとこだった。けっこう高低のある場所。でもはっきりとはどこだったかわからない。その高いところから下の水たまりを眺めていた。

 

そこでちょうど夢は終わって、あれ、現実で人は殺したことないじゃん、ってなった。人を殺したことがないとすごい気楽だとおもった。

 

こんな感じ。