カウンセリングや精神科について

こういう記事を自分が書くのは「意外だ」と思われてるのか「やっぱりか」と思われてるのかよくわからないが書いてみる。

 

こういうのに行った事があると言うと弱い人間だと思われそうでずっと嫌だった。自分は強がりなところはけっこうある。だから言わなかった。でも自分は最近ツイッターとかで(このアカウントで)も弱さを吐き出しているような気がして、もうこれも別に言ってもいいや、と思ってきた。自分は弱い人間なんだろう。それは認める。

 

自分はどちらも行ったことがある(カウンセリングは今も行っている)。今日はそれらについての話(カウンセリングがメイン)。

 

精神科は2つ行ったことがあるんだけど、ひとつめは薬(自分の場合は精神安定のためのもの)を一度に飲み過ぎてしまって(オーバードーズともいう)、それをもうやるべきではないと思って、すぐにやめた(気持ち悪くなって、たぶんそのせいもあって言いづらいけど事故があった(外で))。市販薬とかでも自分は薬があると、飲みすぎてしまうので、あんまり買わないようにしている。効きにくいのか何なのかわからないけど、なんかオーバードーズをしてはクラクラして気持ち悪くなっている。いっぱい飲みたくなってしまう。飲んだことはないけど睡眠薬とかだったらすぐ眠くなるのだろうか…。ふたつめの精神科はこの前まで行ってたんだけど、薬が大きくて、飲むのが辛くてやめてしまった。精神科は薬の処方しかしないな、というイメージをもった(もちろんそれ以外もあるのだと思います)。あと、診断名は何ももらっていない。「ADHDや社会性不安障害の可能性がある」とは言われたっけ。でも精神科2つとも本当すぐやめてしまって、結局何も診断されていない。そういうのが一番危険なのか。診断された方が良かったのかもしれない。もうすこし通ってたら診断されてたのだろう。社会で上手く生きていけていないし、なにかしらの障害はたぶん自分は持ってるんだろうけどな。

 

カウンセリングは2つ今は通っている。ひとつはもう3年以上通っている。そっちはいろいろ事情はあるがカウンセリングを受けることにお金はかかっていない。もうひとつは1つ目のだけだと言うことも限られてきた気がしたので、別の悩みを中心に言うために通い始めた。半年前くらいからだろうか。でもなんとなく半年くらい前から通っている方は相性は良くないのだろうと感じ始めている。でもこっちはこっちで自分にとっては重要な悩みではある。3年以上通っているカウンセリングのカウンセラーにはまだ言うことができていない悩みだ。

 

3年以上通っているカウンセリングはいろいろ気づきがあって、本当に行ってよかったなと思っている。最初は自分が悩んでる時、他の人から薦められて、自分はそういうのは精神的に病んでるというか、すごいきつい人が行くものだと思って、自分はそういうのではないとは思っていたけど、でも、行き始めて自分もなんか精神的にいろいろ不安定だよなと思い当たるところがあった。過去のことなども普通とは言えないことも多くて、人との付き合い方もどこかおかしかったし(今もだけど)、やっぱりカウンセリングは必要だったのだと思う。そこのカウンセラーはじっくり考えてくれるし、よく聞いてくれるし、反応もすごくよくしてくれるし、話したいと思える。いいカウンセラーだと思っている。

 

以下、そのカウンセラーやカウンセリング(3年以上通っているカウンセリングの)について書く。どういうところが良いのか、また、苦しいと思うこともあり(と言ってもカウンセラーの人柄はほんとうすきだ)、それも書いていく。

 

・よかったところ

嫌なことは嫌とより思えるようになった

これは嫌だ、と思ったらそれはカウンセラーは認めてくれる。だからいろんなところで嫌だと思っていい、と感じる事が多くなった。

 

悩んでいる人にどういう反応をすればいいのか少しわかった(わかったふりかも)ような気がする

自分はカウンセラーとのやりとりを主にカウンセリングが終わった後に、メモに書き溜めたり、反芻したりしたため、カウンセラーの反応がなんとなくわかる(予測がつく)ときがある。もちろん全部はわからない。褒め方とか、きついって言ったら「どういう事がとかある」と具体的に聞いたりとか。「大変だね」「それは疲れるね」(きついエピソードの後に)と言ってくれたり、とにかく疑問を投げてくれたり(その話に興味をもってくれたり)、「中学生のときはどうだった」「高校生のときは」「今は」「理想のは」など時間が飛んだらのことを聞いてくれたり。まだいろいろあるけど(省略します)。でももし他人が悩んでいたら反応は難しい気がする。自分はカウンセラーの真似をしたいけど、でも全然うまくないし。カウンセラーっぽく聞いたら(反応したら)「あんた誰だ」って言われそうだし。でも、話を遮らないべき、とか、そんなに人の話を聞いていないのにアドバイスをするべきではないとか、そんなに頑張ったり大変なエピソードも聞いていないのに「頑張ったね」とか「大変だね」と言うと真実味がないというか、それくらいはわかる。そう言うんじゃなくて、もっと、聞き返すとか。それはそのカウンセラーがそういうことを意識してるんじゃないかなと自分が思っている(予想している)ことだ。でもわかったのはほんの少しだ(わかったふりかもしれないけど)。

 

他の人も嫌だということが知れた

自分は騒音がいやな時が多くて、前は注意のやり方が本当ひどい時もあった。で、それをカウンセラーに相談したら「それは大変だね。でも、他の人もいろいろやっているし、自分が静かな場所に行ったり、イヤーマフを付けたら」みたいに言われた。自分はイヤーマフは耳が痛くなるのでいやだ、みたいなことを言った気がするけど、でも、よく考えたらそうだよなと思うことである。自分が不満を伝えてしまうことで周囲の人ができなくなってしまうことはある。そんな感じで、自分は悩んでるけど、それの伝え方次第では相手も嫌になってしまうし、どうしても妥協しなくてはならないこともあるとはたまに言ってくれる。相互性というのかな。だから客観的に少しなれたような気がする(ほんの少しだけど)。いろんな人がいるのだと知れた。でもどうしても伝えたいことはあって、それは伝えていきたいのだけど。難しい。

 

いろいろと反応してくれる

これは本当に。カウンセラーじゃないと反応してもらえないことだってある。些細なことでも掘り下げて考えてくれる。他の人に言ったらスルーされることでも、考えてくれたり、質問してくれたり、疑問点を作ってくれたりする。

 

カウンセリング中は黙ることが許される

自分はカウンセリング中で気分が悪かったりしてあんまり喋れない時があって、そういうときは黙っててもいいようだ。なんかそれはうれしいことだ。カウンセリング以外ではそんなことはできない。30分くらい自分が黙ってたこともあった。だからといって積極的に黙ろうとかそういうわけではない。

 

わかってもらえてる気がする

おこがましいけど、そのカウンセラーともしかしたら若干、似ているところがあるのかもしれない(どこに疑問をもつとか若干似てると思う。カウンセラーが単に合わせてくれてるだけなのかもしれないが)。自分の言いたい事をわかってくれたら、それはうれしい。カウンセラーは頷くタイミングが上手いし、自分の言ったことも上手くまとめてくれる。だいぶわかってもらえてる気がする。

 

熱心に聞いてくれる

まず目を見て聞いてくれる。また、わからない箇所は質問してくれる。一回で伝わらない苛立ちはいくらかはあるけど、それはやっぱり伝えたい事なので、カウンセラーに把握はしてほしい。だから聞き返してくれることはうれしい。それは伝わらないと困るんで。若干自分が言い淀んで、「やっぱ話さないです」と言うこともあるのだけど「話さなくて本当に大丈夫」など、聞いてくれて、「やっぱ話そう」となる。

 

カウンセラーがいない時もカウンセラーがいる感覚

カウンセリングではない時も、まるでカウンセラーがいるかのように、自分のしていることにカウンセラーだったらこういうふうに質問するとか考えることがある。やっぱり何か困難を前にしてカウンセラーがしてくれるような疑問や考え方を自分ひとりがもし思いついたら、困難が少し和らぐ気がする。困難を完璧に達成しなくていいとか、相手に言いたいことを伝えるとかを通して。カウンセラーがいる(もちろん考えとかの面で)って思えたら心強く感じる。

 

本についてもいろいろ話せた

自分が本を持ってきて、それについて話したりした。反応してくれて嬉しかった。反応が上手い。「これはどう思う」と聞いてくれたりする。そのカウンセラーは疑問点を見つけるのがうまくて、自分が「次回はここを調べよう」と思うことも多くあった。カウンセラーに薦められて読み始めた本もある(というより自分がお薦めを聞いた上で)。考えさせられる本とかもあったし。ちょっとここでは具体的には省くけど、でも本当良かった。

 

・ 苦しいこと

自分中心的さ(自己中心性か。そんな言葉あるのか)が加速

もちろん他の人も苦しんでいるが、カウンセラーはあくまで自分のことを考えてくれて、自分のことを思ってくれる。けれどもカウンセリング室の外に出ると、当然、いろんな人がいて、いろんなひとがそれぞれ悩みを抱えている。自分は自分の思っていることを主張はするのだけど、それはカウンセリングで得られた内容と関連していたりするんだけど、でもカウンセラーの言っていたことには他者はあんまり含まれていないことがあり(あくまで自分のことをよく考えてくれているため)、そうなると、自己中心的な主張になってしまう。あとは自分はカウンセリングという短い時間ではあるけど大事にされてる、と思ってしまって、どんどんわがままになっている気もする。そこは気をつけたいし、他人の主張をすぐ否定はせず、一度は受け止めたい。自分が受けたカウンセリングのような個人的な場を社会でどう適応させていくのか(ちょっと言い方がわかりにくいかもしれない)、ということはこれからも考えていきたい。

 

日常生活でもカウンセラーのような人を探してしまう/日常がカウンセリング室みたいだったらいいのだが

これは本当に悩んでる。日常でもそのカウンセラーみたいな人がいたらいいんだけどなあ。なかなか居なくて。自分をわかってくれる相手がいたらいいんだろうけどなあ、そんなに簡単には居ないな。そりゃそうかもしれないけどさ。悩みをカウンセラー以外の人に言ったりするけど、なんか否定されたり、相手にしてもらえない時もあるし。そういう時は「ああ、自分はカウンセラーを求めてるんだな」ということを感じる。あとは似たことかもしれないが、自分はカウンセリングの場所はすごく気に入っていて快適だ。だから時々日常でもそうであってほしいと思ってしまって、「ここは違う」ということを強く主張してしまう事がある。でも言い方悪いけど、日常はカウンセリング室よりもほとんどの場合がさつだ。また、自分に対して望み通りには扱ってくれない。それは仕方ないのかもしれない。でももうちょっとよく対応してほしいな、と思うときがある。けれども、日常ではほとんどみんな悩んでいるし、不満も持っている。その事実を受け入れるのは難しいけど。

 

考えることにより、ますます苦しくなる

カウンセリングに行っていなければ見えてこない奥深くに潜んでいた問題だってある。カウンセリングは深く、抱えていることを考える場であると思う。だから苦しくなるのは仕方ないのかもしれないけど(もちろんひどい時は何も話さなくていい)。自分で納得するのはそんなに簡単じゃなくて、どんどん考えていかなければならない事が多い。それは苦しい。

 

カウンセラーの真似をしたくなる/憧れ

カウンセラーの職業自体も憧れがある。自分はカウンセラーにはなれそうにないけど。カウンセラー(臨床心理士)は大学院で資格を取って仕事をするのだろうけど、学校で学んだことと仕事が直結しているというのがいいなぁと感じる。あとは反応とか本当にうまいなと思って、真似しようとは何度もしたけど憧れはあるのだけど、自分はやっぱり違う。だからどのようにそういう真似をしたくなる人の動作や考えを取り入れるのか(反対にいかに取り入れないか)、ということは考えている。当然自分は経験したけどカウンセラーはしていないこともあって、それは、自分の独特さというか、それは何かあるはずだから、そこの振る舞いをもっと考えていきたい。そのカウンセラーは自分にとって一種の理想だ。だから、考えなど真似したいと思うけど、なかなかカウンセラーみたいにはなれなくて苦しい。

 

以下のことも書いてみる。

・問題の解決について/アドバイスの頻度

アドバイスはそこまでされない。というより自分の話をじっくり聞いてもらっている。それは臨床心理士という資格にそういうマニュアルがある程度はあるんだと思う(それ以外の資格を持つカウンセラーだとまた別なのだろう)。もちろんカウンセラーによって違うんだろうけど。問題の解決というのはそんなに単純じゃないな、ということはよく思っている。そんなに白黒したもの(問題が解決したのか/していないのか)でないとは思う。もっと複雑で混沌としている。

けれども「これをやってみたら」というアドバイスは的を得ている場合が多い。それは3年以上も通っているから的を得ているのだろうか。やってみて、「こういうことをやった」って言って、それに反応してもらって、また次はどうしようかってなる。そんな感じ。でもそんなに頻繁には「これをやってみたら」とは言われない。あとは「相手は実はこう思ってたんじゃない」とか「言わないと伝わらないこともあるような…」など、言ってくれるのだが、なるほど、と思い、気づかされる場合が多い。

なんか問題の解決ももちろんしたいのだが、そうというより、したい話を聞いてもらいたいな、そしてそれに反応してほしいと思うことの方が多い。「これは是非カウンセラーに相談したい内容だ!」とかいうのがあって。

 

少しだけどこういう検査もした。

・した検査

性格検査(職業適性とかと関係あるんだったっけな)

最初の方にやった。あんまり覚えていない。これは自分の思っているのとそんなに変わらなかった気がする。やっぱり内向的っていうのが目立ってたと思う。仕事もだから一人でやるのが向いてる、みたいな感じだったと思う。

 

箱庭

一度だけ。でもあんまり一度じゃ効果はない気がする。自分が作った箱庭の物の配置(ボードの砂に木や人、動物などを差し込んだ。配置は一回崩したり、動かしたりして、その過程をカウンセラーは見たりする)にコメントしてもらったんだけど「そうなんだ」という感じだった。

 

色んな検査があって、それはそれで面白いのだと思うが、自分はあんまりどれもたぶん楽しめないのだろう。今度絵を描くのもしたいという話にはずっと前になっていたのだろうが、全然やっていない。自分の悩みを聞いてもらえるときのほうが良かった。カウンセラーと喋りたい。だからカウンセリングでは自分の悩みを話してばかりだ。

 

主に3年以上通っているカウンセリングの話をした。自分のところではこんな感じだ。伝わっているだろうか。あんまり具体的ではないかもしれない。うまく伝えられないな。カウンセリングによって色んな種類はあるんだろう。自分はさっきも言ったけど2つカウンセリングに通っていて、もうひとつの方はあんまりうまくいってない。でも最初のカウンセリングに慣れすぎて、それと比較して考えていることも多く、正当にコメントを言えはしない気がする。比較するのはよくないだろうし。嫌ったらしくなる気がする。もう少し通ってみないとわからないのかもしれない。もうわかるような気もするけど…そんなことないかな。気が向いたら、なるべくカウンセラーを比較しないで、どういうことを話しているのか、そのカウンセラー(半年通っている方の)がどんな人かも書いてみたい。

 

カウンセリングに行ったからといって色々まだ悩みはある。なんか自分は悩んでいる、苦しんでると伝えるのが相変わらず下手だ。なんか淡々としているのか。リアリティーが無い気もする。悩みや苦しみを伝えるのが上手い(相手に上手くそう思わせる事ができる)人がいて、羨ましいなと思う。

 

「死にたい」というふうに自分は今は思っていて、それもいつかカウンセラーに伝えたいのだけど、それをどう反応されるのか怖い部分もあり、言えていない。ネットの方がそういうのは言いやすかったりする。いつかは伝えたいんだけどな…。今は3年以上通っているカウンセリングは状況のため、なかなか行けていない。状況なので電話の場合もある。前までは月1くらいだったけど。

 

だいぶ長くなったかもしれないが、でも自分にとってはほんの一部でまだまだカウンセリングについては他の人に言いたい部分もあるため、また、書けそうだったら書いていきたい。カウンセリングは上で書いただけで全て済むほど単純なものではない。なんかやっぱり書き方があっさりしているような…。

カウンセリングに行った事があるというだけで偉そうになっていたら申し訳ない。カウンセリングに行っていても、自分はまだまだ悩みはあるし、不平不満はあるし、不平不満は言っていきたい。きついこともあるし、しんどいこともある。

そんな感じ。書いてはみたけど、やはり恥ずかしいところはけっこうある。あんまりカウンセリングに行っている人がいるかわからないし、それを言う人もあんまりいないかもしれない。自分は現実ではほとんど誰にも言っていない(2、3人には言ってる)。なんとなくネットの方が言い易かったので言ってみた。自分は今はカウンセリングには2つ通ってるけど、それを言っただけで、やっぱりおかしい人に見られるのかな。