石について

好きな詩

 エミリ・ディキンソン(1830-1886)についての本を読んでいる、『エミリ・ディキンソンを読む』という本だ。この本は、アメリカの詩人、エミリ・ディキンソンについて、テーマごとにまとめている、5つある。なかでも印象にのこったのはその5つのうちの<生きる>というテーマだ。そのなかでも特に、「小石はなんて幸せなんだ」というのがいいと思った。以下一部引用。

「小石はなんて幸せなんだ」という詩の一部

 

小石はなんて幸せなんだ

道路に独り ころがって

仕事のことも気にかけず

衣食住こと欠くも恐れず

(…)

(228頁)

 

 たしかに言われてみれば、小石はなにをしているのだろうか、と思う。転がっていて、何か考えているのだろうか、と思う。

 無機質なかんじ、そこに注目するのは、なかなかないのでは、と思った。例えば木とか花とかだったら何々の木、何々の花で…とか、名前をつけられるだろう。けれども石だと、なかなか名を付けづらい。

 また、石がどんな表情をもっているのか、というのは木や花に比べたら少ないように思う。表情で言えば大抵の場合無表情と言った感じがする。観察不足だろうか…。

 

小石の蹴り方と種類

 前まで小石を蹴って歩いていたことがあった。

 石の向かう先を観察するのはおもしろかった。足のつま先で蹴れば真っ直ぐ飛び、足の内側で蹴れば左側にカーブがかかり、外側を蹴ればその反対に曲る。

 小石と言っても種類はある、蹴ると痛い小石、平らで蹴りにくい小石、蹴った瞬間壊れてしまうもろい小石… 

 

マツコが前言っていたような…

 石を蹴る関係で…これはネット記事で見たような気がするが、探しても見つからないので、引用にはならないが、マツコが前、「愛着をもつにはしつづけるしかない、石を蹴り続ければ、蹴る前はなにも関係なかったものだが、愛着がわくようなもの」みたいなことを言っていた気がする。そんな昔ではないと思うのだけれど、探しても見つからなかった、どこへその記事は行ったのだろうか…

 

 なんとなく、前まで石を蹴って歩いていたことがあったので、そうだと思った、石は蹴り続ければ、愛着がわく。

 

石も蹴られる

 先ほどから書いてきたが、石は蹴られることもある、蹴る人は少ないにしても。だから、ディキンソンのいうように幸せである、とはあまり思わない。が、道路に転がってのんびりとしているのはうらやましいと思うこともある。 

 

参考

・今回読んだもの…岩田典子、「エミリ・ディキンソンを読む」、思潮社、1997年

・引用したものの英語版…

「小石はなんて幸せなんだ」という詩の一部(英語)

 

How happy is the little Stone

That rambles in the Road alone,

And does’nt care about Careers

And Exigencies never fears-

(…)

(p229)