Erich Fromm, The art of loving 読んだ

この本を読むのは二度目だ。前回は3年くらい前だったと思う。前は日本語で読んだ。今回は英語で読んでみることにした。頭に残っていたところもあって、意外と読めた。

 

孤立から心配は来て、で、その心配を取り除くために人々は何かしていて、でもそれはよくない、愛じゃないとか、一時的だとか、反対にこれは愛だとか、流れがよかった。

 

あんまりまとまらなくて、感想を箇条書きで書きたい。

 

・愛についていろいろ考えていてすごいなと思った。丁寧にひとつずつ書かれていたという印象をもった。でも、書かれていなかったというだけで、もっといっぱい愛の種類はあるように思う。だから気になった愛についてはもっと考えていきたい。

 

・みんなを愛すのはこの本だろうけど、個人を愛すときの技術っていうのはまたあるだろう。

 

・結婚っていうのは浮気がダメという感じはするけど、結婚に対して、みんなを愛すフロムはどう考えているのか気になる。結婚というのと愛というのはまた別か…。

 

こんな感じだ。

 

 

 

あとは、今回読んだのは二度目であって、前回から読んだときもやもやしていたこの本に書いてあった事二つを自分の考えも含めて書く。 

1  <愛は受け取るのではなく与えるもの>

フロムは愛は与えるもので、受け取るものではないと言っている。

母親の愛というのは、無条件の愛であって、自分の子供であるという理由だけで、子供を愛すようになる。母親の愛が不足すると愛を受け取りたいと思ってばかりで、母親の愛を受けるべきはずだった子供みたいになる(といっても母親が子供を溺愛しすぎて、子供を離さないのもいけない)。母親じゃなくても、心配してもらったり、面倒を見てもらったり、そういう時間がいっぱいほしいというのはあって、そうすることによって、真似しようと思ったり、ほかの人にも心配したりするんじゃないのかなと思った。

自分もそうかもしれないけど、受け取ってばかりという人にとっては愛は与えるものという言葉は勇気づけられる言葉かもしれない。でもだからといって、十分に愛されていない人が愛を受け取ることを求めてしまうのに自分から積極的に愛していこうとか、相手に何かしようというのは違うかもしれない。無理してる感じがする。だから、できたら母親のような無条件な愛がほしい、むりだったら相手に認められてから(これは父親的な愛か)だ。成熟的な人間には母親と父親が自分の中にいるとフロムは言うから、できたらその両方をもらってはじめて、愛そうと思うべきなのかなと思った。でも、特に無条件に愛してくれるというのは運の要素が大きいと思う。

 

愛の練習という章もあって、忍耐や規律が必要と書いてあった。やっぱ愛をもらわないことには、愛せない気もするけど、どういうことが愛に必要なのか書いてあって参考になった。

 

 

2 <相手、生命、自分も含めすべてを愛す>

フロムは二人だけの愛というのに肯定的ではない。二人で愛し合っている人について、二人は孤独から救われたけども、ほかの人類からは切り離されて二人だけで愛している、という、そういうことを言っていた。

何か興味とか関心とか狭いと、仕方ない場合もあるけど、だいたいつまんない人だよなと思ったりする。反対にいろんなことに興味をもったり、いろんなことが好きだという人は見ていて楽しそうに思う。専門職に就いている人が、その専門を中心に愛して他のことに関心を持たないというのは仕方ないけども。

できるだけいろんなものを愛したほうがいいなとは思う、でも全部は愛する必要はないかもしれない。というのも嫌いっていうのも重要なことではあると思うし、これだけは愛せない、これだけには関わらないでおこうっていうのも大事なんじゃないのかというのは個人的に思っている。いろんなことを愛するのは大事だとはわかったし、そうは思うけど、あんまり全部を愛そうとか受け入れようとかは思わない。でもなるべくいろんなものを愛して受け入れられたら良いな。

 

 

 ほかは、

今回は英語で読んだので、印象に残ったところは英語の引用もしたい。

 

… , he feels the potency of producing love by loving – rather than the dependence of receiving by being loved – and for that reason having to be small, helpless, sick – or “good.” Infantile love follows the principle: “I love because I am loved.” Mature love follows the principle: “I am loved because I love.” Immature love says: “I love you because I need you.” Mature love says: “I need you because I love you.”    

(p.38)

 

青年期くらいに、もらうからあげる方向に向かうっていうとこに書いてあった。自分があんまり人を愛すことがそこまで得意でもないし、愛されるっていうほうがまだ好きかもしれないし、この引用の意味に納得できるわけではないんだけど、かっこいい言葉のような気もして、大事にしていきたいなと思う。

 

To respect a person is not possible without knowing him; …

I may know, for instance, that a person is angry, even if he does not show it overtly; but I may know him more deeply than that; then I know that he is anxious, and worried; that he feels lonely, that he feels guilty. Then I know that his anger is only the manifestation of something deeper, and I see him as anxious and embarrassed, that is, as the suffering person, rather than as the angry one.

(p.27)

 

知らないと尊敬できないってことが書いてあった。怒ってる人の例もよかった。確かになと思った。

 

 

 

読んだ本

f:id:kankeijowbone:20210409182737j:image

harper perennial, 2006.

 

 

 

いろいろ書きたいことがあってうまくまとまらなかったけど終わりにしたい。

post-scriptがこの本に付いてて、フロムの人生がちょっと書いてあった。それについても今度書こうと思う。