テルアビブ空港乱射事件について

『岡本公三裁判・全記録 銃口は死を超えて』(徳岡孝夫著、昭和49年、新人物往来社)という本を読んだ。

 

 

・読んだきっかけ

立花隆の本に出てきて、テルアビブ空港乱射事件という事件があったことを知った。日本人が起こした国際的な事件であるということに興味をもち、読むことにした。

 

 

・テルアビブ空港乱射事件とは/本の内容

テルアビブ空港乱射事件は1972年5月30日、夜の10時半頃に起きた。日本の赤軍の奥平剛士・岡本公三・安田安之の三名がPFLP(パレスチナの武装組織。過激と言われる)に協力するためイスラエルのテルアビブ(ロッドとも言う)空港のホールで手荷物を受け取った後、すぐに銃を乱射したり、手りゅう弾を投げ、多くの人が死んだり傷を負ったりした。数字ははっきりしていないようだが負傷者は70数人、死者は20数人。攻撃側は三名のうち岡本公三だけ生き残った。

 

内容は、後半はこの事件の裁判の話がおおかった。前半はいろいろと事件の反応なども書いてあった。日本は大使などが謝ったのだが、それに対してPELPの反応、また、事件後の反撃、ほかには、岡本など3名を乗せていたエールフランスがあるフランス政府の対応、イスラエル国家の政府声明など。

 

 

・思ったこと

テルアビブ空港襲撃事件では、PFLPが攻撃したいと思っていたシオニズム(ユダヤ人の民族国家をパレスチナに樹立することを目指した運動や思想)を認めたイスラエル人ではなく、関係ない、巡礼目的で来ていたプエルトリコ人の多くが犠牲になった。日本人記者団はPFLPを代表してガッサン・カナファーニ氏(この組織の週刊の機関誌の編集長。著書に『ハイファに戻って/太陽の男たち』などがあるようだ)にこの事件について聞いたのだが、カナファーニ氏は「たとえ中東問題と関係のない観光客であっても、イスラエルに行くということがわれわれを敵にまわし、シオニズムを認めることを意味する、そういう連中を殺すのがなぜ悪いのか」、ということを言っている。ここらへんで著者は「のみ込みにくい」と言っていたが、自分も思うことがあった。無差別殺人などもそうなんだろうが、関係ない人が殺されるっていうのはなぁ、というふうにはおもう。自分が知らない人に撃たれたらいやだ。一方、それほど、イスラエルに入るということがPFLPにとっては大きな意味をもつんだろう。それは無視してはいけないことだと思う。もっと知りたい。            

 

本当はもう少し長く書いたのだけど、ここらへんでおわりにしたい。