ペギー・リーの自伝を読んだ

・読んだきっかけ

 'Fever'という曲をたまたま聴いてリズムが変わっているなと思った。そのあと他にも'Is that all there is?'という曲を聴いて気になったため、どんな人なのかも気になり自伝を読んでみることにした。'Is that all there is?'というのは「もう終わり?」という意味だが、曲の中でニュアンスがペギー・リーと、歌詞を付け足す前の元の作詞をした人で食い違いがあるようで「落ち込んでいるのか」、「肯定的なのか」など、ニュアンスの捉え方がいろいろむずかしいようだ。トーマス・マンの作品に影響を受けた曲のようだ、それも読んでみたいと思った。今も自分はニュアンスがはっきりとわかっていないのだが、それの捉え方のウェブページもあり見ていて面白かった。

 


Fever - Peggy Lee

 

 

 

・読んだ本について・感想

 読んだ本について、書いていく。本を読む前にウィキはざっと確認した。この自伝は家族のこと、生まれた場所、ペギー・リーが訪れたシカゴ、カリフォルニア、ニューヨーク、公演で行った場所などで起きたこと、過ごし方、交友関係、病気、持っていた家などについて書かれている。

 ペギー・リーという名前は芸名であり、生まれた時の名前はノーマ・デロリス・エグストロームという。1920年にアメリカのノース・ダコタのジェームズタウンで生まれた。最初の方はペギー・リーの継母について書かれていて印象に残った。ペギー・リーの母親はペギー・リーが4歳の時に亡くなった。その後父親は継母であるミニーと結婚した。その継母のひどさが書かれていた。ペギー・リーは10歳の頃にひどく体調が悪くて、病院へ行った、腹膜炎を起こしていた。家に帰ってくると、ペギー・リーはだれかよろこんでくれるのではないかと思っていたのだが、ミニーがいた。ペギー・リーは10日ほどいなかったのだが、ミニーが残念がっていたのはペギー・リーがふつうやっていた家事がいないため、されていなかったことだ。そのためペギー・リーはまた家事をやることになった。ミニーはペギー・リーが生きていたことにいら立っていた。いきなりミニーは切り口が破れるまでお腹を蹴ってきた。ペギー・リーはミニーが嫌で父親に言って守ってもらうことにしたのだけどミニーは家事がされていないため、追ってきた。それ以外にもこういう表現があった。

 

   And I remembered Mama. One day when I was sitting in the attic looking at pictures of her, Min found me and the photos of our whole family. She burned them all, but she couldn't burn my memories.  (p.20)

 

 ペギー・リーが死んだ母親のことを懐かしく思い屋根裏で母親の写真を見ていたら、ミニーはペギー・リーと家族の写真を発見し、それを全て燃やした、しかしペギー・リーの記憶を燃やすことはできなかった、ということが書かれている。詩的だと思った。

 

 

 1941年ごろペギー・リーはシカゴに行って、ベニー・グッドマンというクラリネット奏者に出会う。ベニー・グッドマンのバンドは女性歌手が外に出る時でその代わりにペギー・リーは加入する。ここで初めての大きなヒットを起こす。

 

 

 ペギー・リーは何度か結婚、再婚をした人であるが、それについては思うことがあった。

 ペギー・リーはベニー・グッドマンが雇ったギタリストのデイヴィッド・バーバーと1943年に結婚する。けれども1951年に離婚する。離婚した原因はデイヴィッド・バーバーがお酒が好きでどんどん飲んでいって、それが原因で離婚することになった。文を引用する。

 

   Finally, because David loved Nicki and didn't want her to see him drunk, he begged me for a divorce. In the end I agreed, broken-hearted. 

   It was easy to remain close to David for Nicki's sake. (省略)

We did have our difficult times when he drank too much, but what I really remember is love. 

(p.96)  

 

 ここはペギー・リーの夫のデイヴィッドがお酒に酔った姿を娘のニッキーを愛していたために見せたくなく、ペギー・リーに離婚を申し出て、ペギー・リーはそれを受け止めた。ニッキーのために夫婦で居ることは難しいことではなかった。 (省略)  デイヴィッドがとても酔ったら夫婦で困難な時もあったが、思い出すことは愛していたことだ、ということが書いてある。

別れた本人同士も好きだったら別れるのは辛いのではないかという事は思った。

夫が自らのしてしまうことをわかって、自ら申し出た、そして、二人は愛していたけれど、それを娘に見せたくなくて離婚したという点では、例えば他との男女関係が発覚した、借金をした、暴力をふるった、どうしても相性が合わなかったなど、それで離婚したというのよりは聞こえはいい。けれども、実の父に会えないということは子供はずっと引きずるものだと思うし、気になっていくだろうし、寂しいし、子供自身で、大人になると、親みたいに結婚をしても離婚してしまうではないかと思うなど様々な悩みを抱えてしまうのだろう。反対に実の父が嫌であれば嬉しいこともあるのかもしれない。

再婚したからといって、子供が必ずしも幸せになれるわけではないのだろう。子供にとって新しい父が合わないなど望ましくない場合があるだろうし、新しい父が子供と似ていなくて子供にとって嫌なこともあるだろうし、新しい父と母の関係が悪いと、子供は父とは何か、わからなくなるのだろうし、父がいると感じられない場合、男女とは何かもわからなくなるだろうし、絶対ではないが生き方の参考となる一人であろう実の父がおらず、どうやって今後生きていくのかわからなくなることもあるだろう。

 

 離婚というのを重く考えないことは自分にはできない、離婚を簡単にしようとも思えない。けれどもどうしても辛くそうせざるを得ない場合もあるのかもしれない。もっと生きてみないとわからない。

思ったことを書いた。不幸なことばかりになった。ペギー・リーに対してというより離婚・再婚について、子供はこう思うだろうということを中心に書いていった。けれども離婚・再婚したからといってそうではないこともあるのだろう。

 

(ペギー・リーは一度離婚した後、3回結婚、離婚をした。このページの数ページ後で、娘の結婚式にそれまで一緒に暮らしているということは出てこなかった父のデイヴィッドが出てきた。離婚をしても娘の結婚式には出るものなのかと思った。それは離婚した後の仲の良さによるのだろうか。)

 

 

 

・歌の創作話やペギー・リーが歌っていた曲

 いくつか聴いてみていいなと思った曲があったのでこの本に書かれていたそのエピソードを書く。

'It's a Good Day'という曲-ペギー・リーが妊娠していたころ、ワインを持ってきてくれる人もいれば電話でいいメッセージを残してくれた人もいた。ほかにもいいことがあり、最終的にペギー・リーは誰に向ったわけではなく、'Well, it's a good day!' と言い、それがこの曲のタイトルになった。

 

'The Glory of Love'という曲-これはペギー・リーがアマチュア・コンテストで歌った曲のようだ。他にも'Twilight on the trail'という曲をこのアマチュア・コンテストで歌ったようだ。どちらも元々、歌っている人はペギー・リーではないのだと思う。結果として$5勝ち取った。'The Glory of Love'は本に一部の歌詞が載っていて、聴いてみた。いくつか出てくる'little'という響きが頭に残った。

 

 

・読んだもの

Miss Peggy Lee: An Autobiography

Miss Peggy Lee: An Autobiography

  • 作者:Lee, Peggy
  • 発売日: 1990/01/11
  • メディア: ハードカバー