Hemingway, 'The old man and The sea'を読む

 主人公はサンティアゴ(Santiago)という老人で、84日間魚がとれていない。一緒にいる少年もいたのだが、小屋でサンティアゴは少年と別れ、再び海に魚を捕りに行くということが中心にかかれている。老人は一人なので、その航海中に、少年がいればよかったのにと思ったりする。アオザメ(dentuso)に出会ったり、それ以外にも鳥や亀の様子などが記してある。魚を殺してもいいのかという葛藤する場面もある。葛藤するのはたとえば以下のようなところ。魚を殺すことが罪なのか、愛があればいいのではないか、などを一人で問うている。 

 You did not kill the fish only to keep alive and to sell for food, he thought. You killed him for pride and because you are a fisherman. You loved him when he was alive and you loved him after If you love him, it is not a sin to kill him. Or is it more? (p.94,95)

 

 

 印象にのこったところは難しかったので語句を調べた以下のようなところ。ふたつある。

 He looked at the sky and saw the white cumulus built like friendly piles of ice cream and high above were thin feathers of the cirrus against the high September sky. (p.53)

 

 His dorsal fin was down and his huge pectorals were spread wide. (p.80) 

 ひとつめは老人が空と積雲をみてそれがアイスクリームが重ねてあるようだったこと、それからその上には九月の空に薄い巻雲があったということが書かれている。

 雲がアイスクリームのようだというのがいいと思った。

 

 ふたつめは魚の様子について。背側のひれが下がって、大きな胸(の筋肉)がひろがっている、ということが書いてある。

 

 

 結構むずかしい語句が出てきて調べたのをひとつ紹介する。老人が船のデッキのタールと槙肌(oakum)の匂いを感じた(p.19)というところの'oakum'という語。以下はウィキペディアより。

'Oakum'

Oakum is a preparation of tarred fibre used to seal gaps.

  隙間を埋めるタールの繊維のことのようだ。

 これだけだとあまりわからなかったので動画や画像などでみたが、綱のようなもので、配管の水を止めるときや板のフレームとして工具などを使って用いていた。

 

 

読んだもの

Earnest Hemingway, 'The old man and the sea', Harmondsworth: Penguin Books, (1976)