ゴッホについての本を読む

フィンセント・ヴィレム・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853年3月30日 - 1890年7月29日)は、オランダのポスト印象派の画家。 (Wikipediaより)

 

 今回読んだ本は、日本経済新聞社から出ている『日経ポケット・ギャラリー ゴッホ』というものである。だいぶ前に買ったけれども、ずっと、開いていなかったものである。前読んだロートレックの本で、ロートレックはゴッホの肖像を描いた、ということでゴッホの絵をもっと見てみたくなり、この本を手に取った。この本では、ゴッホの弟、テオに宛てた手紙とゴッホの絵が主に載っている。テオとゴッホとは、ゴッホが亡くなるまで、17年間、ほとんど毎日のように手紙のやりとりをしていたようだ(5p)。ゴッホは、自分が何に役立てるのか、テオに手紙で書いていた。

「僕のなかには何かがある。でも何なんだろう。どうしたら僕は役に立てるのか、そして何の目的に向かえばいいんだろうか」。 (8-11p)

  ゴッホは27歳の時、自分のなりたいものが画家であるということに気づいた。ゴッホはまた、テオに次のように書いた。

「またデッサンを始めたことで僕がどんなにうきうきしているか、うまく言えないくらいだ。ずっとやりたいと考えていたんだけど、とても不可能で無理だと思っていたんだ」 (11p)

 ゴッホのテオへの手紙には、愛がいろいろ現れているようだ(p6)。

 テオは、兄ゴッホの自殺のほんの6か月後に死んだ(p20)。

 

 

 絵を見ていて、とくに印象にのこったのは、「じゃがいもを食べる人たち」という作品である。

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フィンセント・ファン・ゴッホ、「じゃがいもを食べる人たち」、1885年

 この絵と共に手紙を送ったのか、詳しい日付は定かではないが、ゴッホはテオに1885年、手紙を送った。その内容が以下のもの。

 僕は、この燈下に坐って皿から手摑みでじゃがいもを取って食べている人たちが、現にその手で土を掘り返してきたんだということを、どうしても示したかった。僕の絵は、手を使う労働に対して、そして正直に苦労して獲得した食物に対して、威厳を与えるものだ。僕は、我々のように学校に行った者の生活と全く違う生活を表現しようとした。だからこれを見てきれいだと人に言って欲しいとは思わないんだ。

テオへ 1885年 (32p)

  訳されているし、手紙の実物を見たら、もっと反応は違うかもしれない、また、手紙という個人的なものだということは考える必要があると思うけれども、とくに、引用したところの最後の「きれいだと人に言って欲しいとは思わないんだ」というところは、なにか迫ってくるものがあった。

 「きれいだ」と言わなければならないとしたら、嫌だ、どちらかというと自分が正直なので、…そのことがゴッホの伝えたい思いとしてあるため、できたら、自分はきれいだとはいいたくないと思った。あまり、「きれいだと言って欲しくない」と作者が言うことはない、と思った。 

 

おわりに

 今回読んだ本は、ゴッホのテオへの手紙が主だったため、他にも、ゴッホの生涯など、書いてある本があれば見たいと思った。

 

参考

 今回引用した絵ーフィンセント・ファン・ゴッホ、「じゃがいもを食べる人たち」、1885年 (英語:Vincent van Gogh, The Potato Eaters, 原題ーDe Aardappeleters) (Wikiartより)

 

ゴッホ (日経ポケット・ギャラリー)

ゴッホ (日経ポケット・ギャラリー)