俵万智の『サラダ記念日』を読んだ感想・記念日について

<はじめに>

 俵万智さんの『サラダ記念日』(河出文庫)を読んだ。『サラダ記念日』を読んだ感想を前半で、後半は記念日について思ったことなどを書いていきたい。

 

いいとおもった文

 いくつかいいと思った文を挙げる。

・皮ジャンにバイクの君を騎士として迎えるために夕焼けろ空 (「野球ゲーム」、29p)

 

・今日風呂が休みだったというようなことを話していたい毎日 (「野球ゲーム」、39p)

 

・あなたにはあなたの土曜があるものね 見て見ぬふりの我の土曜日 (「風になる」、53p)

 

・夕焼けてゆく速度にてコロッケが肉屋の奥で揚がり始める (「たそがれ横丁」、130p)

 

723から724に変わるデジタルの時計見ながら快速を待つ (「元気でね」、157p)

 

 五つあるのでそれぞれどこがいいと思ったかを書いていく。

・空に「夕焼けろ」と言っているのが壮大なところ。

 

・風呂屋はのほほんとしている。

 

・相手の土曜を尊重しながら、自分の土曜の存在もあるということをいっているところ。

 

・夕焼けと奥の肉屋という組み合わせ。夕焼けの速度がわからない、それゆえコロッケの揚がる速度もわからない、そのためか、わくわくする。

 

・デジタル時計の表示を見て、文字をつけたくなることもあるため。

 

『サラダ記念日』を読んだ全体的な感想

 基本、右に三文、左に三文載っていた、三文ともスペースをとっていた。話はつながっているのだろうと、なんとなくわかるが、独立した文のような気もした、一文一文個々のもの。独立した文で読むのは勝手だろうか…しかしそう読めると、何気なくページを開いて読めるのでいいと思った。けれども内容が頭に入って来たとは言えない、が、そういうのもいいと思った。

 

「サラダ記念日」・記念日は作れる

 「「この味がいいね」と君が言ったから7月6日はサラダ記念日 (「サラダ記念日」、127p)」

 なにをもって記念日とするかだけど、『サラダ記念日』にあったように記念日と言うのは作れると思う。はじめて何かをした記念日であったり、何かを達成した日であったり…。

 

タモリの講演大王と感想

 記念日に関連してひとつ…

 1992年から「講演大王!」という番組があったようだ、動画でも残っていてそれを見た。タモリは「わたしが各種行事に反対している理由とソ連邦崩壊の関連性」という題名で講演をしていて、そこでは次のようなことを言っている。——

 人は所属や時間などのつながりをもって、生きている。行事もそのつながりをもたせる一つである。国と言うのはそのつながりの最たるものである、ソ連は崩れるとは思っていなかった、が、崩れてしまい、ソ連の官僚には職を失っている人もいる、18-22歳くらいでは柵(行事やイベント、他との関係)を考える必要はない、柵をもたないべきだ、しかし、社会的なつながりを求めていっていいのだろうか…。

 

 そんなことを言っている。

 「職を持っているから、やがてくずれていくのだろうか」という疑問はある。けれども講演だから手短にという性質もあるのだろう、言っていることはなんとなくはわかった。

 

記念日の重要性

 先ほど記念日は作れるといった、「サラダ記念日」のように味がいいといえば、記念日になりうる、ほかにも、なにか達成したことがあればそれを記念日と名付けていいように思う。しかし、重要性や規模はそれぞれ当然違う。自らがつくった記念日というものと、社会的な記念日とでは規模が全然違うだろう。また、記念日が多すぎれば嫌だということもある。

 

記念日について

 タモリは先に紹介した動画では主にバレンタインデーやホワイトデー、クリスマスイブなどに反対していた。

 自分も、たしかに行事というものは、参加したくないときがある。とくにがやがやしているものであったり、きつきつな行事は。

 が、一方で、行事(記念日)がなければ、なにもしないような、むしろ行事があってよかったと思うものもある。例えば父の日や母の日、年齢が上がるにつれ、ますます親との距離は遠ざかっているような。これがなかったら、いろいろ伝えづらいというか、それをもし伝えたくて、「サラダ記念日」のように個人的に作っていかなければならないとしたら、億劫になるだろうと思う時もある。そういった意味では行事(記念日)に賛成することもある。

 

 賛成するといったって、年齢や時代と共に変わるだろうし、今はいいと思っている行事が嫌になることもあるかも知れない。

 

おわりに

 前半ではおもに「サラダ記念日」のよかったと思った点を挙げた。なにか癖になるような、表現もあった。後半では記念日について書いていった。「サラダ記念日」を読んで「サラダ記念日」のように個人的につくれる記念日というのがあるとわかった。反対に社会的な記念日もある、その一つが行事だと思う。「講演大王!」でのタモリの講演のように、社会的な記念日は反対されることもある。しかし、一方で、もし社会的な行事がないのなら、「サラダ記念日」のような個人的な記念日を作っていくのも億劫だと思うこともあるだろうと思った、そのような点では社会的な行事(記念日)に賛成することもある、しかしそれも年齢によって変わると思う、と書いた。

 

参考

文に出てきたもの…

・俵万智、「サラダ記念日」、河出文庫、1997年

・「タモリ 講演大王 1/2」、「タモリ 講演大王 2/2」 (YouTubeより)

 

サラダ記念日 (河出文庫―BUNGEI Collection)

サラダ記念日 (河出文庫―BUNGEI Collection)