「少年マガジンの黄金時代~特集・記事と大伴昌司の世界~」を読んで特に気になった記事5選ほか

今回読んだもの…「少年マガジンの黄金時代~特集・記事と大伴昌司の世界~」、講談社、2008年

 

<はじめに> 

 昭和41年、「ウルトラQ」や「ウルトラマン」がtbsで放映開始される前に、「週刊少年マガジン」で、特集を組んだ。その記事を担当したのが編集者の大伴昌司である。

 「週刊少年マガジン」が創刊されたのは昭和34年3月17日である。この年、フジテレビが放送を開始したり、皇太子仁親王と正田美智子さんがご成婚されたり、「週刊少年サンデー」、「週刊文春」などが相次いで創刊した。 (35-37pを参照した。)

 

 この本では「週刊少年マガジン」の創刊した時期からの記事や大伴昌司の担当した記事や図解などが主にモノクロで載っている(カラー写真も一部ある)。

 今回は、大伴昌司の記事を紹介するというわけではない。大伴昌司が担当する以前の記事も含め、とくに気になったものなどを紹介したい。

 

1. 背番号について

 ☆背番号をつける六大学 (昭和34年1号(3月26日)創刊号)

 東京六大学野球春のリーグ戦は、四月上旬に開幕されるが、ことしから選手に背番号をつけることになった。その背番号については、前々から、「つけろ、つけろ。」といわれていたのを、連盟のえらい人たちが、「プロとちがうのだから必要ない。」といって、がんとして聞き入れようしなかったもの。しかし、とうとう(…) 

(42p)

  六大学野球では背番号はこのときまで、付けていなかったのを知らなかったため、そうなんだと思った、節約という意味でつけなかったのもあるのだろうか。連盟のえらい人の反応が面白い。

 

2.アメリカのテレビと日本のテレビ

 アメリカ少年の願い (昭和34年1号(3月26日)創刊号)

 アメリカの中学生や高校生の間では、9インチという、日本ではまだ売っていない小さなテレビを、(…)

(44p)

  このあとの文で、一年貯めればアメリカの学生アルバイターでもこの9インチの小型テレビが買える、と続く。当時、日本には9インチのテレビが売っていなかったことは初めて知った。けれども「小さい」とあるから、それほどテレビが大きかったということなのだろうか…。

 

3.日本の秘宝一覧表 (108-109p)

 <編集部で集めた日本の秘宝一覧表>(昭和41年30号(7月31日))という記事があって、興味深いと思った、例えば<ゆうれい屋敷の財宝(東京都荒川区)>、<だらだら長者の財宝(東京都新宿区)>、<中尊寺の金のとり(岩手県平泉)>…。

こういう記事もあるんだなと思った。

 

4.アポロ11号の月面着陸の記事(昭和44年30号(7月30日)) (111-113p)

 アポロ11号の月面着陸は昭和44年7月21日にあったようだ。この記事の日付は7月30日、となっているが、<人類が月面に着陸する7月21日午後3時17分に注目しよう。>というフレーズが載っていた。ということは、7月30日とあるが、実際には7月21日の月面着陸前に店頭に雑誌はおかれていたということだろうか…これは今でもあることだと思う、要はズレ。また、月面着陸の予定も詳細に書かれていた。いずれもみれてよかった。

 

 月面に降りたからと言って、いきなり月面に飛び出すわけにはいかない、ということが書かれていてためになった。以下その箇所を引用。

(…) しかし、月面におりたからといって、「それっ、月におりたぞ、ばんざい!」と、いきなり月面に飛び出すわけにはいかない。

 再び地球へ戻るため、機械や装置の点検整備、月面作業にそなえての準備、飛行士の食事と睡眠に、9時間39分もの時間をかける。 (112p)

 宇宙空間での睡眠時間は地球のと、どのくらい違うのかなど、気になった。

 

5.中元さん(昭和40年31号(7月25日)) (143p)

 これはギャク。お中元の季節に少年が〔中元〕と書いてある品物をもって、<中元>という表札の家にもっていこうとしたら、<中元>という人が怒鳴っている様子が書かれている記事。こういうのもあるんだと思った。

   

全体的な感想

 大伴昌司は、エッシャーやマグリットの絵の記事も掲載した。この本にも、大伴昌司の紹介したエッシャーの記事の扉絵は載っていた。エッシャーの扉絵のところの解説が、星新一の挿絵の人、真鍋博で興味深かった。

 マグリットのものもできたら見たかった。

 いろいろと昔の記事を見れて楽しめた。また、大伴昌司の「怪獣の解剖図」も載っていて、見れてよかった。

 

 参考

少年マガジンの黄金時代 ~特集・記事と大伴昌司の世界~

少年マガジンの黄金時代 ~特集・記事と大伴昌司の世界~