「今が一番いい」とはいわない。しかし

 題名どおり「今が一番」と言わなければいけない、そんな風潮があるのではないか、というふうには思っている。それは例えばスポーツ界であったり、ミュージシャン界であったり。もちろん、そんなことはない、という世界もある。

 

 「今が一番いい」、実際にそうであってそう言っているのであればそれは望ましいことで、問題ない。

 けれども自分はそれは美徳とされすぎているのではないか、そういわざなるを得ない空気というのもあるのではないか、それになんとなくであるが実際そうではないのにもかかわらず無理矢理言わなければならないのではないか、そんなこともあるのではないか、と思ってこの記事を書いた。

 

 自分はまだ二十数年しか生きていない。しかしそのなかには、いいと思った瞬間と嫌な瞬間があった。…そして、今がいいかと言うと、そうではないと思うこともある。過去の方がいいとおもうこともある。——無理に今が一番いいとは思うことはできない。二十数年しか生きていないので、(生意気言うな)ともいわれそうだが、実際そう思う。これが仮に後三十年生きたら、または四十年生きたら、ということを考えると、ますますそういうふうに、好きな時間というのを思い出して、(あの頃が一番よかった。あの頃に戻りたい)というのではないか、そういうふうに思う。

 

(あの頃が一番よかった。)

 

 しかし仮に上記のように(あの頃はよかった)ということを主張してしまうとそれはそれで話が変わってしまうのではないか、というふうにも思う。たしかに自分も少ししか生きていないが、それでさえも(あの頃はよかった)状態にいるところというのはある。が、それはそれで、もし現在生きている他の人がいれば、その人に対して過去の方がいい、と言っているようで嫌ではないか。相手に妬ましい感情がうまれるのではないか。また、(もっとたのしんでくれないか)、そんなふうにも思う方もいるのではないか。(あの頃が一番)と言うことはあまりよくない印象ということは通説にはなっているのではないか。

 

 だからなるべく(あの頃はよかった)というのは自分のうちにとどめておきたいのである。それを共感する人がいれば別である。共感する人がいれば、——たとえば同じ時代を生きた人がいてその人によかった時代を言えば問題ないとは思う。また、その時代に生まれていなくても、その時代がすきだ、という人がいればいいのではないか。

 

 

 まとめると、もし今が一番いいとは思っていないが「今が一番」と言わなければいけないのであれば、そういうことは嫌だ。もっと正直にいたい。しかし反対に、「あの頃はよかった」と主張することも今を生きている人に対して失礼なのではないか、という点ではばかりをもつ(が、「あの頃はよかった」ということに共感するひとがいれば別だ)。だからなるべく秘めた感情として(あの頃はよかった)と思っていたい。

 

 そんなことを思った。