ファッションに疎い人間が鷲田清一著「ちぐはぐな身体——ファッションって何?」を読む

 第一に自分はファッションに疎い。

 ファッション誌やテレビのファッションコーナーを見ても(滅多に見ないが)、なにがなんだかさっぱりわからない。知らない。

 が、鷲田清一が対談している動画があって、ファッションのことにも触れていて、ネットで調べると鷲田清一がファッション系のことについて書いたものがあるということを知って、また、タイトルが面白そうだったので、今回手にしてみた。

 

 話の最初のほうはだれでも自分たちの見える体の部分はごく限られているというところから始まる。身体、とくに背中や後頭部や顔などは普段は見えない。にもかかわらず、顔などに、自分ではコントロール不可能なじぶんの感情が出てしまう。そして私たちが身体の断片しか確認できないが、離れて見るとこんなふうに見えるだろうとする想像のなかでしか全体像をあらわさないという意味で、身体というのは私たちの像でしかないのだという。

 そしてその像でしかない輪郭を補強するのが例えばシャワーを浴びる、日光浴をする、スポーツで汗をかくことなどをし、皮膚を刺激することであったり、あるいは、服を着ることなのだという。服を着れば他人に見せる、見せてはならない部分の境界を分けることができる。服を着る(あるいはじぶんを包装する)ことで、自分の意味づけを細かくしていくことができる。 (14-22頁を参照)

 

 全体的に<内と外>について書かれたものが多い印象だ。

 

 

思い出したこと 

 本著では映画監督であるヴェンダースという方が映画『都市とモードのビデオノート』のなかで、独自性(アイデンティティ)を問おうとしていることを嫌だとする文が引用と共にある。その後の文では、鷲田清一はからだの隅々まで「わたし」という意識を浸透させておく必要があるのだろうか、もっと他人の前で無防備になっていてもいいのではないか、ということを言っている。 (77,78頁を参照)

 

 たしかにそうだろう。わたしという姿の像を自分で規定しても、それは大抵の場合、そうしておく必要があるのだろうか、ということは思う。わたしらしく居ようとすることはたしかに、狭苦しい感じもする。これは、ある語の定義でも、ルールでもそうだと思うが、範囲を決めるのはいいが、それにとらわれすぎ狭くしか動けないとなると窮屈な感じがする。

 思い出したのが、この前読んだばかりの夏目漱石の「私の個人主義」。この本では夏目漱石は国家主義という言葉をよく思っていない、ということが書いてある。以下は引用。 (国家主義をめでる会に夏目漱石が出席したときに演説めいたことを言った相手に対しての夏目漱石の答弁。)

 私はこういいました。——国家は大切かも知れないが、そう朝から晩まで国家国家といってあたかも国家に取り付かれたような真似は到底我々に出来る話でない。常住坐臥国家の事以外を考えてならないという人はあるかも知れないが、そう間断なく一つ事を考えている人は事実あり得ない。豆腐屋が豆腐を売ってあるくのは、決して国家のために売って歩くのではない。根本的の主意は自分の衣食の料を得るためである。しかし当人はどうあろうともその結果は社会に必要なものを供するという点において、間接に国家の利益になっているかも知れない。根本的の主意は自分の衣食の料を得るためである。しかし当人はどうあろうともその結果は社会に必要なものを供するという点において、間接に国家の利益になっているかも知れない。 (夏目漱石、「私の個人主義」、(『私の個人主義』より)、講談社学術文庫、2008年、155頁)

 つまり豆腐屋は自分の生活のために豆腐を売っているけども、それが国家のためにもなりうる、ということを言っている文である。

 これを鷲田清一の「ちぐはぐな身体」に当てはめれば、<(自分が私だと思っている)私らしくいよう>といつも意識せず、もっと自然に、そういうことを考えずにいても、それが結局私というもののためにもなる、ということがあり得るということだろうか。

 

 かなりわかりにくい当てはめかたをしてしまったが、要はがちがちに何か一つにとらわれるという必要はないのではないか、ということを言いたかった。

 

気づいたこと——副題に惹きつけられる

 鷲田清一の本は副題に惹きつけられると思った。

 今回の本もそうである。「ちぐはぐな身体——ファッションって何?」、<ちぐはぐな身体>だけだととっつきにくい感じはするが、<ファッションって何?>と添えられると急に親しみやすくなるような気がした。

 または、前に読んだことがあるのだが、「「聴く」ことの力―臨床哲学試論」、副題の<臨床哲学試論>というのは、そもそもの問題として、(哲学って大体臨床なのでは)と思ったが、<臨床>という言葉を強調させたかったのだろうか…面白い副題の付け方をする、と思った。

 まだ読んだことはないけれども、「しんがりの思想——反リーダーシップ論」というのも副題が面白そうだと思った。

 

感想

 いずれも言われてみればそのとおりなんだが、なかなか言語化できるわけではないことが書いてあった。最後のほうはブランド名を知らないので、(なるほど…)と思う一方それぞれの企業のコンセプトを見ているようだとも思った。ブランドに興味がある方であれば、もっと興味をもって読めるのかもしれない。 

 まとまったファッションの話を読めてよかった。

 

参考

今回読んだもの 鷲田清一、「ちぐはぐな身体——ファッションって何?」、ちくま文庫、2011年

 

本文で引用したもの 夏目漱石、「私の個人主義」、(『私の個人主義』より)、講談社学術文庫、2008年